武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いちじょう | かねさだ |
高家 | 基督教 | 43 |
(1543-1585)土佐一条家4代当主。房基の子。日夜酒色にふける生活を送ったため、家臣たちによって追放された。のちに大友宗麟の後援で旧領回復を企てるが、失敗した。
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一条 |
兼定 |
26 | 6 | 3 |
28 | 22 |
93 |
通常版 | 1558 |
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ほどはら | ぎょうとう |
武士 | 神仏 | 83 |
(1538-1620)二階堂家臣。保土原家は二階堂家庶流。伊達政宗が主家を攻めた際に内応し、以後は伊達家に仕える。のちに伊達家の一家に準ぜられた。文章をよくした。
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保土原 |
行藤 |
36 | 24 | 57 |
63 | 22 |
58 |
PK追加 | 1553 |
鼓舞 |
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まつくら | しげまさ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1571-1630)筒井家臣。重信の子。主家の改易後は徳川家に属す。大坂の陣後、肥前島原城主となるが、重税や切支丹弾圧などの圧政を行い、島原の乱の原因を作った。
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松倉 |
重政 |
12 | 46 | 8 |
15 | 22 |
06 |
PK追加 | 1586 |
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おりい | あきひさ |
武士 | 神仏 | 35 |
(1561-1595)葛西家臣。柏山明吉の四男。折居館主。領内屈指の荒武者といわれ、柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害。葛西・大崎一揆では叛乱軍の総帥となった。
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折居 |
明久 |
6 | 57 | 27 |
34 | 23 |
76 |
通常版 | 1576 |
槍衾・1 |
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さがら | たけとう |
僧侶 | 神仏 | 54 |
(1498-1551)大内家臣。有職故実に通じ、主君・義隆の信頼を受けた。のち陶晴賢と対立し出奔するが、杉興運により抑留される。晴賢の謀叛の際、筑前花尾城で殺された。
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相良 |
武任 |
66 | 2 | 67 |
75 | 23 |
59 |
通常版 | 1513 |
混乱 |
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しが | ちかのり |
武士 | 神仏 | 53 |
(1535-1587)大友家臣。豊後岡城主。親守の子。肥後方分を務めた。主君・義統とたびたび対立する。のち島津義久の豊後侵攻軍に内応し、子・親次により自害させられた。
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志賀 |
親度 |
26 | 18 | 33 |
43 | 23 |
81 |
通常版 | 1550 |
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あそう | しげさと |
国人 | 神仏 | 60 |
(1513-1572)筑前の豪族。花尾城主。隆守の弟。相良武任の失脚により城主となる。のちに山鹿城主・麻生隆実と対立。宗像氏貞の支援を得た隆実に敗れ、島津家を頼った。
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麻生 |
鎮里 |
40 | 35 | 34 |
37 | 23 |
33 |
通常版 | 1528 |
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くまべ | ちかなが |
武士 | 神仏 | 73 |
(1516-1588)菊池家臣。肥後長野城主。主家没落後は龍造寺家に属す。豊臣秀吉の九州征伐軍に降るが、佐々成政の検地に抵抗して肥後国人一揆を起こし、敗れて殺された。
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隈部 |
親永 |
36 | 27 | 54 |
52 | 23 |
65 |
通常版 | 1531 |
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ねじめ | しげたけ |
国人 | 神仏 | 45 |
(1536-1580)禰寝家16代当主。根占領主。清年の嫡男。肝付家に従う。のちに島津家と単独講和し、肝付軍に攻められるが、島津家の援助で撃退した。対明貿易を行った。
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禰寝 |
重長 |
55 | 34 | 54 |
56 | 23 |
00 |
通常版 | 1551 |
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くのへ | さねちか |
国人 | 神仏 | 50 |
(1542-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に反旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
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九戸 |
実親 |
29 | 67 | 27 |
38 | 24 |
60 |
通常版 | 1557 |
突撃・1 |
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たむら | たかあき |
高家 | 神仏 | 63 |
(1512-1574)陸奥の豪族。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光の連合軍を破ったのちに急逝した。
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田村 |
隆顕 |
39 | 67 | 48 |
38 | 24 |
54 |
通常版 | 1527 |
突撃・1 |
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おだ | ひろのぶ |
守護代 | 神仏 | 50 |
(1506-1555)尾張斯波家臣。尾張下4郡の守護代。名は信友とも。清洲城主を務めた。主君・義統を殺したため、織田信長の命を受けた織田信光に攻められ、自害した。
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織田 |
広信 |
39 | 14 | 67 |
46 | 24 |
25 |
通常版 | 1521 |
挑発 |
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まえだ | げんい |
僧侶 | 神仏 | 64 |
(1539-1602)豊臣家臣。はじめ延暦寺の僧であったが還俗し、織田信忠に仕える。本能寺の変の際は信忠の嫡男・秀信を守って脱出した。のちに豊臣家五奉行の1人となる。
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前田 |
玄以 |
81 | 12 | 77 |
67 | 24 |
01 |
通常版 | 1554 |
収拾 |
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おやまだ | のぶしげ |
国人 | 神仏 | 38 |
(1545-1582)武田家臣。出羽守信有の子。投石を得意とする部隊を率いて各地の合戦で活躍。織田信長の甲斐侵攻軍に降るが、主君・勝頼の死後、裏切り者として斬られた。
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小山田 |
信茂 |
64 | 63 | 66 |
56 | 24 |
71 |
通常版 | 1560 |
斉射・1 |
挑発 |
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ながお | はるかげ |
守護代 | 神仏 | 45 |
(1509-1553)越後の戦国大名。為景の嫡男。父の死後に家督を継ぐ。しかし病弱で統率力に欠けたため諸将から反発を受け、上杉定実の調停のもと弟・景虎に家督を譲った。
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長尾 |
晴景 |
39 | 25 | 13 |
45 | 24 |
16 |
通常版 | 1524 |
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ごとう | たかはる |
重臣 | 神仏 | 46 |
(1544-1589)六角家臣。賢豊の次男。観音寺騒動で父が死去したのち、家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となったが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。
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後藤 |
高治 |
31 | 12 | 36 |
45 | 24 |
29 |
通常版 | 1559 |
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つつい | さだつぐ |
僧侶 | 基督教 | 54 |
(1562-1615)豊臣家臣。慈明寺順国の子。叔父・順慶の養子となり、家督を継ぐ。のち素行不良のため改易された。大坂冬の陣の際、大坂方に内通した罪で自害させられた。
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筒井 |
定次 |
34 | 33 | 18 |
57 | 24 |
09 |
通常版 | 1577 |
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おのざき | つぐみち |
国人 | 神仏 | 69 |
(1562-1630)常陸の豪族。額田城主。佐竹家に属したが自立性が強く何度も主家に反抗した。のちに謀叛を起こすが敗れ、松平忠輝などに仕えた。画に巧みであったという。
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小野崎 |
従通 |
29 | 16 | 30 |
57 | 25 |
71 |
通常版 | 1577 |
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ほうじょう | うじかつ |
武士 | 神仏 | 53 |
(1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。
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北条 |
氏勝 |
28 | 27 | 23 |
42 | 25 |
87 |
通常版 | 1574 |
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ひらおか | よりかつ |
武士 | 神仏 | 48 |
(1560-1607)小早川家臣。諸国を放浪後、豊臣家を経て小早川家の家老となる。関ヶ原合戦では黒田長政に通じ主君・秀秋を東軍に寝返らせた。秀秋死後は徳川家に仕えた。
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平岡 |
頼勝 |
40 | 27 | 60 |
47 | 25 |
23 |
通常版 | 1575 |
収拾 |
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