武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
もりおか | のぶもと |
武士 | 神仏 | 51 |
(1556-1606)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。石川高信との戦いに参加して和徳城を攻略、城主となる。のちに為信から叛意を疑われ謀殺された。
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森岡 |
信元 |
15 | 55 | 18 |
54 | 36 |
16 |
通常版 | 1571 |
斉射・1 |
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まかべ | うじもと |
剣豪 | 神仏 | 73 |
(1550-1622)常陸の豪族。真壁城主。佐竹家に従う。刀槍の代わりに約一丈の木杖を振り回して武勇を示し「鬼真壁」と恐れられた。のちに佐竹家の秋田転封に従った。
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真壁 |
氏幹 |
6 | 72 | 32 |
20 | 29 |
16 |
通常版 | 1565 |
槍衾・1 |
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うつのみや | ひろつな |
武士 | 神仏 | 38 |
(1543-1580)宇都宮家21代当主。尚綱の嫡男。佐竹義昭の娘を娶り同盟を結ぶ。また、芳賀高定とともに、北条家と結ぶ領内の反宇都宮勢力と戦った。病弱だったという。
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宇都宮 |
広綱 |
59 | 39 | 27 |
45 | 57 |
16 |
通常版 | 1558 |
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はが | たかさだ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1529-1588)宇都宮家臣。益子勝宗の子。芳賀高経の死後、芳賀家を継ぐ。壬生家に乗っ取られた宇都宮城を奪還し、宿老として国政に参画、主家の勢力回復に尽力した。
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芳賀 |
高定 |
72 | 57 | 73 |
66 | 84 |
16 |
通常版 | 1544 |
槍衾・1 |
挑発 |
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おかべ | ながもり |
武士 | 神仏 | 65 |
(1568-1632)徳川家臣。正綱の子。長久手合戦などで戦功を立て、主君・家康が関東に入部した際に上総・下総で1万2千石を与えられた。のちに丹波亀山2万石を領した。
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岡部 |
長盛 |
53 | 25 | 33 |
45 | 41 |
16 |
通常版 | 1583 |
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ながお | はるかげ |
守護代 | 神仏 | 45 |
(1509-1553)越後の戦国大名。為景の嫡男。父の死後に家督を継ぐ。しかし病弱で統率力に欠けたため諸将から反発を受け、上杉定実の調停のもと弟・景虎に家督を譲った。
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長尾 |
晴景 |
39 | 25 | 13 |
45 | 24 |
16 |
通常版 | 1524 |
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いろべ | かつなが |
国人 | 神仏 | 76 |
(1493-1568)上杉家臣。平林城主。上条定憲の乱の際は一時上条方に属す。川中島合戦で活躍し、感状を授かった。謀叛を起こした本庄繁長の居城・村上城を攻囲中に病死。
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色部 |
勝長 |
27 | 58 | 37 |
36 | 50 |
16 |
通常版 | 1508 |
突撃・1 |
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いろべ | ながざね |
国人 | 神仏 | 38 |
(1555-1592)上杉家臣。平林城主。勝長の子。兄・顕長の死後、家督を継ぐ。出羽仙北一揆の鎮圧などで活躍した。豊臣秀吉の朝鮮派兵に従軍した際、大病を患い死去した。
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色部 |
長実 |
36 | 50 | 49 |
41 | 61 |
16 |
通常版 | 1570 |
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さがわ | のぶとし |
武士 | 神仏 | 45 |
(1580-1624)松浦家臣。朝鮮派兵では渡海。一時福島正則に属すが、正則の改易後は松浦家に戻る。外国商館との折衝や財政整理の断行など、内政や外交に辣腕を振るった。
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佐川 |
信利 |
66 | 27 | 52 |
63 | 59 |
16 |
PK追加 | 1595 |
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わきざか | やすもと |
武士 | 神仏 | 70 |
(1584-1653)徳川家臣。安治の子。父の死後、伊予大洲5万3千石を継ぐ。のち信濃飯田5万5千石に転封された。子孫の代に播磨竜野5万3千石となり明治維新を迎えた。
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脇坂 |
安元 |
52 | 54 | 35 |
45 | 42 |
16 |
PK追加 | 1599 |
斉射・1 |
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