武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
かさい | はるたね |
守護 | 神仏 | 59 |
(1497-1555)葛西家15代当主。晴重の次男。寺池城主。兄・守信とその養子・晴清(伊達稙宗の子)がともに早世したため、家督を継ぐ。将軍・足利義晴の偏諱を受けた。
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葛西 |
晴胤 |
42 | 36 | 44 |
48 | 52 |
76 |
通常版 | 1512 |
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かさい | としのぶ |
守護 | 神仏 | 57 |
(1579-1635)伊達家臣。父・重俊は胤重(晴信の弟)の子。兄・重信は宇和島伊達家に仕えて宇和島に赴いた。馬術の名手として知られ、京都で数回、妙技を披露している。
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葛西 |
俊信 |
9 | 60 | 4 |
51 | 76 |
76 |
通常版 | 1594 |
突撃・1 |
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かしやま | あきよし |
武士 | 神仏 | 66 |
(1530-1595)葛西家臣。大林城主。柏山家は奥州千葉家の一族。胆沢郡の惣領職を務め、家中屈指の軍事力を誇っていた。葛西・大崎一揆で総大将を務めた柏山明宗の父。
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柏山 |
明吉 |
35 | 64 | 57 |
33 | 53 |
76 |
通常版 | 1545 |
槍衾・1 |
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おやま | あきなが |
武士 | 神仏 | 30 |
(1557-1586)葛西家臣。柏山明吉の三男。小山城主。弟・折居明久とともに領内屈指の荒武者といわれる。1581年の柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害した。
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小山 |
明長 |
8 | 54 | 48 |
35 | 29 |
76 |
通常版 | 1572 |
突撃・1 |
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おりい | あきひさ |
武士 | 神仏 | 35 |
(1561-1595)葛西家臣。柏山明吉の四男。折居館主。領内屈指の荒武者といわれ、柏山家内乱の際には家老・三田将監を殺害。葛西・大崎一揆では叛乱軍の総帥となった。
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折居 |
明久 |
6 | 57 | 27 |
34 | 23 |
76 |
通常版 | 1576 |
槍衾・1 |
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むやり | しげのぶ |
武士 | 神仏 | 66 |
(1526-1591)葛西家臣。武鑓城主。富沢家の叛乱鎮定や、浜田家と熊谷家の兵乱鎮圧などに従軍し、活躍した。桃生郡深谷において弟の儀信とともに伊達政宗に謀殺された。
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武鑓 |
重信 |
21 | 47 | 45 |
46 | 63 |
76 |
通常版 | 1541 |
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ふじた | のぶよし |
武士 | 神仏 | 58 |
(1559-1616)武田家臣。主家滅亡後は上杉家に仕え、佐渡攻略などに活躍した。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川家間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。
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藤田 |
信吉 |
43 | 52 | 58 |
37 | 19 |
76 |
通常版 | 1574 |
斉射・1 |
挑発 |
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あそ | これまさ |
僧侶 | 神仏 | 58 |
(1526-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。阿蘇大宮司を務めた。大友家に属す。家臣・甲斐親直の助力で、龍造寺家および島津家と和平交渉を行い、領国を維持した。
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阿蘇 |
惟将 |
54 | 44 | 45 |
63 | 77 |
76 |
通常版 | 1541 |
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あそ | これみつ |
僧侶 | 神仏 | 12 |
(1582-1593)肥後の豪族。岩尾城主。惟種の子。わずか3歳で阿蘇大宮司となる。豊臣秀吉に降り、佐々成政に仕えるが、肥後国人一揆を扇動したとの讒言により殺された。
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阿蘇 |
惟光 |
25 | 23 | 10 |
40 | 55 |
76 |
通常版 | 1597 |
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かい | ちかひで |
武士 | 神仏 | 50 |
(1538-1587)阿蘇家臣。肥後御船城主。宗運の子。島津軍に敗れて和睦するが、大友家との連絡を警戒され、肥後八代に抑留された。国人一揆に加担し、敗走中に討たれた。
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甲斐 |
親英 |
49 | 36 | 54 |
57 | 43 |
76 |
通常版 | 1553 |
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