武将姓 | 武将名 | 出自 | 信心 | 寿命 | (生年-没年) | |||
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 | 教養 | 義理 | 相性 | 列伝 |
あそ | これとよ | 僧侶 | 神仏 | 67 | (1493-1559)肥後の豪族。岩尾城主。兄・惟長に一時居城を追われるが、家臣・甲斐親宣の助力で阿蘇大宮司職に復した。のちに禁裏修理料を献上し、勅使の下向を迎えた。 | |||
阿蘇 | 惟豊 | 68 | 45 | 65 | 68 | 46 | 74 | |
通常版 | 1508 | 斉射・1 | 鼓舞 | |||||
あそ | これまさ | 僧侶 | 神仏 | 58 | (1526-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。阿蘇大宮司を務めた。大友家に属す。家臣・甲斐親直の助力で、龍造寺家および島津家と和平交渉を行い、領国を維持した。 | |||
阿蘇 | 惟将 | 54 | 44 | 45 | 63 | 77 | 76 | |
通常版 | 1541 | |||||||
あそ | これたね | 僧侶 | 神仏 | 45 | (1539-1583)肥後の豪族。岩尾城主。惟豊の子。兄・惟将に男子がなかったため、兄の養子となって家督を継ぎ、阿蘇大宮司に就任した。しかしそのわずか1カ月後に死去。 | |||
阿蘇 | 惟種 | 43 | 36 | 39 | 53 | 59 | 74 | |
通常版 | 1554 | |||||||
あそ | これみつ | 僧侶 | 神仏 | 12 | (1582-1593)肥後の豪族。岩尾城主。惟種の子。わずか3歳で阿蘇大宮司となる。豊臣秀吉に降り、佐々成政に仕えるが、肥後国人一揆を扇動したとの讒言により殺された。 | |||
阿蘇 | 惟光 | 25 | 23 | 10 | 40 | 55 | 76 | |
通常版 | 1597 |