武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あなやま | ばいせつ |
武士 | 神仏 | 42 |
(1541-1582)武田家臣。一門衆の筆頭格。合戦ではおもに本陣を守った。武田家滅亡後は、徳川家康に降る。本能寺の変を知り、堺から本国へ帰る途中で何者かに討たれた。
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穴山 |
梅雪 |
66 | 17 | 46 |
67 | 15 |
58 |
通常版 | 1556 |
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あきやま | のぶとも |
武士 | 神仏 | 49 |
(1527-1575)武田家臣。伊那衆を統率する。徳川家康に「武田軍の猛牛」と評されたほどの猛将。岩村城に籠城して織田信長軍と戦うが、敗れて捕虜となり、磔刑にされた。
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秋山 |
信友 |
63 | 63 | 67 |
54 | 80 |
58 |
通常版 | 1542 |
突撃・1 |
破壊 |
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すずき | しげかね |
国人 | 一向宗 | 50 |
(1540-1589)紀伊の豪族。佐大夫重意の子。平井に住み「平井の孫市」と呼ばれた。思慮深い人物で、雑賀党の背後にあって部族間の調整や政治工作といった役割を担った。
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鈴木 |
重兼 |
74 | 40 | 75 |
63 | 69 |
58 |
通常版 | 1555 |
混乱 |
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たけうち | ひさもり |
国人 | 神仏 | 93 |
(1503-1595)美作の豪族。一ノ瀬城主。宇喜多直家の美作侵攻軍に敗れ、その臣下となる。戦場における組み討ちを基本とした日本最古の柔術流派・竹内流柔術を創始した。
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竹内 |
久盛 |
9 | 55 | 22 |
31 | 39 |
58 |
通常版 | 1518 |
槍衾・1 |
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おおにし | よりたけ |
国人 | 神仏 | 60 |
(1519-1578)阿波の豪族。白地城主。出雲守と称す。大西家は三好郡大西村の出身。三好郡や讃岐豊田郡などを侵略し、大井荘として支配した。長宗我部軍との戦いで戦死。
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大西 |
頼武 |
28 | 45 | 51 |
31 | 46 |
58 |
通常版 | 1534 |
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なべしま | きよふさ |
武士 | 神仏 | 74 |
(1512-1585)龍造寺家臣。清久の子。田手畷合戦において父とともに龍造寺軍を救い、龍造寺家純の娘を娶る。のち主君・隆信の母・慶ァ尼と再婚し、主家との絆を深めた。
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鍋島 |
清房 |
46 | 54 | 51 |
49 | 66 |
58 |
通常版 | 1527 |
突撃・1 |
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なべしま | なおしげ |
武士 | 神仏 | 81 |
(1538-1618)龍造寺家臣。清房の子。主家の発展に貢献した知勇兼備の将。主君・政家を後見して国政を執った。関ヶ原合戦で東軍に属し、戦後、肥前の支配権を獲得した。
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鍋島 |
直茂 |
83 | 81 | 81 |
72 | 44 |
58 |
通常版 | 1553 |
突撃・2 |
鉄壁 |
破壊 |
なべしま | かつしげ |
武士 | 神仏 | 78 |
(1580-1657)肥前佐賀藩主。直茂の嫡男。関ヶ原合戦で西軍に属すが、巧みな事後処理で所領を安堵される。島原の乱の際は、多大な犠牲を払いながらも乱鎮圧に貢献した。
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鍋島 |
勝茂 |
70 | 61 | 51 |
65 | 65 |
58 |
通常版 | 1595 |
斉射・1 |
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ひらた | みつむね |
武士 | 神仏 | 77 |
(1529-1605)島津家臣。宗秀の次男。日向石城攻めや肥後堅志田攻め、沖田畷合戦など各地で戦功を立てた。のちに肥後八代城を守った。老中として主君・貴久を補佐した。
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平田 |
光宗 |
46 | 42 | 48 |
52 | 49 |
58 |
通常版 | 1544 |
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ほどはら | ぎょうとう |
武士 | 神仏 | 83 |
(1538-1620)二階堂家臣。保土原家は二階堂家庶流。伊達政宗が主家を攻めた際に内応し、以後は伊達家に仕える。のちに伊達家の一家に準ぜられた。文章をよくした。
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保土原 |
行藤 |
36 | 24 | 57 |
63 | 22 |
58 |
PK追加 | 1553 |
鼓舞 |
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