武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
すずき | しげやす |
国人 | 一向宗 | 40 |
(1541-1580)紀伊雑賀の鈴木家の一族という。本願寺から加賀に派遣され、鳥越城を築いて加賀の一向宗門徒を指導した。のちに柴田勝家に討たれ、首級は安土に送られた。
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鈴木 |
重泰 |
18 | 54 | 50 |
29 | 50 |
51 |
通常版 | 1556 |
斉射・1 |
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すずき | しげおき |
国人 | 一向宗 | 71 |
(1515-1585)紀伊の豪族。雑賀城主。鉄砲で武装した傭兵集団・雑賀党を率い、本願寺と結んで織田信長と戦った。のち紀伊に入った豊臣家臣・藤堂高虎に欺かれ自害した。
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鈴木 |
重意 |
42 | 80 | 63 |
46 | 82 |
57 |
通常版 | 1530 |
斉射・3 |
破壊 |
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すずき | しげかね |
国人 | 一向宗 | 50 |
(1540-1589)紀伊の豪族。佐大夫重意の子。平井に住み「平井の孫市」と呼ばれた。思慮深い人物で、雑賀党の背後にあって部族間の調整や政治工作といった役割を担った。
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鈴木 |
重兼 |
74 | 40 | 75 |
63 | 69 |
58 |
通常版 | 1555 |
混乱 |
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すずき | しげひで |
国人 | 一向宗 | 40 |
(1546-1585)紀伊の豪族。佐大夫重意の子。通称「雑賀孫市」。雑賀の鉄砲衆を率いて石山本願寺に入り、織田信長の軍を苦しめた。石山開城後は豊臣秀吉に仕えたという。
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鈴木 |
重秀 |
11 | 88 | 82 |
38 | 70 |
57 |
通常版 | 1561 |
斉射・2 |
神速 |
破壊 |
すずき | しげとも |
国人 | 一向宗 | 63 |
(1561-1623)豊臣家臣。重秀の子。朝鮮派兵に参加した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功を立てた。戦後、浪人したのち水戸徳川家に仕えた。
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鈴木 |
重朝 |
13 | 70 | 69 |
51 | 49 |
52 |
通常版 | 1576 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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