武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
あさくら | かげのり |
守護代 | 神仏 | 70 |
(1503-1572)朝倉家臣。朝倉家3代当主・貞景の子。朝倉宗滴の養子となる。敦賀城主を務め養父とともに加賀や若狭、近畿などを転戦し活躍した。のち敦賀郡司となった。
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朝倉 |
景紀 |
51 | 46 | 46 |
54 | 50 |
52 |
通常版 | 1518 |
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あぐい | かげたけ |
守護代 | 神仏 | 40 |
(1536-1575)朝倉家臣。景隆の子。姉川合戦では朝倉軍の総大将として奮戦。主家滅亡後は織田信長に属すが、一向一揆に降伏したため、信長の怒りを買い自害させられた。
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安居 |
景健 |
22 | 55 | 29 |
54 | 18 |
52 |
通常版 | 1551 |
突撃・1 |
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ほんがんじ | しょうにょ |
僧侶 | 一向宗 | 39 |
(1516-1554)本願寺10世法主。日蓮宗徒と六角定頼に山科本願寺を焼き討ちされ、石山本願寺に本山を移した。蓮如の書状を集めて出版し、諸方の末寺や門徒に配った。
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本願寺 |
証如 |
81 | 72 | 69 |
79 | 70 |
52 |
通常版 | 1531 |
槍衾・2 |
鼓舞 |
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しもづま | らいりゅう |
僧侶 | 一向宗 | 60 |
(1521-1580)石山本願寺の坊官。顕如が本願寺11世法主に就任した際に坊官に就任した。茶の湯を好み、「天王寺屋会記」に津田宗達らを招いて茶会を開いた記録が残る。
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下間 |
頼竜 |
54 | 41 | 51 |
68 | 51 |
52 |
通常版 | 1536 |
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しもづま | らいれん |
僧侶 | 一向宗 | 90 |
(1537-1626)本願寺の坊官。石山合戦において法主・顕如に代わって全軍を指揮、織田信長に対し徹底抗戦を挑んだ。信長の死後、豊臣秀吉から本願寺町奉行に任じられた。
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下間 |
頼廉 |
21 | 84 | 81 |
53 | 77 |
52 |
通常版 | 1552 |
斉射・2 |
神速 |
破壊 |
そごう | かずまさ |
守護代 | 神仏 | 30 |
(1532-1561)三好家臣。三好元長の四男。十河家を継ぎ、十河城主となる。家中随一の猛将として鳴らし「鬼十河」の異名をとった。有馬権現への参詣途中に落馬し、死去。
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十河 |
一存 |
17 | 73 | 47 |
49 | 61 |
52 |
通常版 | 1547 |
突撃・2 |
破壊 |
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みよし | よしつぐ |
守護代 | 神仏 | 25 |
(1549-1573)十河一存の子。三好長慶の死後、三好三人衆の後見で宗家を継ぐ。織田信長に降るが、京を追われた足利義昭を保護したため、織田軍の攻撃を受け、敗死した。
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三好 |
義継 |
39 | 45 | 32 |
54 | 66 |
52 |
通常版 | 1564 |
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あらき | どうくん |
国人 | 神仏 | 52 |
(1535-1586)池田家臣。有岡城主。のちに織田家に仕えて摂津経略を担当するが、本願寺・毛利家と結び謀叛を起こして敗れ、逃亡。茶人となり、利休七哲の1人となった。
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荒木 |
道薫 |
36 | 64 | 38 |
72 | 25 |
52 |
通常版 | 1550 |
槍衾・1 |
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いけだ | かつまさ |
国人 | 神仏 | 40 |
(1539-1578)摂津の豪族。池田城主。長正の子。織田信長の畿内平定軍に降り、伊丹家・和田家とともに「摂津三守護」と称されるが三好家に通じた一族により追放された。
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池田 |
勝正 |
28 | 32 | 30 |
46 | 54 |
52 |
通常版 | 1554 |
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すずき | しげとも |
国人 | 一向宗 | 63 |
(1561-1623)豊臣家臣。重秀の子。朝鮮派兵に参加した。関ヶ原合戦では西軍に属し、伏見城を守る鳥居元忠を討つ戦功を立てた。戦後、浪人したのち水戸徳川家に仕えた。
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鈴木 |
重朝 |
13 | 70 | 69 |
51 | 49 |
52 |
通常版 | 1576 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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おおにし | よりはる |
国人 | 神仏 | 35 |
(1544-1578)阿波の豪族。白地城主。上野介と称す。大西家は清和源氏小笠原家または近藤家の流れをくむという。父・頼武とともに伊予で長宗我部元親と戦い、戦死した。
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大西 |
頼晴 |
40 | 32 | 16 |
29 | 50 |
52 |
通常版 | 1559 |
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きたのがわ | ちかやす |
武士 | 神仏 | 50 |
(1534-1583)西園寺家臣。三滝城主。西園寺十五将の1人。長宗我部家臣・波川玄蕃の娘を娶ったが、のちに玄蕃が謀叛を企てたため長宗我部元親の攻撃を受け、敗死した。
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北之川 |
親安 |
45 | 39 | 37 |
40 | 34 |
52 |
通常版 | 1549 |
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こたべ | かつなり |
武士 | 神仏 | 60 |
(1560-1619)二本松畠山家臣。騎戦に長け、単騎で敵陣を破ること多く、乗込大学の異名をとる。主家滅亡後は浪人生活を経て伊達家に仕え、武頭役として3百石を領した。
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小田辺 |
勝成 |
8 | 64 | 12 |
42 | 73 |
52 |
PK追加 | 1575 |
突撃・1 |
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