武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おのぎ | しげつぐ |
武士 | 神仏 | 38 |
(1563-1600)豊臣家臣。小田原征伐などに従軍し、丹波福智山4万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、田辺城を落城させるが、西軍主力が敗北したため開城、自害した。
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小野木 |
重次 |
46 | 49 | 41 |
35 | 72 |
06 |
通常版 | 1578 |
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わきざか | やすはる |
武士 | 神仏 | 73 |
(1554-1626)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀吉の中国征伐の際に「丹波の赤鬼」赤井直正を討ち取る功を立てた。関ヶ原合戦では東軍に寝返り所領を安堵された。
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脇坂 |
安治 |
22 | 55 | 36 |
35 | 17 |
06 |
通常版 | 1569 |
槍衾・1 |
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まつくら | しげのぶ |
武士 | 神仏 | 51 |
(1543-1593)筒井家臣。島清興・森好之とともに、筒井家三老臣の1人に数えられる。主君・定次が伊賀上野に転封となった際は、伊賀名張城を築き、8千3百石を領した。
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松倉 |
重信 |
61 | 41 | 63 |
63 | 68 |
06 |
通常版 | 1558 |
収拾 |
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あかな | もりきよ |
武士 | 神仏 | 67 |
(1529-1595)尼子家臣。瀬戸山城主。光清の三男。父の壮烈な死に感動した主君・晴久により所領を加増された。のち毛利元就の出雲侵攻軍に降り、以後は毛利家に属した。
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赤穴 |
盛清 |
46 | 32 | 45 |
44 | 20 |
06 |
通常版 | 1544 |
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させ | きよむね |
武士 | 神仏 | 50 |
(1521-1570)尼子家臣。次席家老を務めた。おもに内政面で活躍したが、毛利元就の居城・吉田郡山城攻撃にも従軍した。元就の出雲侵攻軍に最後まで抵抗するが降伏した。
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佐世 |
清宗 |
54 | 32 | 42 |
54 | 54 |
06 |
通常版 | 1536 |
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くろだ | もとたか |
武士 | 神仏 | 62 |
(1524-1585)小寺家臣。姫路城主。播磨の豪族・香山重道を討つ功を立てたため、主君・政職の養女を娶り、家老に就任した。のちに「小寺」姓と「職」の一字を拝領した。
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黒田 |
職隆 |
68 | 45 | 63 |
67 | 45 |
06 |
通常版 | 1539 |
鼓舞 |
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くろだ | よしたか |
武士 | 基督教 | 59 |
(1546-1604)豊臣家臣。主君・秀吉の参謀を務め、秀吉の天下統一に大きく貢献した。しかしその卓抜した戦略的手腕を恐れられ、禄高は豊前中津12万石におさえられた。
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黒田 |
孝高 |
81 | 81 | 88 |
73 | 35 |
06 |
通常版 | 1561 |
斉射・2 |
破壊 |
混乱 |
もり | とものぶ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1556-1615)黒田家臣。後藤基次と双璧をなした家中屈指の猛将。福島正則が大杯に満たした酒を呑み干し、名槍「日本号」を拝領した。その姿は今も「黒田節」に残る。
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母里 |
友信 |
11 | 72 | 36 |
28 | 82 |
06 |
通常版 | 1571 |
槍衾・1 |
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まつくら | しげまさ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1571-1630)筒井家臣。重信の子。主家の改易後は徳川家に属す。大坂の陣後、肥前島原城主となるが、重税や切支丹弾圧などの圧政を行い、島原の乱の原因を作った。
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松倉 |
重政 |
12 | 46 | 8 |
15 | 22 |
06 |
PK追加 | 1586 |
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