武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
たむら | たかあき |
高家 | 神仏 | 63 |
(1512-1574)陸奥の豪族。三春城主。伊達稙宗の娘を娶る。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は舅・稙宗に与力した。佐竹義重・石川昭光の連合軍を破ったのちに急逝した。
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田村 |
隆顕 |
39 | 67 | 48 |
38 | 24 |
54 |
通常版 | 1527 |
突撃・1 |
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なす | たかすけ |
高家 | 神仏 | 32 |
(1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。
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那須 |
高資 |
32 | 69 | 13 |
46 | 41 |
54 |
通常版 | 1535 |
槍衾・1 |
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あたぎ | ふゆやす |
守護代 | 神仏 | 35 |
(1530-1564)三好家臣。三好元長の三男。安宅家を継ぎ、淡路水軍を統率。兄・三好長慶を助けて活躍したが、松永久秀の讒言により兄に殺された。歌や書、茶道に長じた。
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安宅 |
冬康 |
47 | 55 | 47 |
64 | 64 |
54 |
通常版 | 1545 |
槍衾・1 |
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あたぎ | のぶやす |
守護代 | 神仏 | 30 |
(1549-1578)織田家臣。冬康の子。父の死後家督を継ぎ、淡路水軍を率いる。はじめ石山本願寺と結ぶが、織田信長の畿内平定軍に降り、木津川口合戦で毛利水軍と戦った。
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安宅 |
信康 |
43 | 35 | 36 |
54 | 42 |
54 |
通常版 | 1564 |
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しみず | むねはる |
国人 | 神仏 | 46 |
(1537-1582)毛利家臣。高松城主。織田信長の中国征伐軍に頑強に抵抗したが、羽柴秀吉による「水攻め」に遭い苦戦を強いられる。城兵の助命を条件に和睦し、自害した。
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清水 |
宗治 |
18 | 74 | 54 |
63 | 85 |
54 |
通常版 | 1552 |
槍衾・1 |
鉄壁 |
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ないとう | たかはる |
重臣 | 神仏 | 73 |
(1528-1600)大内家臣。主家滅亡後は毛利家に属す。姉が毛利隆元の妻という縁から重用され防長両国の治安維持に尽力した。晩年は大坂に上り、中央情勢を本国に伝えた。
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内藤 |
隆春 |
59 | 23 | 42 |
56 | 51 |
54 |
通常版 | 1543 |
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さいおんじ | さねみつ |
高家 | 神仏 | 62 |
(1511-1572)伊予の豪族。黒瀬城主。宇都宮豊綱との戦いで嫡子・公高を失い、甥・公広を養子に迎えた。文武に優れ、上洛した際には三条公朝邸での和歌会に列席した。
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西園寺 |
実充 |
60 | 54 | 63 |
71 | 64 |
54 |
通常版 | 1526 |
斉射・1 |
混乱 |
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さいおんじ | きんひろ |
高家 | 神仏 | 50 |
(1538-1587)伊予の豪族。黒瀬城主。叔父・実充の養子となり家督を継ぐ。のちに豊臣秀吉の四国征伐軍に降るが、西園寺旧臣の叛乱を警戒した戸田勝隆により謀殺された。
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西園寺 |
公広 |
45 | 36 | 26 |
60 | 52 |
54 |
通常版 | 1553 |
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どい | きよむね |
武士 | 神仏 | 78 |
(1483-1560)西園寺家臣。伊予大森城主。西園寺十五将の1人。土佐一条家や大友家の侵攻軍をたびたび撃退し、主君・実充から厚い信頼を受けた。大友家との戦いで戦死。
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土居 |
清宗 |
56 | 54 | 63 |
63 | 66 |
54 |
通常版 | 1498 |
突撃・1 |
破壊 |
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どい | きよよし |
武士 | 神仏 | 84 |
(1546-1629)西園寺家臣。伊予大森城主。西園寺十五将の1人。一時土佐へ逃れるが、土佐一条家の援助で復帰し、各地で活躍した。知略勇武で知られ「清良記」を著した。
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土居 |
清良 |
51 | 50 | 58 |
73 | 70 |
54 |
通常版 | 1561 |
斉射・1 |
混乱 |
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