武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
こんどう | よしたけ |
国人 | 神仏 | 70 |
(1569-1638)松前藩士。袮保田館主・近藤季常の末裔という。公卿・花山院忠長が蝦夷に配流された際は、接待役を務めた。大坂夏の陣では主君・慶広に従って出陣した。
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近藤 |
義武 |
54 | 39 | 54 |
57 | 68 |
33 |
通常版 | 1584 |
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なんじょう | ひろつぐ |
国人 | 神仏 | 35 |
(1528-1562)蠣崎家臣。勝山館主。蠣崎季広の長女を娶った。のちに妻が弟の舜広、元広(季広の長男、次男)を毒殺した罪に連座して自害。「逆さ水松」の伝説を残した。
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南条 |
広継 |
34 | 51 | 58 |
47 | 20 |
33 |
通常版 | 1543 |
挑発 |
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あんとう | たかすえ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1492-1551)湊安東家7代当主。宣季の子。父の死後家督を継ぎ、管領細川家の執事から「謹上書衆」に遇された。男子に恵まれず、娘婿・舜季の三男・茂季を養子とした。
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安東 |
堯季 |
49 | 53 | 48 |
49 | 67 |
33 |
通常版 | 1507 |
突撃・1 |
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あさり | かつより |
国人 | 神仏 | 55 |
(1529-1583)出羽の豪族。則頼の次男。安東家と結んで兄・則祐を自害させ、当主となる。のちに津軽家と結び謀叛を企んだため、安東愛季に酒宴へ誘い出され、殺された。
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浅利 |
勝頼 |
43 | 29 | 51 |
32 | 52 |
33 |
通常版 | 1544 |
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あさり | よりひら |
国人 | 神仏 | 45 |
(1554-1598)出羽の豪族。勝頼の子。父が謀殺された後、津軽に身を隠す。のちに安東家の代官として比内を治めるが、軍役金未納の問題が起き、訴訟中に大坂で急死した。
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浅利 |
頼平 |
48 | 27 | 14 |
35 | 27 |
33 |
通常版 | 1569 |
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さとみ | よしたか |
武士 | 神仏 | 63 |
(1512-1574)房総の戦国大名。父・実堯を殺した従兄弟・義豊を討ち、当主となる。国府台合戦では北条氏康に敗れたが、その後も房総に勢力を広げ、北条家と戦い続けた。
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里見 |
義堯 |
51 | 73 | 71 |
54 | 57 |
33 |
通常版 | 1527 |
突撃・1 |
挑発 |
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さとみ | よしひろ |
武士 | 神仏 | 49 |
(1530-1578)房総の戦国大名。義堯の長男。上杉謙信と結んで北条家と争う。国府台合戦では北条軍に敗れたが、のちに勢力を回復した。父の死後、北条家と和議を結んだ。
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里見 |
義弘 |
45 | 59 | 44 |
47 | 47 |
33 |
通常版 | 1545 |
突撃・1 |
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まさき | ときしげ |
武士 | 神仏 | 63 |
(1514-1576)里見家臣。大多喜城主。槍に長じ「槍大膳」の異名をとった。2度の国府台合戦をはじめとする里見家の合戦にはほとんど参陣し、勇名を近隣諸国に轟かせた。
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正木 |
時茂 |
14 | 69 | 39 |
37 | 78 |
33 |
通常版 | 1529 |
槍衾・1 |
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ひらの | ながやす |
武士 | 神仏 | 70 |
(1559-1628)豊臣家臣。賎ヶ岳七本槍の一人。関ヶ原合戦では東軍に属す。大坂の陣直前、徳川家康に大坂城入りを告げたが、危惧した家康に江戸城に留め置かれたという。
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平野 |
長泰 |
28 | 55 | 37 |
28 | 55 |
33 |
通常版 | 1574 |
槍衾・1 |
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ろっかく | じょうてい |
守護 | 基督教 | 78 |
(1521-1598)近江の戦国大名。定頼の子。江南に勢力を伸ばす。三好家に京を追われた足利将軍家を保護し、仲裁に奔走した。のち織田信長の上洛軍に敗れ、所領を失った。
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六角 |
承禎 |
33 | 52 | 36 |
63 | 30 |
33 |
通常版 | 1536 |
斉射・1 |
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ろっかく | よしはる |
守護 | 神仏 | 69 |
(1544-1612)近江の戦国大名。義賢の子。筆頭家老・後藤賢豊を謀殺し、家臣の信頼を失う。織田信長の上洛軍に敗れ、諸国を流浪した。晩年は豊臣秀頼の弓師範を務めた。
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六角 |
義治 |
25 | 32 | 15 |
59 | 16 |
33 |
通常版 | 1559 |
斉射・1 |
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あそう | しげさと |
国人 | 神仏 | 60 |
(1513-1572)筑前の豪族。花尾城主。隆守の弟。相良武任の失脚により城主となる。のちに山鹿城主・麻生隆実と対立。宗像氏貞の支援を得た隆実に敗れ、島津家を頼った。
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麻生 |
鎮里 |
40 | 35 | 34 |
37 | 23 |
33 |
通常版 | 1528 |
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あそう | もとしげ |
国人 | 神仏 | 50 |
(1543-1592)筑前の豪族。山鹿城主。麻生家は遠賀郡山鹿の地頭職を務めた宇都宮家政を祖とする宇都宮家の庶流。豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、のちに筑後へ移封された。
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麻生 |
元重 |
38 | 27 | 51 |
40 | 38 |
33 |
通常版 | 1558 |
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ながお | かげひろ |
武士 | 神仏 | 58 |
(1573-1630)北条家臣。憲景の次男。主家滅亡後は浪人となり、加賀に住む。関ヶ原合戦の直前に上杉家に仕える。大坂の陣には旗本の将として出陣し、前備を務めた。
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長尾 |
景広 |
60 | 13 | 37 |
48 | 60 |
33 |
PK追加 | 1588 |
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