武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
まさき | ときしげ |
武士 | 神仏 | 63 |
(1514-1576)里見家臣。大多喜城主。槍に長じ「槍大膳」の異名をとった。2度の国府台合戦をはじめとする里見家の合戦にはほとんど参陣し、勇名を近隣諸国に轟かせた。
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正木 |
時茂 |
14 | 69 | 39 |
37 | 78 |
33 |
通常版 | 1529 |
槍衾・1 |
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まさき | のりとき |
武士 | 神仏 | 27 |
(1555-1581)里見家臣。時忠または弘季の子という。伯父・時茂の養子となって家督を継ぐ。主君・義頼の強引な家督相続に憤激して謀叛を起こすが敗れ、家臣に殺された。
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正木 |
憲時 |
15 | 63 | 35 |
36 | 89 |
24 |
通常版 | 1570 |
突撃・1 |
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まさき | ときただ |
武士 | 神仏 | 59 |
(1518-1576)里見家臣。勝浦城主。兄・時茂とともに多くの合戦で戦功を立てる。第二次国府台合戦ののち、正木家の存続を優先して北条家に寝返ったが、のちに帰参した。
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正木 |
時忠 |
42 | 52 | 54 |
44 | 26 |
28 |
通常版 | 1533 |
槍衾・1 |
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まさき | よりただ |
武士 | 神仏 | 72 |
(1551-1622)里見家臣。時忠の子。父が北条家に属した際、人質となる。兄・時通の死後、居城・勝浦城に戻った。主家改易後は、紀伊徳川家に仕える子・為春を頼った。
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正木 |
頼忠 |
52 | 42 | 48 |
41 | 38 |
28 |
通常版 | 1566 |
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まさき | ためはる |
武士 | 神仏 | 80 |
(1573-1652)里見家臣。頼忠の子。甥・徳川頼宣(実妹・お万の方の子)が紀伊和歌山藩主となった際、家老として紀伊に赴いた。晩年には仮名草子「あだ物語」を著した。
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正木 |
為春 |
58 | 27 | 44 |
62 | 52 |
28 |
通常版 | 1588 |
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