武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
まさき | のりとき |
武士 | 神仏 | 27 |
(1555-1581)里見家臣。時忠または弘季の子という。伯父・時茂の養子となって家督を継ぐ。主君・義頼の強引な家督相続に憤激して謀叛を起こすが敗れ、家臣に殺された。
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正木 |
憲時 |
15 | 63 | 35 |
36 | 89 |
24 |
通常版 | 1570 |
突撃・1 |
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ぬまた | かげよし |
国人 | 神仏 | 30 |
(1552-1581)上野の豪族。顕泰の子。父が異母兄・朝憲を殺して家臣に反発された際、父とともに会津に逃れる。のちに沼田城奪回の兵を挙げるが、真田昌幸に謀殺された。
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沼田 |
景義 |
5 | 56 | 49 |
40 | 37 |
24 |
通常版 | 1567 |
突撃・1 |
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たかなし | まさより |
国人 | 神仏 | 52 |
(1508-1559)信濃の豪族。信濃中野小館に拠る。高梨家は清和源氏で、高井郡高梨に住んだ井上盛満を始祖とする。武田信玄の北信濃侵攻軍に敗れ越後の長尾景虎を頼った。
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高梨 |
政頼 |
36 | 51 | 45 |
40 | 63 |
24 |
通常版 | 1523 |
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たかなし | ひでまさ |
国人 | 神仏 | 45 |
(1528-1572)信濃の豪族。政頼の子。上杉家に属す。主君・謙信の関東出兵の際には、謙信の居城・春日山城を守った。第四次川中島合戦の際には、上杉軍の先鋒を務めた。
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高梨 |
秀政 |
48 | 45 | 36 |
43 | 50 |
24 |
通常版 | 1543 |
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たかなし | よりちか |
国人 | 神仏 | 47 |
(1557-1603)信濃の豪族。秀政の子。本能寺の変後、上杉景勝から安源寺2千貫の地を安堵され、居城・中野小館に復帰する。のちに景勝の会津移封に従い、居城を去った。
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高梨 |
頼親 |
37 | 36 | 43 |
37 | 45 |
24 |
通常版 | 1572 |
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よだ | のぶしげ |
武士 | 神仏 | 36 |
(1548-1583)武田家臣。信守の子。二俣城主を務め、父とともに徳川軍と戦った。主家滅亡後は徳川家に仕え、信濃攻略に参加するが岩尾城攻撃戦で銃弾を浴び、戦死した。
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依田 |
信蕃 |
19 | 54 | 53 |
45 | 51 |
24 |
通常版 | 1563 |
突撃・1 |
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あかい | なおまさ |
武士 | 神仏 | 49 |
(1530-1578)丹波の豪族。時家の次男。兄・家清の戦死後、若年の甥・忠家を後見した。明智光秀の丹波平定軍を撃退するなど武勇に優れ「丹波の赤鬼」の異名をとった。
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赤井 |
直正 |
27 | 74 | 71 |
46 | 51 |
24 |
通常版 | 1545 |
突撃・1 |
破壊 |
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おだ | まさみつ |
武士 | 神仏 | 50 |
(1509-1558)少弐家臣。肥前蓮池城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人で、隆信と争う。隆信の肥前復帰後は隆信に仕え、江上武種討伐戦で戦死した。
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小田 |
政光 |
64 | 51 | 59 |
55 | 25 |
24 |
通常版 | 1524 |
斉射・1 |
収拾 |
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ありま | はるずみ |
守護 | 神仏 | 84 |
(1483-1566)肥前の豪族。日野江城主。島原半島を中心に勢力を拡大、有馬家最大の版図を築く。また大村家に次男・純忠を入嗣させて和睦、安定した支配体制を確立した。
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有馬 |
晴純 |
76 | 72 | 60 |
67 | 34 |
24 |
通常版 | 1498 |
槍衾・1 |
挑発 |
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おおむら | すみただ |
武士 | 基督教 | 55 |
(1533-1587)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の次男。大村純前の養子となり、家督を継ぐ。長崎を開港し、ポルトガル貿易を行った。日本初の切支丹大名として著名である。
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大村 |
純忠 |
59 | 52 | 40 |
62 | 70 |
24 |
通常版 | 1548 |
槍衾・1 |
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すわ | よりみず |
僧侶 | 神仏 | 72 |
(1570-1641)信濃高島藩主。頼忠の嫡男。父の死後家督を継ぎ、2万7千石を領した。内政に励み領国の安定に尽力。改易され蟄居処分を受けた松平忠輝の身元を預かった。
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諏訪 |
頼水 |
62 | 37 | 51 |
54 | 60 |
24 |
PK追加 | 1585 |
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