武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ありま | はるずみ |
守護 | 神仏 | 84 |
(1483-1566)肥前の豪族。日野江城主。島原半島を中心に勢力を拡大、有馬家最大の版図を築く。また大村家に次男・純忠を入嗣させて和睦、安定した支配体制を確立した。
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有馬 |
晴純 |
76 | 72 | 60 |
67 | 34 |
24 |
通常版 | 1498 |
槍衾・1 |
挑発 |
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ありま | よしさだ |
守護 | 基督教 | 56 |
(1521-1576)肥前の豪族。日野江城主。晴純の嫡男。将軍・足利義晴の相伴衆となった。龍造寺隆信と抗争を展開するが敗北を続け、所領を失った。詩歌に傾倒したという。
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有馬 |
義貞 |
33 | 15 | 18 |
65 | 46 |
22 |
通常版 | 1536 |
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ありま | はるのぶ |
守護 | 基督教 | 46 |
(1567-1612)肥前の豪族。日野江城主。義貞の次男。兄・義純の死後、家督相続。島津家と結び勢力の回復をはかる。のち岡本大八事件を起こし、甲斐で斬罪に処せられた。
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有馬 |
晴信 |
59 | 48 | 28 |
50 | 38 |
21 |
通常版 | 1576 |
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おおむら | すみただ |
武士 | 基督教 | 55 |
(1533-1587)肥前の豪族。三城主。有馬晴純の次男。大村純前の養子となり、家督を継ぐ。長崎を開港し、ポルトガル貿易を行った。日本初の切支丹大名として著名である。
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大村 |
純忠 |
59 | 52 | 40 |
62 | 70 |
24 |
通常版 | 1548 |
槍衾・1 |
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おおむら | よしさき |
武士 | 基督教 | 48 |
(1569-1616)肥前の豪族。三城主。純忠の嫡男。関ヶ原合戦では東軍に属し、所領を安堵される。キリスト教から日蓮宗に転じ、切支丹を迫害したため、のちに毒殺された。
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大村 |
喜前 |
36 | 39 | 25 |
44 | 36 |
21 |
通常版 | 1584 |
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