武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
わだ | あきため |
重臣 | 神仏 | 75 |
(1534-1608)佐竹家臣。一時白河結城家に属すが、義昭・義重・義宣の3代に仕え、内政や外交など各方面で活躍。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際は国元に残り、国政を代行した。
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和田 |
昭為 |
69 | 52 | 60 |
64 | 39 |
22 |
通常版 | 1549 |
斉射・1 |
鼓舞 |
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えど | ただみち |
国人 | 神仏 | 58 |
(1507-1564)常陸の豪族。水戸城主。通泰の子。はじめ佐竹義篤に従うが、義篤の死後、義昭が家督を継ぐと敵対し抗争を繰り返す。のちに和睦し、再び佐竹家に従属した。
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江戸 |
忠通 |
54 | 59 | 48 |
49 | 34 |
22 |
通常版 | 1522 |
槍衾・1 |
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とき | ためより |
国人 | 神仏 | 90 |
(1494-1583)里見家臣。万喜城主。家中屈指の戦上手といわれ「万喜少弼」と呼ばれて恐れられた。第二次国府台合戦後に里見家を離反、北条家に属して里見家と戦った。
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土岐 |
為頼 |
51 | 65 | 71 |
36 | 44 |
22 |
通常版 | 1509 |
槍衾・1 |
破壊 |
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しば | よしかね |
守護 | 神仏 | 61 |
(1540-1600)尾張斯波家15代当主。義統の嫡男。織田広信によって父が殺害されると、織田信長を頼って広信と戦う。のちに信長と敵対して追放され、各地を流浪した。
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斯波 |
義銀 |
24 | 10 | 18 |
32 | 36 |
22 |
通常版 | 1555 |
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ほんだ | としひさ |
国人 | 神仏 | 65 |
(1539-1603)豊臣家臣。はじめ水野半右衛門と名乗り岩倉城主・織田信安に仕えた。のちに豊臣秀長に属し、脇坂安治の転封により高取城主となり、2万5千石を領した。
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本多 |
利久 |
37 | 43 | 29 |
40 | 37 |
22 |
通常版 | 1554 |
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やざわ | よりやす |
国人 | 神仏 | 73 |
(1553-1625)真田家臣。頼綱の子。父に劣らぬ武勇の持ち主で、徳川家との神川合戦の際には右手に9尺柄の大長刀の石突を握って振り回し、片手討ちに敵を倒したという。
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矢沢 |
頼康 |
44 | 64 | 43 |
33 | 66 |
22 |
通常版 | 1568 |
突撃・1 |
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まつら | たかのぶ |
海賊 | 神仏 | 71 |
(1529-1599)肥前の豪族。平戸城主。興信の子。平戸港を拠点として南蛮貿易を行う。豊富な資金力を背景に勢力を拡大するが、のちに龍造寺隆信に敗れ、隆信に従属した。
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松浦 |
隆信 |
75 | 47 | 55 |
65 | 38 |
22 |
通常版 | 1544 |
斉射・1 |
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ありま | よしさだ |
守護 | 基督教 | 56 |
(1521-1576)肥前の豪族。日野江城主。晴純の嫡男。将軍・足利義晴の相伴衆となった。龍造寺隆信と抗争を展開するが敗北を続け、所領を失った。詩歌に傾倒したという。
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有馬 |
義貞 |
33 | 15 | 18 |
65 | 46 |
22 |
通常版 | 1536 |
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やすとみ | すみはる |
武士 | 神仏 | 45 |
(1540-1584)有馬家臣。肥前深江城主。主君・晴信に従い龍造寺隆信と戦うが、のち隆信に属す。これを契機に有馬・龍造寺家間に講和が結ばれた。沖田畷合戦で戦死した。
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安富 |
純治 |
37 | 51 | 40 |
37 | 47 |
22 |
通常版 | 1555 |
斉射・1 |
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こにし | ゆきかげ |
商人 | 基督教 | 32 |
(1569-1600)豊臣家臣。行長の甥。キリスト教に帰依した。関ヶ原合戦では行長の居城・肥後宇土城を守備して加藤清正軍と戦うが、西軍の敗戦を聞いて開城し、自害した。
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小西 |
行景 |
51 | 54 | 41 |
37 | 55 |
22 |
PK追加 | 1584 |
斉射・1 |
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