武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さなだ | ゆきたか |
国人 | 神仏 | 62 |
(1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。
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真田 |
幸隆 |
75 | 74 | 89 |
70 | 70 |
19 |
通常版 | 1528 |
槍衾・2 |
破壊 |
混乱 |
さなだ | のぶつな |
国人 | 神仏 | 39 |
(1537-1575)武田家臣。幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦するが、銃弾に倒れた。
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真田 |
信綱 |
29 | 65 | 45 |
49 | 73 |
19 |
通常版 | 1552 |
突撃・1 |
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さなだ | まさゆき |
国人 | 神仏 | 65 |
(1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
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真田 |
昌幸 |
81 | 87 | 86 |
71 | 48 |
20 |
通常版 | 1562 |
槍衾・1 |
混乱 |
鼓舞 |
さなだ | のぶゆき |
国人 | 神仏 | 93 |
(1566-1658)昌幸の長男。徳川家臣・本多忠勝の娘を娶った縁から、関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節を尽くし、真田家の存続に尽力した。
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真田 |
信幸 |
74 | 63 | 62 |
65 | 80 |
18 |
通常版 | 1581 |
斉射・1 |
収拾 |
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さなだ | ゆきむら |
国人 | 神仏 | 49 |
(1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入り、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
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真田 |
幸村 |
36 | 90 | 81 |
63 | 99 |
20 |
通常版 | 1582 |
突撃・2 |
軍神 |
挑発 |
さなだ | ゆきまさ |
国人 | 神仏 | 16 |
(1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀伊九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入り、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
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真田 |
幸昌 |
14 | 61 | 26 |
49 | 95 |
20 |
通常版 | 1615 |
突撃・1 |
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やざわ | よりつな |
国人 | 神仏 | 80 |
(1518-1597)真田家臣。海野棟綱の子で、真田幸隆の弟。甥・昌幸が上野沼田城を攻略後、沼田城代となる。第一次上田合戦の際は、沼田城を守備した。武勇に秀でた。
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矢沢 |
頼綱 |
61 | 63 | 63 |
39 | 65 |
21 |
通常版 | 1533 |
槍衾・1 |
収拾 |
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やざわ | よりやす |
国人 | 神仏 | 73 |
(1553-1625)真田家臣。頼綱の子。父に劣らぬ武勇の持ち主で、徳川家との神川合戦の際には右手に9尺柄の大長刀の石突を握って振り回し、片手討ちに敵を倒したという。
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矢沢 |
頼康 |
44 | 64 | 43 |
33 | 66 |
22 |
通常版 | 1568 |
突撃・1 |
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