武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
しらかわ | よしちか |
高家 | 神仏 | 86 |
(1541-1626)白河結城家臣。結城顕頼の子。結城義綱の子ともいう。宗家の義顕を追放して宗家を乗っ取る。のちに佐竹義重に敗れ、義重の子・義広を養子に迎え隠居した。
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白河 |
義親 |
43 | 50 | 60 |
47 | 16 |
19 |
通常版 | 1556 |
挑発 |
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あしな | もりしげ |
守護 | 神仏 | 56 |
(1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸に逃れた。
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蘆名 |
盛重 |
47 | 46 | 23 |
41 | 47 |
19 |
通常版 | 1591 |
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さたけ | よしかど |
守護 | 神仏 | 65 |
(1506-1570)佐竹家臣。北家・義信の次男。兄・義住の戦死により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。
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佐竹 |
義廉 |
54 | 34 | 37 |
51 | 55 |
19 |
通常版 | 1521 |
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さたけ | よしつな |
守護 | 神仏 | 50 |
(1538-1587)佐竹家臣。北家・義廉の嫡男。常陸南部方面の総指揮を執り、江戸家などの有力国人の指南にあたった。また、上杉家に書状を発するなど外交活動も行った。
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佐竹 |
義斯 |
56 | 40 | 41 |
54 | 63 |
19 |
通常版 | 1553 |
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さたけ | よしのり |
守護 | 神仏 | 38 |
(1570-1607)佐竹家臣。北家・義斯の嫡男。義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行、植田城に入り岩城家の家政を執行した。主家が出羽秋田に転封された際、これに従った。
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佐竹 |
義憲 |
50 | 29 | 48 |
55 | 44 |
19 |
通常版 | 1585 |
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さなだ | ゆきたか |
国人 | 神仏 | 62 |
(1513-1574)武田家臣。信州先方衆。主君・信玄が攻略出来なかった信濃戸石城を謀略で落城させ、知略は信玄に勝ると賞された。以後、信玄の参謀の1人として活躍する。
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真田 |
幸隆 |
75 | 74 | 89 |
70 | 70 |
19 |
通常版 | 1528 |
槍衾・2 |
破壊 |
混乱 |
さなだ | のぶつな |
国人 | 神仏 | 39 |
(1537-1575)武田家臣。幸隆の長男。父の隠居後、信州先方衆の1人として各地を転戦、勇名を馳せる。長篠合戦では3尺3寸の大刀を振るって奮戦するが、銃弾に倒れた。
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真田 |
信綱 |
29 | 65 | 45 |
49 | 73 |
19 |
通常版 | 1552 |
突撃・1 |
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ながお | ふさなが |
武士 | 神仏 | 50 |
(1503-1552)長尾家臣。魚沼郡上田荘を領した。上条定憲の乱に呼応し主家に敵対する。しかし定憲の戦死、越後守護・上杉定実の死去により劣勢となり、主家と和睦した。
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長尾 |
房長 |
66 | 43 | 65 |
53 | 43 |
19 |
通常版 | 1518 |
鼓舞 |
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ながお | まさかげ |
武士 | 神仏 | 39 |
(1526-1564)上杉家臣。房長の子。父とともに主家に敵対するが和睦し、主君・景虎の姉を娶った。その後は景虎を補佐して活躍するが、宇佐美定満と舟遊び中に溺死した。
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長尾 |
政景 |
63 | 71 | 62 |
60 | 58 |
19 |
通常版 | 1541 |
突撃・1 |
収拾 |
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あかし | かげちか |
武士 | 神仏 | 70 |
(1520-1589)浦上家臣。坂根城主。明禅寺合戦などに従軍した。宇喜多直家が主家の居城・天神山城を攻めた際、直家に通じて主家滅亡の原因を作る。以後は直家に仕えた。
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明石 |
景親 |
56 | 35 | 66 |
61 | 22 |
19 |
通常版 | 1535 |
破壊 |
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あかし | てるずみ |
武士 | 基督教 | 65 |
(1551-1615)宇喜多家臣。景親の子。主家内乱の後は国政を執る。関ヶ原合戦では宇喜多軍の先鋒を務めた。のち大坂城に入り、大坂の陣では切支丹武士を率いて奮戦した。
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明石 |
全登 |
42 | 71 | 54 |
53 | 91 |
19 |
通常版 | 1566 |
斉射・1 |
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