武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さたけ | よしあき |
守護 | 神仏 | 35 |
(1531-1565)佐竹家17代当主。義篤の嫡男。南陸奥の白河結城家を降し、常陸の覇権を巡って小田家と争った。関東管領・上杉憲政が庇護を求めた際は、これを拒否した。
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佐竹 |
義昭 |
78 | 69 | 66 |
58 | 63 |
20 |
通常版 | 1545 |
槍衾・2 |
破壊 |
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さたけ | よししげ |
守護 | 神仏 | 66 |
(1547-1612)佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
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佐竹 |
義重 |
80 | 82 | 79 |
60 | 75 |
20 |
通常版 | 1562 |
突撃・2 |
神速 |
鼓舞 |
さたけ | よしのぶ |
守護 | 神仏 | 64 |
(1570-1633)佐竹家19代当主。義重の嫡男。父に劣らぬ猛将ぶりで知られた。関ヶ原合戦では西軍に属す決意を固くし、徳川家康から「今の世に稀な律儀者」と評された。
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佐竹 |
義宣 |
68 | 72 | 54 |
67 | 86 |
20 |
通常版 | 1585 |
槍衾・1 |
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さなだ | まさゆき |
国人 | 神仏 | 65 |
(1547-1611)幸隆の三男。「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠軍3万8千を数千の兵で翻弄し、秀忠軍を信濃に釘付けにした。
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真田 |
昌幸 |
81 | 87 | 86 |
71 | 48 |
20 |
通常版 | 1562 |
槍衾・1 |
混乱 |
鼓舞 |
さなだ | ゆきむら |
国人 | 神仏 | 49 |
(1567-1615)昌幸の次男。蟄居先の紀伊九度山から大坂城に入り、大坂の陣で寡兵ながらも徳川の大軍を相手に奮戦した。その戦いぶりは「真田日本一の兵」と称賛された。
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真田 |
幸村 |
36 | 90 | 81 |
63 | 99 |
20 |
通常版 | 1582 |
突撃・2 |
軍神 |
挑発 |
さなだ | ゆきまさ |
国人 | 神仏 | 16 |
(1600-1615)幸村の子。父の蟄居先・紀伊九度山で生まれた。父とともに大坂城へ入り、真田丸に出張って奮戦した。夏の陣では城内にあり、落城時に豊臣秀頼に殉じた。
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真田 |
幸昌 |
14 | 61 | 26 |
49 | 95 |
20 |
通常版 | 1615 |
突撃・1 |
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やすだ | ながひで |
国人 | 神仏 | 68 |
(1516-1583)上杉家臣。主君・謙信の側近を務めた。川中島合戦で活躍し「血染めの感状」を受けた。御館の乱では上杉景勝を支持した。新発田重家との交戦中に病死した。
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安田 |
長秀 |
39 | 55 | 48 |
45 | 78 |
20 |
通常版 | 1531 |
突撃・1 |
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いしだ | みつなり |
庶民 | 神仏 | 41 |
(1560-1600)豊臣家臣。五奉行の1人として国政に参画。主君・秀吉の死後、西軍総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗れ、京都で斬首された。
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石田 |
三成 |
88 | 40 | 78 |
73 | 98 |
20 |
通常版 | 1575 |
収拾 |
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おおたに | よしつぐ |
武士 | 神仏 | 42 |
(1559-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦で西軍に属す。親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退するが、寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北、自害した。
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大谷 |
吉継 |
81 | 79 | 80 |
69 | 99 |
20 |
通常版 | 1574 |
槍衾・2 |
鉄壁 |
鼓舞 |
きむら | さだみつ |
武士 | 神仏 | 37 |
(1559-1595)豊臣家臣。常陸介と称す。賤ヶ岳合戦などに従軍し、越前府中10万石を領す。出羽の検地奉行などを務めた。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害させられた。
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木村 |
定光 |
71 | 42 | 57 |
63 | 48 |
20 |
通常版 | 1574 |
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きむら | しげなり |
武士 | 神仏 | 23 |
(1593-1615)豊臣家臣。定光の子という。主君・秀頼の乳兄弟で、小姓を務めた。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大坂夏の陣で井伊直孝軍と戦い、戦死した。
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木村 |
重成 |
14 | 55 | 27 |
53 | 83 |
20 |
通常版 | 1608 |
突撃・1 |
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こにし | ゆきなが |
商人 | 基督教 | 42 |
(1559-1600)豊臣家臣。堺の豪商・小西隆佐の子。朝鮮派兵の際は先鋒を務めた。関ヶ原合戦では西軍に属して戦うが敗れ、斬首された。熱心なキリスト教信者として有名。
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小西 |
行長 |
72 | 51 | 53 |
63 | 61 |
20 |
通常版 | 1574 |
斉射・1 |
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しぶえ | まさみつ |
国人 | 神仏 | 41 |
(1574-1614)佐竹家臣。主君・義宣の絶大な信頼を受け、秋田藩の経略に尽力。独自の検地法「渋江田法」により、藩財政の根幹を固めた。大坂冬の陣に従軍し、戦死した。
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渋江 |
政光 |
77 | 27 | 59 |
64 | 80 |
20 |
PK追加 | 1589 |
混乱 |
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いしだ | しげいえ |
庶民 | 神仏 | 103 |
(1584-1686)三成の子。関ヶ原合戦では人質として大坂城に留まる。戦後、京都寿聖院に入り剃髪。寿聖院住職の助命嘆願により許された。のち寿聖院の三世住職となった。
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石田 |
重家 |
63 | 23 | 40 |
67 | 80 |
20 |
PK追加 | 1599 |
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