武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
ほうじょう | うじくに |
武士 | 神仏 | 57 |
(1541-1597)北条家臣。氏康の三男。上杉家との和睦を成立させた。豊臣秀吉の小田原征伐では出撃を唱えるが退けられる。前田利家に居城・鉢形城を落とされ、降伏した。
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北条 |
氏邦 |
50 | 63 | 55 |
56 | 41 |
87 |
通常版 | 1556 |
突撃・1 |
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ほうじょう | うじかつ |
武士 | 神仏 | 53 |
(1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。
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北条 |
氏勝 |
28 | 27 | 23 |
42 | 25 |
87 |
通常版 | 1574 |
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いたべおか | こうせつさい |
僧侶 | 神仏 | 73 |
(1537-1609)北条家臣。右筆・評定衆を務めた。徳川家康との講和交渉や、豊臣秀吉との折衝など、対外交渉に手腕を発揮した。主家滅亡後は、秀吉に御咄衆として仕えた。
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板部岡 |
江雪斎 |
72 | 2 | 73 |
77 | 33 |
87 |
通常版 | 1552 |
収拾 |
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やまのうち | かずとよ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1546-1605)織田家臣。妻・千代の内助の功が著名。本能寺の変後は豊臣秀吉に属す。関ヶ原合戦の際は居城・掛川城を徳川家康に献上し、戦後、土佐高知24万石を得た。
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山内 |
一豊 |
60 | 42 | 45 |
49 | 21 |
87 |
通常版 | 1561 |
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やまむら | よしかつ |
国人 | 神仏 | 72 |
(1563-1634)木曾家臣。良候の子。関ヶ原合戦では東軍に属し、千村良重とともに木曾を平定する。また犬山城を攻略した。のちに尾張徳川家に仕え、大坂の陣に参加した。
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山村 |
良勝 |
63 | 36 | 53 |
54 | 78 |
87 |
通常版 | 1578 |
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きたじょう | たかひろ |
武士 | 神仏 | 71 |
(1517-1587)上杉家臣。厩橋城主を務め、関東経略を担当するなど活躍した。武田信玄や北条氏康らの誘いに乗り、たびたび謀叛を起こすが、そのたびに許されて帰参した。
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北条 |
高広 |
29 | 72 | 39 |
48 | 6 |
87 |
通常版 | 1532 |
突撃・1 |
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よしひろ | むねゆき |
武士 | 神仏 | 37 |
(1564-1600)大友家臣。鎮信の子。関ヶ原合戦の際に主君・義統の西軍加担案に反対し、東軍加担を主張するが却下された。義統に従って黒田孝高の軍と戦い、戦死した。
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吉弘 |
統幸 |
34 | 55 | 47 |
46 | 82 |
87 |
通常版 | 1579 |
突撃・1 |
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はらだ | のぶたね |
国人 | 神仏 | 39 |
(1560-1598)筑前の豪族。高祖城主。草野鎮永の子。原田隆種の子・親種の死後、養子となり家督を継ぐ。のちに豊臣秀吉に降り、所領を安堵された。朝鮮派兵で戦死した。
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原田 |
信種 |
36 | 47 | 32 |
37 | 46 |
87 |
通常版 | 1575 |
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あんどう | よしなり |
武士 | 神仏 | 61 |
(1534-1594)北条家臣。出納関係の奉行などを担当し家中における政務の中心的存在となる。北条家領国の公定枡「安藤枡」を考案するなど、主家の発展に大きく貢献した。
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安藤 |
良整 |
72 | 4 | 29 |
60 | 60 |
87 |
PK追加 | 1549 |
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ちむら | よししげ |
武士 | 神仏 | 65 |
(1566-1630)木曾家臣。主家改易後、関ヶ原合戦の際に徳川家康に招かれ、家臣となる。徳川秀忠軍の先導役を務め、また木曾を守る西軍の石川貞清を討つなど活躍した。
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千村 |
良重 |
63 | 36 | 54 |
44 | 83 |
87 |
PK追加 | 1581 |
混乱 |
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