武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
のべさわ | みつのぶ |
国人 | 神仏 | 48 |
(1544-1591)最上家臣。はじめ天童家に仕えたが、嫡男・康満に最上義光の娘・松尾を迎える条件で和睦した。大力剛勇の武将で、義光は内心脅威を感じていたという。
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延沢 |
満延 |
9 | 72 | 27 |
19 | 36 |
93 |
通常版 | 1559 |
突撃・1 |
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まつだいら | ただなお |
武士 | 神仏 | 56 |
(1595-1650)結城秀康の嫡男。父の死後家督を継ぐ。大坂の陣では真田幸村軍の突撃を阻止するなど活躍。のちに幾多の不行跡を起こしたため、改易され配流処分となった。
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松平 |
忠直 |
36 | 71 | 18 |
18 | 53 |
93 |
通常版 | 1610 |
斉射・1 |
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えま | ときもり |
国人 | 神仏 | 65 |
(1509-1573)飛騨の豪族。諏訪城主。三木家と争う。武田家と友好を結ぼうとするが、上杉家との関係構築を主張する嫡男・輝盛と対立し、輝盛の刺客によって殺された。
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江馬 |
時盛 |
47 | 31 | 37 |
44 | 37 |
93 |
通常版 | 1524 |
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えま | てるもり |
国人 | 神仏 | 48 |
(1535-1582)飛騨の豪族。時盛の嫡男。意見を異にする父を殺し、弟・信盛を追放して江馬家を掌握した。本能寺の変に乗じて姉小路頼綱の打倒を企むが、逆に討たれた。
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江馬 |
輝盛 |
54 | 50 | 62 |
47 | 4 |
93 |
通常版 | 1550 |
挑発 |
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まつなが | ひさひで |
商人 | 神仏 | 67 |
(1511-1577)三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。のち織田信長に属し、謀叛を起こすが敗れ「平蜘蛛」とともに爆死した。
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松永 |
久秀 |
85 | 63 | 89 |
77 | 1 |
93 |
通常版 | 1526 |
槍衾・1 |
破壊 |
混乱 |
まつなが | ひさみち |
商人 | 神仏 | 40 |
(1538-1577)三好家臣。大和多聞山城主。久秀の子。父に従い、将軍・足利義輝の謀殺などに加担した。のちに織田信長に属すが、父とともに信長に背いて敗れ、自害した。
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松永 |
久通 |
54 | 25 | 72 |
61 | 5 |
93 |
通常版 | 1553 |
破壊 |
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いちじょう | かねさだ |
高家 | 基督教 | 43 |
(1543-1585)土佐一条家4代当主。房基の子。日夜酒色にふける生活を送ったため、家臣たちによって追放された。のちに大友宗麟の後援で旧領回復を企てるが、失敗した。
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一条 |
兼定 |
26 | 6 | 3 |
28 | 22 |
93 |
通常版 | 1558 |
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おじま | まさあき |
武士 | 神仏 | 54 |
(1538-1591)土佐一条家臣。主君・兼定の豊後追放に憤り、兼定を裏切った家臣らの居城を攻撃した。のちに長宗我部元親の土佐平定軍に降り、幡多地方の平定に尽力した。
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小島 |
政章 |
29 | 49 | 46 |
52 | 77 |
93 |
通常版 | 1553 |
斉射・1 |
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たていし | まさよし |
武士 | 神仏 | 60 |
(1565-1624)長宗我部家臣。伊予三滝城攻めなどで功を立てた。関ヶ原合戦で敗れた際は降伏の使者を務める。主家改易後は肥後細川家に仕えた。のち「長元記」を著した。
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立石 |
正賀 |
65 | 21 | 66 |
68 | 54 |
93 |
通常版 | 1580 |
収拾 |
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