武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
くのへ | のぶなか |
国人 | 神仏 | 55 |
(1514-1568)南部家臣。信実の長男。九戸城主。右京と称す。九戸家は南部家の庶流で、南部行連(南部家の始祖・光行の六男)を祖とするという。八戸信長の娘を娶った。
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九戸 |
信仲 |
38 | 53 | 57 |
48 | 22 |
60 |
通常版 | 1529 |
斉射・1 |
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くのへ | まさざね |
国人 | 神仏 | 56 |
(1536-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の死後、弟・実親を後継者に推すが敗れ、叛乱を起こす。南部信直の要請で出陣した豊臣軍相手に善戦するが敗れ、斬首された。
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九戸 |
政実 |
32 | 69 | 37 |
37 | 5 |
60 |
通常版 | 1551 |
突撃・1 |
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くのへ | さねちか |
国人 | 神仏 | 50 |
(1542-1591)南部家臣。信仲の子。南部晴政の次女と結婚し、後継者候補となる。主家に反旗を翻した兄・政実とともに九戸城に籠城し、豊臣軍と戦うが敗れ、斬首された。
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九戸 |
実親 |
29 | 67 | 27 |
38 | 24 |
60 |
通常版 | 1557 |
突撃・1 |
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たかだ | やすざね |
国人 | 神仏 | 42 |
(1553-1594)南部家臣。九戸信仲の子。はじめ高水寺城主・斯波詮真の娘婿となるが、のちに斯波家を出奔、斯波家討伐軍の先鋒を務めた。従兄弟・連尹に斬られ死去した。
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高田 |
康真 |
30 | 19 | 63 |
53 | 16 |
60 |
通常版 | 1568 |
鼓舞 |
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たかぎ | たねとき |
武士 | 神仏 | 45 |
(1542-1586)原家臣。胤吉の子。下野守と称した。上杉謙信の関東遠征の際、一時上杉家に従うが、以後は一貫して北条方の姿勢を貫いた。のちに栗原6カ郷を与えられた。
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高城 |
胤辰 |
44 | 43 | 48 |
42 | 47 |
60 |
通常版 | 1557 |
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みよし | まさかつ |
守護代 | 神仏 | 96 |
(1536-1631)細川家臣。榎並城主。政長の子。父を殺した三好長慶と争う。長慶死後は三好三人衆と和解した。織田信長の畿内平定軍に降った。のち豊臣、徳川家に仕えた。
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三好 |
政勝 |
40 | 45 | 46 |
53 | 51 |
60 |
通常版 | 1551 |
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いけだ | ながまさ |
国人 | 神仏 | 45 |
(1519-1563)摂津の豪族。池田城主。信正の子。父が細川晴元により自害させられたあと、家督を継ぐ。三好長慶に属し、波多野家や河内畠山家との戦いで戦功を立てた。
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池田 |
長正 |
36 | 48 | 27 |
50 | 47 |
60 |
通常版 | 1534 |
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いけだ | ともまさ |
国人 | 神仏 | 60 |
(1544-1603)摂津の豪族。池田城主。長正の子。兄・勝正を追放し、家督を継ぐ。三好三人衆と結んで織田信長に敵対するが、のち降伏。摂津を支配した荒木村重に属した。
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池田 |
知正 |
42 | 48 | 40 |
53 | 35 |
60 |
通常版 | 1559 |
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りゅうぞうじ | いえなり |
武士 | 神仏 | 60 |
(1528-1587)龍造寺家臣。胤久の次男。龍造寺隆信が村中・水ヶ江両家を統一したあとは隆信に従う。少弐家討伐戦で活躍した。のち肥後に赴き、北上する島津軍と戦った。
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龍造寺 |
家就 |
49 | 47 | 41 |
57 | 51 |
60 |
通常版 | 1543 |
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りゅうぞうじ | いえはる |
武士 | 神仏 | 67 |
(1547-1613)龍造寺家臣。鑑兼の子。柳河城攻めなどで活躍した。のちに柳河城主となり、大友軍と戦った。豊臣秀吉の九州征伐後は諫早城主となり、諫早家の祖となった。
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龍造寺 |
家晴 |
41 | 55 | 46 |
46 | 43 |
60 |
通常版 | 1562 |
斉射・1 |
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なりとみ | しげやす |
武士 | 神仏 | 75 |
(1560-1634)龍造寺家臣。各地の合戦で多くの戦功を立て、豊臣秀吉にもその武勇を認められた勇将。のちに肥前佐賀藩主・鍋島家に仕え、土木・水利事業などに従事した。
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成富 |
茂安 |
68 | 59 | 27 |
63 | 64 |
60 |
通常版 | 1575 |
斉射・1 |
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