武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおさき | よしたか |
高家 | 神仏 | 56 |
(1548-1603)大崎家13代当主。義直の子。伊達政宗の軍を1度は退けるが、のちにその傘下に入る。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため改易され、上杉景勝に仕えた。
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大崎 |
義隆 |
43 | 41 | 22 |
49 | 47 |
97 |
通常版 | 1563 |
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いちくり | たかはる |
武士 | 神仏 | 58 |
(1557-1614)大崎家臣。一栗城主。葛西・大崎一揆の際は居城に籠城し、最後まで奮戦する。一揆鎮定後は最上家に仕え、鶴岡城番を務めたが、謀叛を起こして誅せられた。
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一栗 |
高春 |
13 | 55 | 46 |
42 | 21 |
97 |
通常版 | 1572 |
槍衾・1 |
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うじいえ | よしつぐ |
武士 | 神仏 | 55 |
(1537-1591)大崎家臣。岩出山城主。大崎内乱の際には伊場野惣八郎と結び、反主流派の中心人物として活動した。主家の没落後は伊達政宗に仕えたが、間もなく病没した。
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氏家 |
吉継 |
63 | 45 | 58 |
44 | 8 |
97 |
通常版 | 1552 |
収拾 |
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もがみ | よしもり |
武士 | 神仏 | 70 |
(1521-1590)最上家10代当主。2歳で家督を相続する。次男・義時を偏愛して家督を譲ろうとするが、伊達家の騒動に乗じた長男・義光が決起、強制的に隠居させられた。
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最上 |
義守 |
36 | 21 | 18 |
58 | 15 |
97 |
通常版 | 1522 |
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うじいえ | もりむね |
重臣 | 神仏 | 63 |
(1534-1596)最上家臣。定直の子。知略に長け、天童家や白鳥家の討伐に貢献した。また伊達家への使者を務めたり、真室城の攻略で戦功を立てるなど、各方面で活躍した。
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氏家 |
守棟 |
52 | 62 | 72 |
54 | 72 |
97 |
通常版 | 1549 |
突撃・1 |
破壊 |
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うじいえ | みつうじ |
武士 | 神仏 | 60 |
(1568-1627)最上家臣。成沢家の出身で、守棟の跡を継いだ。関ヶ原合戦では、侵攻してきた上杉景勝軍を相手に奮戦する。家親が当主になると、領国の治政を担当した。
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氏家 |
光氏 |
17 | 63 | 44 |
28 | 75 |
97 |
通常版 | 1583 |
突撃・1 |
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しむら | みつやす |
武士 | 神仏 | 45 |
(1565-1609)最上家臣。主君・義光の腹心として活躍し「いかなる強敵も彼には降った」といわれた。関ヶ原合戦の際は長谷堂城を守り、直江兼続の大軍を見事に撃退した。
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志村 |
光安 |
25 | 55 | 62 |
35 | 78 |
97 |
通常版 | 1580 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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たておか | みつしげ |
武士 | 神仏 | 84 |
(1556-1639)最上家臣。湯沢城主。関ヶ原合戦の際には小野寺家の攻撃を受けたが、孤軍奮闘して居城を守り抜いた。知行は最上家臣団の中で最高の4万8千石を領した。
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楯岡 |
満茂 |
36 | 55 | 56 |
42 | 57 |
97 |
通常版 | 1571 |
突撃・1 |
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あさの | よしなが |
武士 | 神仏 | 38 |
(1576-1613)豊臣家臣。長政の嫡男。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、紀伊和歌山37万石を領する。のちに加藤清正と協力し、徳川家康と豊臣秀頼の会見を実現させた。
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浅野 |
幸長 |
62 | 57 | 61 |
48 | 58 |
97 |
通常版 | 1591 |
斉射・1 |
挑発 |
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あさの | ながあきら |
武士 | 神仏 | 47 |
(1586-1632)徳川家臣。長政の次男。兄・幸長の死後紀伊和歌山藩主となる。大坂夏の陣では塙直之を討ち取るなど活躍した。福島家の改易後、安芸広島42万石を領した。
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浅野 |
長晟 |
47 | 48 | 49 |
49 | 48 |
97 |
通常版 | 1601 |
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ふくしま | まさのり |
庶民 | 神仏 | 64 |
(1561-1624)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の筆頭。関ヶ原合戦では東軍の主力として奮戦し、安芸広島49万石を得る。しかし、のちに居城・広島城無断修築の罪で改易された。
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福島 |
正則 |
45 | 83 | 33 |
37 | 88 |
97 |
通常版 | 1576 |
突撃・2 |
神速 |
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きもつき | かねすけ |
武士 | 神仏 | 77 |
(1558-1634)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。兄・良兼の死後家督を継ぐ。伊東家などと結んで島津家に対抗したため、母(島津忠良の娘)と家臣たちに追放された。
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肝付 |
兼亮 |
18 | 7 | 3 |
12 | 16 |
97 |
通常版 | 1573 |
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ふくしま | たかはる |
庶民 | 神仏 | 61 |
(1573-1633)豊臣家臣。正則の弟。関ヶ原の戦いでは東軍に属して伊勢桑名城を攻め、戦後、大和松山3万石を領す。大坂の陣の際、豊臣方への内通を疑われて改易された。
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福島 |
高晴 |
40 | 64 | 38 |
29 | 80 |
97 |
PK追加 | 1588 |
斉射・1 |
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