武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さとみ | よしより |
武士 | 神仏 | 45 |
(1543-1587)房総の戦国大名。義堯の次男。里見梅王丸(兄・義弘の子)に出家を強要し、家督を継ぐ。この一件に憤激し謀叛を起こした正木憲時を討ち、上総を平定した。
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里見 |
義頼 |
43 | 54 | 66 |
46 | 29 |
31 |
通常版 | 1558 |
斉射・1 |
破壊 |
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さとみ | よしやす |
武士 | 神仏 | 31 |
(1573-1603)房総の戦国大名。義頼の子。豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため、安房1国のみを所領安堵された。のちに館山城を築く。関ヶ原合戦では東軍に属した。
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里見 |
義康 |
41 | 43 | 25 |
45 | 65 |
31 |
通常版 | 1588 |
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さとみ | ただよし |
武士 | 神仏 | 29 |
(1594-1622)安房館山藩主。義康の嫡男。大久保忠隣の孫娘を娶る。忠隣失脚に連座、伯耆倉吉に配流された。「南総里見八犬伝」は忠義に殉じた8名の臣がモデルという。
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里見 |
忠義 |
44 | 24 | 15 |
38 | 36 |
31 |
通常版 | 1609 |
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おおた | やすすけ |
重臣 | 神仏 | 51 |
(1531-1581)北条家臣。資高の子。のちに里見家に属し、第二次国府台合戦に従軍した。武田家・上杉家に飛脚を送るなど、外交でも活躍。三十人力の豪傑であったという。
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太田 |
康資 |
22 | 67 | 28 |
43 | 41 |
31 |
通常版 | 1546 |
槍衾・1 |
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おおた | しげまさ |
重臣 | 神仏 | 50 |
(1561-1610)徳川家臣。康資の子。はじめ父とともに里見家に属す。父の死後は、佐竹家に属していた太田資正を頼る。のちに徳川家康に仕えた。妹は家康の側室となった。
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太田 |
重正 |
42 | 29 | 38 |
33 | 66 |
31 |
通常版 | 1576 |
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もうり | てるもと |
武士 | 神仏 | 73 |
(1553-1625)安芸の戦国大名。隆元の嫡男。祖父・元就の死後、家督を継ぐ。豊臣家に属し五大老の1人となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、防長2国に減封された。
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毛利 |
輝元 |
48 | 45 | 23 |
63 | 71 |
31 |
通常版 | 1568 |
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こばやかわ | たかかげ |
武士 | 神仏 | 65 |
(1533-1597)毛利元就の三男。安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陽地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利家の存続をはかって豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった。
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小早川 |
隆景 |
83 | 77 | 81 |
72 | 90 |
31 |
通常版 | 1548 |
斉射・2 |
鉄壁 |
収拾 |
もうり | ひでもと |
武士 | 神仏 | 72 |
(1579-1650)穂井田元清の子。従兄弟・輝元の養子となる。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際は毛利軍を指揮した。関ヶ原合戦の際は主戦場に赴き「宰相殿の空弁当」の逸話を生む。
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毛利 |
秀元 |
45 | 56 | 27 |
54 | 62 |
31 |
通常版 | 1594 |
槍衾・1 |
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ふくはら | さだとし |
武士 | 神仏 | 82 |
(1512-1593)毛利家臣。筆頭家老を務めた。小早川隆景を補佐して山陽方面の経略を行う。主君・元就の死後、四人衆の1人となり当主・輝元を補佐して主家の国政に参画。
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福原 |
貞俊 |
70 | 45 | 72 |
59 | 70 |
31 |
通常版 | 1527 |
斉射・1 |
混乱 |
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あんこくじ | えけい |
僧侶 | 神仏 | 63 |
(1538-1600)毛利家臣。武田信重の子。武田家滅亡時に逃れ出家。外交僧を務めた。織田信長と豊臣秀吉の将来を予言した事で著名。関ヶ原合戦で西軍に属し、斬首された。
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安国寺 |
恵瓊 |
81 | 12 | 76 |
80 | 15 |
31 |
通常版 | 1553 |
混乱 |
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ながお | たねつね |
武士 | 神仏 | 65 |
(1541-1605)神戸家臣。山路紀伊守正幽の長男で、はじめ山路久之丞と称す。織田信雄が神戸城を接収したあとは福島正則に仕え、関ヶ原合戦では岐阜城外で西軍と戦った。
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長尾 |
種常 |
41 | 45 | 49 |
52 | 26 |
31 |
PK追加 | 1556 |
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すえつぐ | もとやす |
武士 | 神仏 | 42 |
(1560-1601)毛利元就の八男。出雲末次城を居城として末次姓を名乗る。のちに備後神辺1万5千石を領した。関ヶ原合戦では西軍に属し、近江大津城への攻撃を指揮した。
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末次 |
元康 |
54 | 49 | 51 |
46 | 56 |
31 |
PK追加 | 1575 |
突撃・1 |
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こばやかわ | ひでかね |
武士 | 神仏 | 36 |
(1567-1602)毛利元就の九男。兄・隆景の養子となった。豊臣秀吉に寵愛され、偏諱を賜る。朝鮮派兵の際は隆景を助けて活躍した。関ヶ原合戦で西軍に属し、改易された。
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小早川 |
秀包 |
37 | 58 | 47 |
50 | 68 |
31 |
PK追加 | 1582 |
槍衾・1 |
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おおの | はるふさ |
武士 | 神仏 | 44 |
(1572-1615)豊臣家臣。治長の弟。大坂の陣の際は、主戦派の中心人物の一人となる。大坂落城後、国松丸(主君・秀頼の子)を擁して脱出するが、捕らわれて斬首された。
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大野 |
治房 |
46 | 54 | 30 |
30 | 75 |
31 |
PK追加 | 1587 |
斉射・1 |
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