武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
なす | すけはる |
高家 | 神仏 | 54 |
(1557-1610)下野の戦国大名。資胤の嫡男。薄葉ヶ原合戦で宇都宮軍に大勝し、近隣に武名を轟かせた。豊臣秀吉の小田原征伐の際に遅参したため、所領を没収された。
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那須 |
資晴 |
31 | 34 | 26 |
33 | 36 |
56 |
通常版 | 1572 |
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さいとう | としみつ |
武士 | 神仏 | 49 |
(1534-1582)斎藤家臣。主家滅亡後は明智光秀の家老となる。本能寺の変や山崎合戦に従軍し敗戦後に捕らえられ、斬首された。娘は将軍・徳川家光の乳母を務めた春日局。
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斎藤 |
利三 |
33 | 65 | 67 |
45 | 58 |
56 |
通常版 | 1549 |
突撃・1 |
鼓舞 |
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あけち | みつひで |
武士 | 神仏 | 55 |
(1528-1582)織田家臣。優れた才知と教養により信長に重用されるが、突如謀叛を起こし信長を本能寺に討つ。しかし事後調略に失敗し、山崎合戦で敗れ逃亡中に殺された。
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明智 |
光秀 |
86 | 69 | 81 |
87 | 40 |
56 |
通常版 | 1543 |
斉射・2 |
混乱 |
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あけち | ひでみつ |
武士 | 神仏 | 46 |
(1537-1582)明智家臣。岳父・光秀のもとで本能寺の変に加担した。山崎合戦では安土城を守るが、本軍の敗報を受けて坂本城に退却し、財宝を包囲軍に譲渡して自害した。
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明智 |
秀満 |
36 | 63 | 39 |
60 | 80 |
56 |
通常版 | 1552 |
斉射・1 |
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ただ | みつより |
武士 | 神仏 | 63 |
(1501-1563)武田家臣。甲陽五名臣の1人。美濃の出身。信濃虚空蔵山の砦において、地獄の妖婆・火車鬼を退治したという伝説を持つ。夜襲の采配は家中随一と評された。
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多田 |
満頼 |
11 | 62 | 66 |
44 | 58 |
56 |
通常版 | 1516 |
槍衾・1 |
収拾 |
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みよし | ながよし |
守護代 | 神仏 | 42 |
(1523-1564)細川家臣。主家の実権を奪って勢力を拡げ、主君・晴元を追放して畿内の掌握に成功した。しかし嫡男・義興や弟たちの死後は心身に支障をきたし、病死した。
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三好 |
長慶 |
84 | 65 | 82 |
77 | 15 |
56 |
通常版 | 1538 |
槍衾・2 |
鼓舞 |
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たかはら | つぐとし |
国人 | 神仏 | 88 |
(1532-1619)讃岐の豪族。直島・男木島・女木島などの地を代々領した。豊臣秀吉が備中高松城を攻撃した際は、海陸の案内役を担当し、のちに備前児島郡で加増を受けた。
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高原 |
次利 |
55 | 28 | 20 |
46 | 42 |
56 |
通常版 | 1547 |
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かわかみ | ただかつ |
武士 | 神仏 | 86 |
(1501-1586)島津家臣。串木野城主。はじめ薩州島津家に属すが、のちに島津忠良に降り、甑島に3年間配流された。のち家老を務め白山権現の再興に尽くすなど活躍した。
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川上 |
忠克 |
40 | 47 | 43 |
52 | 25 |
56 |
通常版 | 1516 |
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かわかみ | ひさあき |
武士 | 神仏 | 33 |
(1536-1568)島津家臣。忠克の子。島津家の看経所に名を残した4人のうちの1人。18歳の時には主君・義久から守護代に推されたという。薩摩大口城攻撃戦で戦死した。
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川上 |
久朗 |
51 | 64 | 61 |
63 | 55 |
56 |
通常版 | 1551 |
槍衾・1 |
挑発 |
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