武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いわき | しげたか |
武士 | 神仏 | 65 |
(1505-1569)陸奥大館城主。伊達家の内紛(天文の大乱)の際は、娘・久保が晴宗の妻であった関係から、晴宗方に属した。佐竹義篤ともたびたび争った。和歌をよくした。
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岩城 |
重隆 |
63 | 62 | 61 |
66 | 44 |
40 |
通常版 | 1520 |
槍衾・1 |
収拾 |
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あんとう | しげすえ |
武士 | 神仏 | 40 |
(1540-1579)湊安東家9代当主。舜季の三男。安東堯季の養子となっていた兄・友季の死後、堯季の養子となり、湊安東家の家督を継いだ。蠣崎季広の六女を妻とした。
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安東 |
茂季 |
40 | 41 | 45 |
37 | 46 |
40 |
通常版 | 1555 |
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あんとう | みちすえ |
武士 | 神仏 | 31 |
(1564-1594)湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
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安東 |
通季 |
30 | 28 | 22 |
31 | 14 |
40 |
通常版 | 1579 |
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なんぶ | まさなお |
武士 | 神仏 | 55 |
(1540-1594)安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
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南部 |
政直 |
63 | 17 | 51 |
63 | 68 |
40 |
通常版 | 1555 |
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あさり | のりすけ |
国人 | 神仏 | 40 |
(1523-1562)出羽の豪族。十狐(独鈷)城主。則頼の嫡男。安東家への従属を画策する弟・勝頼と対立する。のちに勝頼の手引きを受けた安東軍の攻撃を受け、自害した。
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浅利 |
則祐 |
31 | 39 | 42 |
34 | 75 |
40 |
通常版 | 1538 |
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たがや | まさひろ |
国人 | 神仏 | 59 |
(1537-1595)結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、外交面で活躍した。のちに徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめ、豊臣秀吉に功を賞せられた。
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多賀谷 |
政広 |
64 | 26 | 62 |
54 | 57 |
40 |
通常版 | 1552 |
混乱 |
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せき | もりのぶ |
国人 | 神仏 | 79 |
(1515-1593)伊勢の豪族。亀山城主。織田信長の伊勢侵攻軍に降る。本能寺の変後は豊臣秀吉に従った。のちに蒲生氏郷の与力となり氏郷の会津転封に従って会津に移った。
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関 |
盛信 |
56 | 45 | 49 |
43 | 66 |
40 |
通常版 | 1530 |
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せき | かずまさ |
国人 | 神仏 | 75 |
(1551-1625)伊勢の豪族。亀山城主。盛信の次男。蒲生家に仕え、奥州征伐で活躍。関ヶ原合戦の際は東軍に属し、伯耆黒坂5万石を領すが、のちに内紛により改易された。
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関 |
一政 |
34 | 40 | 44 |
37 | 42 |
40 |
通常版 | 1566 |
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おおだて | よしざね |
武士 | 神仏 | 65 |
(1537-1601)足利家臣。関岡城主。義輝・義昭の2代に仕えた。幕府滅亡後は所領を失い、堺に住む。のちに朝鮮派兵に従い、伊賀に所領を得た。甲冑の研究家として著名。
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大館 |
義実 |
64 | 9 | 22 |
57 | 68 |
40 |
通常版 | 1552 |
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