武将姓 | 武将名 |
出自 | 信心 | 寿命 |
(生年-没年) |
機種 | 登場年 | 政治 | 統率 | 知略 |
教養 | 義理 | 相性 |
列伝 |
なんぶ | はるまさ |
国人 | 神仏 | 66 |
(1517-1582)南部家24代当主。安信の子。将軍・足利義晴の偏諱を賜り、晴政と名乗る。三戸城を本拠に「三日月の丸くなるまで南部領」といわれる広大な版図を築いた。
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南部 |
晴政 |
35 | 79 | 36 |
42 | 29 |
66 |
通常版 | 1532 |
突撃・2 |
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いしかわ | たかのぶ |
重臣 | 神仏 | 76 |
(1496-1571)南部家臣。南部政康の次男。津軽郡代として甥・晴政を補佐し、南部家の勢力拡大に大きく貢献した。のちに家臣・大浦(津軽)為信の謀叛により、自害した。
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石川 |
高信 |
47 | 72 | 47 |
57 | 80 |
67 |
通常版 | 1511 |
突撃・1 |
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なんぶ | のぶなお |
重臣 | 神仏 | 54 |
(1546-1599)南部家26代当主。石川高信の子。晴継(晴政の子)死後の御家騒動に勝ち、家督を継ぐ。九戸政実の乱などに苦しむが豊臣秀吉に接近して領内を統一した。
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南部 |
信直 |
72 | 37 | 70 |
53 | 75 |
67 |
通常版 | 1561 |
挑発 |
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なんぶ | としなお |
重臣 | 神仏 | 57 |
(1576-1632)南部家27代当主。信直の子。父の死後に家督を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍に属し、最上家を救援した。領内の一揆を平定するなど、南部藩の基礎を築いた。
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南部 |
利直 |
68 | 48 | 73 |
56 | 40 |
67 |
通常版 | 1591 |
斉射・1 |
混乱 |
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いずみやま | ふるやす |
武士 | 神仏 | 55 |
(1536-1590)南部家臣。政昭(石亀信房の子)の子。叔父・泉山康朝の養子として三戸郷泉山村を領し、泉山姓を名乗る。娘・慈照院はのちに主君・信直の後室となった。
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泉山 |
古康 |
60 | 36 | 44 |
54 | 67 |
67 |
通常版 | 1551 |
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いずみやま | まさよし |
武士 | 神仏 | 70 |
(1560-1629)南部家臣。古康の嫡男。姉は主君・信直の後室・慈照院。のちに石亀家が絶えたため、石亀姓を名乗った。信直の義弟として南部藩重臣20名のうちに列した。
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泉山 |
政義 |
54 | 27 | 43 |
53 | 57 |
67 |
通常版 | 1575 |
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なんぶ | まさなお |
武士 | 神仏 | 55 |
(1540-1594)安東家臣。宮内少輔と称した。安東家の外交官としてたびたび京都へ赴き、山科言継や織田信長と会見した。愛季が信長に馬と鷹を贈った際も使者を務めた。
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南部 |
政直 |
63 | 17 | 51 |
63 | 68 |
40 |
通常版 | 1555 |
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