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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おだ | うらくさい |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 旧仏教 | (1547-1621)信秀の十男。有楽斎と号す。茶の湯に傾倒し、利休七哲の1人となった。兄・信長の死後は豊臣家に属すが、大坂の陣直前に徳川方に通じ、大坂城を退去した。
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織田 |
有楽斎 |
41 | 7 | 1 |
C |
31 | 13 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
ふるた | しげなり |
名声 | 保守鳩派 | 摂津 | 武将 | (1544-1615)豊臣家臣。織部正に任官される。利休七哲の1人。織部焼を創始し、諸大名の茶の師匠を務めた。大坂の陣の際、豊臣方への内通疑惑により、自害させられた。
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古田 |
重然 |
44 | 5 | 1 |
M |
14 | 54 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |
こじま | さだおき |
無し | 好戦直情 | 南越後 | 武将 | (1522-1582)上杉家臣。幼少から側近として主君・謙信に仕えた。川中島合戦には旗本として従軍。剛力無双の豪傑で「鬼小島」と呼ばれて恐れられ、数々の伝説を残した。
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小島 |
貞興 |
1 | 82 | 1 |
I |
92 | 18 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 突入 |
- |
たかだ | よしつぐ |
無し | 好戦直情 | 伊賀 | 武将 | (1589-1671)高田流槍術の祖。宝蔵院胤栄に槍術を学んだ。大坂の陣で豊臣方に加わったため浪人となり、江戸で道場を開いた。のちに豊前小倉藩主・小笠原忠政に仕えた。
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高田 |
吉次 |
6 | 78 | 1 |
V |
8 | 36 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
しちじょう | かねなか |
無し | 好戦直情 | 阿波淡路 | 国人 | (1548-1582)阿波の豪族。七条城主。中富川合戦で敗死した。怪力の豪傑で、武勇伝が多数伝承されている。大山寺で催される「力餅大会」は伝承の1つに由来するという。
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七条 |
兼仲 |
1 | 72 | 1 |
R |
48 | 10 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
- |
いちじょう | かねさだ |
朝廷 | 保守鳩派 | 土佐 | 切支丹 | (1543-1585)土佐一条家4代当主。房基の子。日夜酒色にふける生活を送ったため、家臣たちによって追放された。のちに大友宗麟の後援で旧領回復を企てるが、失敗した。
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一条 |
兼定 |
19 | 4 | 1 |
G |
22 | 2 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
しば | あきなお |
幕府 | 保守鳩派 | 陸中 | 高家 | (1550-1619)奥州斯波家当主。詮真の子。南部信直の軍に敗れて逃走、各地に潜伏した。のちに南部家に仕えたが、大坂冬の陣の際、浪人となって京都に住んだという。
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斯波 |
詮直 |
26 | 8 | 2 |
W |
14 | 5 |
騎馬 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
みこがみ | よしあき |
無し | 好戦直情 | 上総安房 | 武将 | (1565-1628)剣術家。はじめ里見家に仕えたが、剣術修業のため諸国を遍歴する。のちに一刀流の開祖・伊藤一刀斎に師事し、名を小野忠明と改め、小野一刀流を創始した。
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御子神 |
吉明 |
1 | 77 | 2 |
E |
14 | 60 |
足軽 | 剣豪 |
罵声 | 誘導 |
- |
すすきだ | かねすけ |
無し | 好戦直情 | 山城 | 武将 | (1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ヒヒ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
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薄田 |
兼相 |
1 | 62 | 2 |
E |
39 | 67 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
- |
おのでら | よしみち |
朝廷 | 好戦直情 | 羽後 | 武将 | (1566-1645)小野寺家14代当主。輝道の次男。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領を安堵される。関ヶ原合戦では徳川家の出陣要請を無視したため、戦後改易された。
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小野寺 |
義道 |
18 | 54 | 3 |
E |
36 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | 誘導 |
- |
ばん | やすとも |
朝廷 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1556-1629)織田家臣。直政の子。本能寺の変後は佐々家を経て豊臣秀次に仕える。秀次の死後は浪人し、関ヶ原合戦では東軍に属した。戦後は江戸で小児科の医師となる。
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塙 |
安友 |
67 | 9 | 3 |
D |
53 | 4 |
足軽 | 登用 |
治療 | - |
- |
きもつき | かねすけ |
朝廷 | 好戦直情 | 大隅 | 武将 | (1558-1634)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。兄・良兼の死後家督を継ぐ。伊東家などと結んで島津家に対抗したため、母(島津忠良の娘)と家臣たちに追放された。
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肝付 |
兼亮 |
18 | 8 | 3 |
F |
16 | 63 |
鉄砲 | 威圧 |
迎撃 | - |
- |
かさい | としのぶ |
朝廷 | 好戦直情 | 陸前 | 武将 | (1579-1635)伊達家臣。父・重俊は胤重(晴信の弟)の子。兄・重信は宇和島伊達家に仕えて宇和島に赴いた。馬術の名手として知られ、京都で数回、妙技を披露している。
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葛西 |
俊信 |
9 | 61 | 4 |
R |
76 | 15 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
さくま | のぶひで |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1556-1631)織田家臣。信盛の子。父とともに追放されるが、父の死後、許されて織田信雄に仕えた。信雄の改易後は豊臣秀吉に仕えて御咄衆となった。茶人としても著名。
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佐久間 |
信栄 |
27 | 5 | 4 |
D |
9 | 12 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
えがみ | いえたね |
幕府 | 好戦直情 | 肥前 | 武将 | (1567-1593)龍造寺家臣。龍造寺隆信の次男。江上家の家督を継ぐ。「当世無双の大力」と評された勇将で、各地の合戦で活躍した。朝鮮派兵に従軍するが釜山で死去した。
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江上 |
家種 |
12 | 70 | 4 |
O |
64 | 56 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |
もがみ | よしとし |
幕府 | 保守鷹派 | 羽前 | 武将 | (1606-1631)最上家13代当主。家親の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし若年の上、不行跡などで御家騒動を招き、改易された。改易後は近江に1万石を与えられた。
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最上 |
義俊 |
21 | 15 | 5 |
B |
41 | 36 |
鉄砲 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
みしゅく | まさとも |
無し | 好戦直情 | 駿河 | 武将 | (1567-1615)北条家臣。通称は勘兵衛。今川・武田家に仕えたあと結城秀康に仕官。しかし、秀康の子・忠直の代に出奔して大坂城に入城、大坂夏の陣において戦死した。
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御宿 |
政友 |
2 | 65 | 5 |
J |
40 | 35 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 突入 |
- |
とき | よりあき |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 美濃 | 高家 | (1502-1582)美濃守護。家臣・斎藤道三と結んで兄・政頼を追放し、家督を継ぐ。しかし、のちに道三に美濃を追われた。一時和睦して帰国するが再び追放され、流浪した。
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土岐 |
頼芸 |
31 | 20 | 5 |
P |
17 | 5 |
足軽 | 茶湯 |
誘導 | - |
- |
きそ | よしとし |
幕府 | 好戦直情 | 南信濃 | 武将 | (1577-1640)徳川家臣。義昌の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。粗暴の振る舞いが多く、叔父・義豊を殺害した罪により改易された。その後は京都で剃髪し、各国を流浪した。
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木曾 |
義利 |
18 | 6 | 5 |
S |
25 | 37 |
足軽 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
ほそかわ | うじつな |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 摂津 | 高家 | (1516-1563)室町幕府最後の管領。三好長慶らに擁立され、細川晴元と争う。晴元が近江に逃れたあとに入京し、管領に就任した。のち山城淀城に移され、同城で死去した。
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細川 |
氏綱 |
45 | 25 | 5 |
F |
30 | 23 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |