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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
だいほうじ | よしうじ |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 旧仏教 | (1551-1583)出羽の豪族。義増の子。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。
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大宝寺 |
義氏 |
24 | 59 | 6 |
Y |
26 | 81 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 誘導 |
- |
なかやま | てるもり |
無し | 好戦人情 | 相模伊豆 | 武将 | (1570-1634)北条家臣。家範の子。主家滅亡後は徳川家康に仕える。関ヶ原合戦や大坂の陣に従軍し、のちに槍奉行となった。馬術の達人で、高麗八条流の奥義をきわめた。
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中山 |
照守 |
13 | 68 | 6 |
S |
75 | 37 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
ばん | なおゆき |
無し | 好戦直情 | 遠江 | 武将 | (1567-1615)加藤家臣。鉄砲大将を務めたが、関ヶ原合戦の際に主君・嘉明と対立して出奔、浪人となる。のちに大坂城に入城、大坂夏の陣で浅野長晟軍と戦い、戦死した。
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塙 |
直之 |
2 | 62 | 6 |
D |
35 | 53 |
鉄砲 | 威圧 |
罵声 | 突入 |
- |
かきざき | かげいえ |
朝廷 | 好戦直情 | 南越後 | 武将 | (1513-1575)上杉家臣。主君・謙信に「越後七郡で彼にかなう者はなし」と評された家中随一の猛将。上杉軍の主力として活躍したが織田信長への内通疑惑により殺された。
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柿崎 |
景家 |
12 | 85 | 6 |
M |
45 | 52 |
騎馬 | 改修 |
破壊 | 挑発 |
突入 |
やすみ | のぶくに |
無し | 保守鷹派 | 河内和泉 | 武将 | (1544-1573)畠山家臣。右近丞と称す。1569年、岩清水八幡宮の料所である河内国星田荘の年貢を抑留したため、幕府に訴えられた。のちに松永久秀に殺されたという。
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安見 |
信国 |
27 | 34 | 6 |
X |
45 | 39 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
わが | ただちか |
朝廷 | 好戦人情 | 陸中 | 国人 | (1576-1601)陸奥の豪族。義忠の子。関ヶ原合戦では伊達政宗の後援で南部家を攻める(和賀兵乱)が敗北。真相の発覚を恐れた政宗の命により従者7名とともに自害した。
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和賀 |
忠親 |
12 | 60 | 7 |
V |
81 | 39 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
いまがわ | うじざね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 駿河 | 高家 | (1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。
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今川 |
氏真 |
33 | 4 | 7 |
K |
37 | 2 |
足軽 | 茶湯 |
迎撃 | - |
- |
たまる | なおまさ |
幕府 | 好戦人情 | 伊勢志摩 | 武将 | (1551-1607)蒲生家臣。田丸城主。主君・氏郷の妹を娶った。のちに美濃岩村4万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属して改易され、越後へ追放されるが、のちに許された。
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田丸 |
直昌 |
31 | 28 | 7 |
Q |
58 | 21 |
鉄砲 | 哀願 |
収拾 | - |
- |
たけだ | もとあき |
幕府 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 高家 | (1552-1582)若狭守護。義統の長男。朝倉義景に攻められ、越前に幽閉される。朝倉家滅亡後は若狭に帰国した。本能寺の変後は明智光秀に属すが、光秀の死後、殺された。
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武田 |
元明 |
29 | 18 | 7 |
J |
37 | 31 |
足軽 | 茶湯 |
迎撃 | - |
- |
あまご | まさひさ |
幕府 | 好戦直情 | 出雲 | 武将 | (1520-1554)尼子家臣。国久の長男。父とともに新宮党を率いるが、自らの武勇を誇りすぎ、従兄弟・晴久と対立。毛利元就の謀略にかかった晴久の襲撃を受け、戦死した。
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尼子 |
誠久 |
8 | 72 | 7 |
P |
56 | 78 |
騎馬 | 威圧 |
挑発 | 迎撃 |
- |
おだ | のぶかつ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1558-1630)信長の次男。伊勢国司・北畠家の養子となり、家督を継ぐ。本能寺の変後は豊臣家に従属した。小田原征伐後、徳川家康の旧領への転封を拒否し、改易された。
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織田 |
信雄 |
18 | 18 | 8 |
C |
6 | 54 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
とみた | ながしげ |
無し | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1551-1574)朝倉家臣。主家滅亡後は織田家に仕え、長島一向一揆の討伐戦で功を立てた。のちに織田家での待遇に不満を持って謀叛を起こすが、味方に撃たれて死去した。
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富田 |
長繁 |
5 | 27 | 8 |
W |
27 | 71 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
にき | よしはる |
名声 | 保守鳩派 | 阿波淡路 | 商人 | (1565-1653)細川家臣。勝瑞城下に住んだ。勝瑞城の落城後は隠棲するが、のちに蜂須賀家政に招かれ、その後は商人として家政に仕えた。のちに「昔阿波物語」を著した。
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仁木 |
義治 |
72 | 22 | 8 |
G |
70 | 18 |
足軽 | 商業 |
治療 | - |
- |
まるめ | ながよし |
無し | 好戦直情 | 肥後 | 武将 | (1540-1629)相良家臣。上泉信綱に剣術を学び、新陰タイ捨流を開いた。島津軍との戦いで敗因を作り、一時逼塞。のちに復帰して兵法師範を務め、開墾事業にも従事した。
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丸目 |
長恵 |
18 | 81 | 8 |
R |
31 | 75 |
足軽 | 剣豪 |
誘導 | 挑発 |
- |
いなづ | しげまさ |
無し | 好戦直情 | 日向 | 武将 | (1574-1620)伊東家臣。清武城主。関ヶ原合戦では西軍方の宮崎城を落とす。戦後、幕命による宮崎城返還も拒否。主君・祐慶の自害命令も拒否して居城に籠城、敗死した。
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稲津 |
重政 |
12 | 55 | 8 |
E |
15 | 77 |
鉄砲 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
ひえぬき | はるいえ |
幕府 | 保守鳩派 | 陸中 | 武将 | (1489-1564)陸奥の豪族。葛西宗清(伊達成宗の子)の子。稗貫家は伊達為家(伊達家始祖・朝宗の三男)の子・為重が稗貫郡に下向した際に、地名を姓としたという。
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稗貫 |
晴家 |
18 | 28 | 9 |
L |
46 | 10 |
足軽 | 登用 |
治療 | - |
- |
たむら | ともあき |
朝廷 | 好戦直情 | 磐城 | 武将 | (1528-1584)田村家臣。隆顕の子。1584年8月、兄・清顕に従って出陣し、大内定綱と戦うが敗れ、戦死した。子・宗顕はのちに田村家の家督を継いだ。
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田村 |
友顕 |
19 | 57 | 9 |
W |
65 | 47 |
長槍 | 改修 |
威圧 | 誘導 |
- |
いのまた | くにのり |
無し | 好戦直情 | 相模伊豆 | 武将 | (1549-1590)北条家臣。北条氏邦に仕え、沼田城代を務めた。真田昌幸の支城・名胡桃城を独断で奪取し、豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。戦後、磔刑に処せられた。
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猪俣 |
邦憲 |
2 | 38 | 9 |
S |
28 | 66 |
長槍 | 改修 |
罵声 | - |
- |
しばた | かつとよ |
朝廷 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1556-1583)柴田家臣。叔父・勝家の養子となる。長浜城主を務めた。のちに勝家と対立し、その事を知った羽柴秀吉に攻められ、降伏した。賤ヶ岳合戦の直後、病死した。
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柴田 |
勝豊 |
28 | 10 | 9 |
E |
17 | 28 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
きたばたけ | ともふさ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 伊勢志摩 | 高家 | (1547-1580)伊勢国司・北畠家9代当主。具教の子。父が織田信雄に殺されたあと、滝川一益に預けられ安濃郡河内に3年間幽閉された。のち解放されるが、間もなく病死。
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北畠 |
具房 |
21 | 7 | 9 |
Q |
51 | 18 |
足軽 | 茶湯 |
迎撃 | - |
- |