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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
あんどう | よしなり |
無し | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1534-1594)北条家臣。出納関係の奉行などを担当し家中における政務の中心的存在となる。北条家領国の公定枡「安藤枡」を考案するなど、主家の発展に大きく貢献した。
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安藤 |
良整 |
72 | 3 | 18 |
N |
60 | 8 |
足軽 | 商業 |
密偵 | - |
- |
おおくぼ | ただちか |
幕府・名声 | 天下布武 | 三河 | 武将 | (1553-1628)徳川家臣。忠世の嫡男。徳川秀忠の付家老を務める。秀忠および直参旗本からの信頼は絶大であったが、のちに政敵・本多正信の失脚工作によって改易された。
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大久保 |
忠隣 |
69 | 43 | 18 |
C |
68 | 69 |
鉄砲 | 茶湯 |
収拾 | - |
- |
しば | よしかね |
幕府 | 保守鷹派 | 尾張 | 高家 | (1540-1600)尾張斯波家15代当主。義統の嫡男。織田広信によって父が殺害されると、織田信長を頼って広信と戦う。のちに信長と敵対して追放され、各地を流浪した。
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斯波 |
義銀 |
24 | 10 | 18 |
Q |
36 | 50 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
かに | よしなが |
無し | 好戦直情 | 美濃 | 武将 | (1554-1613)福島家臣。侍大将を務める。宝蔵院胤栄に槍術を学ぶ。関ヶ原合戦では討ち取った17の首級すべてに笹を差して目印としたため「笹の才蔵」の異名をとった。
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可児 |
吉長 |
3 | 74 | 18 |
G |
28 | 40 |
長槍 | 哀願 |
破壊 | 挑発 |
- |
きたばたけ | とものり |
朝廷 | 天下布武 | 伊勢志摩 | 高家 | (1528-1576)伊勢国司・北畠家8代当主。晴具の子。織田信長に敗れ、信長の次男・信雄を養子とするが、のちに殺された。塚原卜伝より秘伝「一の太刀」を授けられた。
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北畠 |
具教 |
46 | 72 | 18 |
Q |
63 | 64 |
長槍 | 剣豪 |
威圧 | 迎撃 |
- |
たけだ | かつより |
幕府 | 好戦直情 | 南信濃 | 武将 | (1546-1582)甲斐の戦国大名。信玄の四男。家督の相続後は、強硬策をもって領国を広げる。長篠合戦での大敗により家臣団組織が瓦解、織田軍に敗れ、天目山で自害した。
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武田 |
勝頼 |
36 | 82 | 18 |
Q |
53 | 84 |
騎馬 | 威圧 |
破壊 | 挑発 |
突入 |
おばた | まさもり |
幕府 | 好戦直情 | 甲斐 | 武将 | (1534-1582)武田家臣。虎盛の子。豊後守と称した。はじめ海津城の城番を務めるが、父の死後、城番を辞して旗本足軽大将衆となり騎馬3騎、足軽10人を率いた。
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小幡 |
昌盛 |
14 | 57 | 18 |
Q |
61 | 31 |
長槍 | 商業 |
威圧 | 誘導 |
- |
おがさわら | ながとき |
幕府 | 好戦直情 | 南信濃 | 武将 | (1519-1583)信濃守護。長棟の長男。武田信玄に信濃を追われ、越後・摂津・会津など諸国を流浪。旧領を回復した子・貞慶の帰国要請に応じる準備中に、近臣に殺された。
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小笠原 |
長時 |
28 | 71 | 18 |
H |
39 | 74 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
ながさわ | みつくに |
無し | 好戦人情 | 越中 | 国人 | (1529-1578)越中の豪族。森寺城主。上杉謙信の越中侵攻軍に降り、松波城を攻略するなど活躍し、穴水城主となる。謙信の死後、畠山家旧臣に攻められて敗れ、戦死した。
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長沢 |
光国 |
34 | 27 | 18 |
I |
51 | 44 |
騎馬 | 商業 |
収拾 | - |
- |
はたけやま | よしつぐ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 能登 | 武将 | (1518-1590)能登守護。義総の嫡男。相次ぐ内乱で権力を失い、重臣の台頭を許す。子・義綱と協力して実権を回復するが、のちに重臣たちに反発され、能登を追放された。
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畠山 |
義続 |
47 | 29 | 18 |
M |
48 | 50 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
みよし | よしおき |
幕府・名声 | 天下布武 | 摂津 | 武将 | (1542-1563)長慶の嫡男。室町幕府御供衆を務めた。六角家や畠山家との合戦に勝つなど活躍し、将来を嘱望されたが、22歳で急逝した。松永久秀に毒殺されたともいう。
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三好 |
義興 |
59 | 44 | 18 |
P |
54 | 41 |
騎馬 | 農業 |
離反 | - |
- |
あまご | かつひさ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 出雲 | 旧仏教 | (1553-1578)誠久の子。山中幸盛らに擁立され、尼子家の再興を目指す。織田信長を頼り、出雲入国を試みるが失敗し、のちに播磨上月城の戦いで毛利軍に敗れ、自害した。
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尼子 |
勝久 |
27 | 44 | 18 |
P |
73 | 82 |
足軽 | 農業 |
収拾 | - |
- |
みむら | さねちか |
朝廷 | 好戦人情 | 備中 | 武将 | (1556-1575)三村家臣。鬼身城主。家親の子。兄・元親が毛利家から離反したため、毛利家の大軍に居城を攻められ、城兵の助命を条件に自害した。20歳であったという。
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三村 |
実親 |
20 | 56 | 18 |
K |
74 | 16 |
足軽 | 登用 |
収拾 | 誘導 |
- |
たかはら | つぐとし |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 讃岐 | 国人 | (1532-1619)讃岐の豪族。直島・男木島・女木島などの地を代々領した。豊臣秀吉が備中高松城を攻撃した際は、海陸の案内役を担当し、のちに備前児島郡で加増を受けた。
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高原 |
次利 |
53 | 30 | 18 |
R |
42 | 39 |
足軽 | 商業 |
密偵 | - |
- |
うつのみや | とよつな |
朝廷 | 好戦直情 | 伊予 | 国人 | (1506-1573)伊予の豪族。地蔵嶽城主。土佐一条家と結んだ。飛鳥城の戦いで西園寺公高を討つなど勢威を振るうが、鳥坂峠合戦で河野・毛利連合軍に敗れ、以後衰退した。
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宇都宮 |
豊綱 |
36 | 56 | 18 |
T |
23 | 89 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 迎撃 |
- |
ふくどめ | ちかまさ |
無し | 好戦直情 | 土佐 | 武将 | (1528-1577)長宗我部家臣。安芸家との戦いで奮戦し「福留の荒切り」の逸話を残す。主君・元親から受けた感状は21枚という家中屈指の勇将。南伊予攻略戦で戦死した。
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福留 |
親政 |
15 | 72 | 18 |
T |
68 | 26 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 分断 |
- |
えり | のぶたか |
無し | 好戦人情 | 筑前 | 武将 | (1550-1587)秋月家臣。豊臣秀吉の九州征伐の際、偽の降礼使として秀吉のもとへ赴く。この時に抗戦の不利を悟り、主君・種実に降伏を促すが逆に勘気を蒙り、自害した。
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恵利 |
暢堯 |
64 | 50 | 18 |
Y |
91 | 19 |
足軽 | 弁舌 |
鼓舞 | 収拾 |
- |
さいごう | すみひさ |
朝廷 | 保守鷹派 | 肥前 | 武将 | (1492-1552)有馬家臣。高城城主。有馬晴純の弟で、西郷家を継ぐ。武雄城主を務める姉婿・後藤純明と戦うなど、兄を助けて各地で活躍した。娘は大村純忠などに嫁いだ。
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西郷 |
純久 |
49 | 40 | 18 |
Y |
43 | 36 |
足軽 | 弁舌 |
治療 | - |
- |
にかいどう | ゆきあきら |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1462-1500)二階堂家15代当主。山城守と称す。二階堂家は、鎌倉幕府の公文所寄人を務めた工藤行政が、鎌倉二階堂に邸宅を構えて地名を姓としたのに始まるという。
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二階堂 |
行詮 |
41 | 24 | 18 |
D |
45 | 49 |
騎馬 | 農業 |
罵声 | - |
- |
いわまつ | ひさずみ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 上野 | 高家 | (1461-1511)上野金山城主。祖父・家純の死後、家督を継いだ。文芸の道に傾倒したため、家臣・横瀬成繁と対立、のちに古河公方・足利成氏の仲介により隠居させられた。
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岩松 |
尚純 |
18 | 18 | 18 |
R |
36 | 3 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | - |
- |