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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
はたけやま | よしとよ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 河内和泉 | 高家 | (1460-1499)畠山家の家督を政長と争った義就の子。細川政元と結んで政長を滅ぼすが、政長の子・尚順と引き続き激しく争う。のち十七箇所合戦で尚順に敗れ、戦死した。
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畠山 |
義豊 |
60 | 53 | 21 |
J |
67 | 83 |
騎馬 | 改修 |
罵声 | 修復 |
- |
すぎ | しげきよ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 豊前 | 武将 | (1474-1527)大内家臣。伯耆守と称す。主君・義興に仕えて、豊前守護代を務めた。義興が将軍・足利義稙を補佐して在京していた際は、在国して領内の統治にあたった。
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杉 |
重清 |
44 | 48 | 21 |
E |
68 | 43 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 迎撃 |
- |
あきづき | たねとも |
朝廷 | 好戦陰湿 | 筑前 | 武将 | (1467-1512)秋月家13代当主。1486年、鳴門山に種月山大竜禅寺を建立した。1507年には少弐・筑紫・大友連合軍が居城・古処山城を攻撃したが、撃退している。
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秋月 |
種朝 |
39 | 62 | 21 |
Y |
52 | 54 |
騎馬 | 威圧 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
むさしぼう | べんけい |
朝廷 | 好戦直情 | 紀伊 | 旧仏教 | (1559-1603)源平期の荒法師。京都で牛若丸(のちの源義経)に会い、以後、忠臣として各地で活躍。奥州衣川合戦では義経を守って全身に矢を浴び、立ったまま死んだ。
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武蔵坊 |
弁慶 |
12 | 96 | 21 |
P |
100 | 1 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
- |
たむら | むねあき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1569-1620)陸奥の豪族。友顕の子。伯父・清顕に子がなかったため、伊達政宗の後援で田村家を継いだ。豊臣秀吉の奥州征伐で所領を没収され、その後は伊達家に仕えた。
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田村 |
宗顕 |
23 | 16 | 22 |
W |
21 | 19 |
足軽 | 哀願 |
治療 | - |
- |
あんとう | みちすえ |
朝廷 | 好戦直情 | 羽後 | 武将 | (1564-1594)湊安東家10代当主。茂季の嫡男。父の死後、伯父・愛季に湊城を追われ、豊島城に移される。愛季の死後、戸沢家と結んで謀叛を起こすが、失敗に終わった。
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安東 |
通季 |
30 | 28 | 22 |
G |
14 | 62 |
騎馬 | 威圧 |
混乱 | - |
- |
もがみ | いえちか |
幕府 | 好戦陰湿 | 羽前 | 武将 | (1582-1617)最上家12代当主。義光の次男。父の死後、家督を継ぐ。対立していた弟・義親を討ち領内統一を進めるが、間もなく死去。叔父・楯岡光直が毒殺したという。
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最上 |
家親 |
41 | 36 | 22 |
B |
36 | 71 |
足軽 | 威圧 |
鼓舞 | - |
- |
わだ | のぶなり |
無し | 保守鳩派 | 上野 | 国人 | (1560-1617)上野の豪族。業繁の子。武田家に属す。主家滅亡後は一時滝川一益に属すが、神流川合戦後、北条家に仕えた。豊臣秀吉の小田原征伐後、紀伊に逃れたという。
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和田 |
信業 |
23 | 19 | 22 |
N |
52 | 21 |
足軽 | 商業 |
威圧 | - |
- |
かねまつ | まさよし |
無し | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1542-1627)織田家臣。越前刀根山の合戦で奮戦し、主君・信長から足半(草履の一種)を賜る。本能寺の変後は尾張に戻り、織田信雄や松平忠吉など代々の領主に仕えた。
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兼松 |
正吉 |
6 | 64 | 22 |
D |
58 | 11 |
長槍 | 農業 |
威圧 | 破壊 |
- |
うえすぎ | かげとら |
朝廷 | 好戦直情 | 相模伊豆 | 旧仏教 | (1554-1579)北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴き、のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱において義弟の上杉景勝と家督を争うが、敗死した。
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上杉 |
景虎 |
48 | 33 | 22 |
M |
31 | 78 |
足軽 | 弁舌 |
罵声 | - |
- |
しんどう | かたもり |
名声 | 保守鳩派 | 近江 | 武将 | (1525-1589)六角家臣。織田信長の上洛軍に降る。以後は佐久間信盛の与力として、各地に従軍した。信盛の改易後は旗本となる。本能寺の変後は蒲生氏郷の与力となった。
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進藤 |
賢盛 |
33 | 24 | 22 |
W |
26 | 24 |
足軽 | 農業 |
威圧 | - |
- |
ごとう | かつもと |
朝廷 | 好戦直情 | 美作 | 武将 | (1538-1579)美作の豪族。三星城主。勝国の子。近隣豪族を支配下に置き、また尼子家や浦上家と友好を結んで、後藤家を隆盛に導いた。のち宇喜多直家に敗れて自害した。
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後藤 |
勝元 |
36 | 62 | 22 |
W |
54 | 74 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 修復 |
- |
みよし | ひろたか |
朝廷 | 保守鷹派 | 備後 | 国人 | (1558-1634)毛利家臣。比熊山城主。隆亮の子。関ヶ原合戦後、主家が防長に移封され居城が廃されたため、浪人となり京都に上る。のち安芸広島藩主・浅野長晟に仕えた。
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三吉 |
広高 |
51 | 44 | 22 |
S |
49 | 18 |
鉄砲 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
しんがい | さねつな |
無し | 保守鷹派 | 阿波淡路 | 武将 | (1543-1582)三好家臣。富岡城主。三好義賢の娘婿。勇将として知られた。のち長宗我部元親に属すが、元親に謀殺された。この時の縁板が「丈六寺の血天井」として残る。
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新開 |
実綱 |
11 | 63 | 22 |
W |
56 | 57 |
長槍 | 哀願 |
収拾 | 分断 |
- |
きら | ちかざね |
幕府 | 好戦人情 | 土佐 | 武将 | (1563-1588)長宗我部家臣。親貞の嫡男。宗家の家督相続に際し、四男・盛親の擁立を望む伯父・元親を諫めるが、対立勢力の久武親直に讒言され、元親に自害させられた。
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吉良 |
親実 |
45 | 55 | 22 |
T |
59 | 48 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 破壊 |
- |
きい | しげふさ |
朝廷 | 好戦直情 | 豊前 | 武将 | (1536-1588)城井宇都宮家16代当主。長房の子。大友、島津家に属して所領を保つ。のち豊臣秀吉に降るが、伊予への転封を拒否して謀叛を起こし、黒田長政に殺された。
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城井 |
鎮房 |
43 | 63 | 22 |
Y |
35 | 80 |
騎馬 | 改修 |
混乱 | 修復 |
- |
ふくだ | かねちか |
名声 | 保守鳩派 | 肥前 | 国人 | (1573-1652)大村家臣。福田城主。主君・純忠の娘を娶る。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際は純忠の子・喜前とともに従軍。のちに居城を離れ、主家の居城・玖島城下に移住した。
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福田 |
兼親 |
67 | 12 | 22 |
T |
59 | 16 |
鉄砲 | 商業 |
密偵 | - |
- |
あねがこうじ | もとつな |
朝廷・名声 | 天下布武 | 飛騨 | 高家 | (1441-1504)飛騨国司。古河姉小路家。参議、権中納言を歴任した。和歌にすぐれ、和歌所寄人を務める。また、宮中での歌会に多数出席し、三条西実隆らと交流を持った。
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姉小路 |
基綱 |
75 | 22 | 22 |
V |
53 | 34 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
ほんせんじ | れんご |
朝廷 | 好戦陰湿 | 摂津 | 一向宗 | (1468-1543)本願寺8世法主・蓮如の七男。1506年、北陸一向一揆の総指揮を命じられ、北陸地方の諸氏と戦った。のちに弟・蓮淳と対立して戦うが敗れ、破門された。
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本泉寺 |
蓮悟 |
70 | 61 | 22 |
W |
42 | 87 |
長槍 | 威圧 |
混乱 | 焙烙 |
- |
たけだ | もとのぶ |
幕府 | 保守鷹派 | 越前若狭 | 武将 | (1455-1521)若狭守護。国信の子。段銭徴収に反対して蜂起した土一揆に敗れ、段銭を免除する。また、丹後の一色家との戦いに敗れて逆に侵攻を許すなど、勢力を失った。
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武田 |
元信 |
36 | 57 | 22 |
J |
51 | 60 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
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