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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おだ | としのぶ |
朝廷 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1466-1517)斯波家臣。尾張下四郡の守護代・敏定の子。備後守と称す。岩倉城主を務めた。六角家攻めに従軍したり、主君・義良に従って在京するなど、各地で活躍した。
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織田 |
敏信 |
37 | 40 | 23 |
K |
32 | 33 |
長槍 | 哀願 |
威圧 | - |
- |
ほそかわ | すみゆき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 山城 | 高家 | (1489-1507)管領・細川政元の養子。前関白・九条政基の子。主君・政元を暗殺した香西元長らに擁立されて当主となるが、同じく養子の澄元に攻められて敗北、自害した。
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細川 |
澄之 |
18 | 27 | 23 |
S |
69 | 24 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
あかまつ | まさのり |
幕府 | 天下布武 | 播磨 | 高家 | (1455-1496)播磨守護。赤松家は嘉吉の乱により没落していたが、南朝方より神器を奪回した功により再興。浦上則宗の補佐を受けて山名家を駆逐し、旧領回復に成功した。
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赤松 |
政則 |
72 | 27 | 23 |
M |
78 | 78 |
騎馬 | 農業 |
治療 | - |
- |
みうら | さだくに |
幕府 | 保守鷹派 | 美作 | 武将 | (1487-1532)美作の豪族。貞連の子。三浦家は源頼朝の奥州征伐で功を立て、会津四郡を賜った佐原義連の末裔・杉本貞宗を始祖とする。貞宗は高田城を築き、居城とした。
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三浦 |
貞国 |
42 | 25 | 23 |
E |
74 | 18 |
足軽 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
かさい | ちかのぶ |
朝廷 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1513-1560)葛西家16代当主。晴胤の嫡男。寺池城主。父の死後、葛西家の家督を継ぐ。しかし、病弱のため、さしたる事跡も残せぬまま、治世わずか5年で病没した。
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葛西 |
親信 |
35 | 18 | 24 |
R |
44 | 21 |
騎馬 | 商業 |
収拾 | - |
- |
いずみだ | たねきよ |
名声 | 保守鷹派 | 磐城 | 武将 | (1563-1602)相馬家臣。泉田城主。1588年、守備していた大越城に攻め寄せてきた伊達政宗の軍を撃退するなど、主君・義胤に従って伊達家と攻防を繰り返した。
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泉田 |
胤清 |
25 | 42 | 24 |
F |
60 | 42 |
長槍 | 哀願 |
罵声 | - |
- |
きすぎ | ときひで |
無し | 好戦陰湿 | 羽前 | 国人 | (1543-1575)出羽の豪族。16世紀後半、飽海郡に観音寺城を築き、居城とした。尾浦城主・大宝寺家に仕え、約2千5百石を知行したという。
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来次 |
時秀 |
51 | 34 | 24 |
Y |
30 | 32 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | - |
- |
やまがみ | どうきゅう |
無し | 好戦人情 | 下野 | 旧仏教 | (1542-1605)佐野家臣。佐野四天王の1人。道及と称す。首供養を3度行ったという家中随一の猛将。のち武者修業のため致仕した。関ヶ原合戦では上杉家に属して戦った。
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山上 |
道及 |
12 | 80 | 24 |
K |
94 | 27 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 挑発 |
突入 |
ほんだ | しげつぐ |
幕府 | 好戦人情 | 三河 | 武将 | (1529-1596)徳川家臣。岡崎奉行を務め、「鬼作左」の異名をとる。豊臣秀吉の母・大政所が徳川家の人質となった際、冷遇したため秀吉の怒りを買い、閉居処分となった。
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本多 |
重次 |
63 | 45 | 24 |
B |
78 | 47 |
長槍 | 農業 |
罵声 | 誘導 |
- |
めんじゅ | かつてる |
無し | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1551-1583)柴田家臣。主君・勝家の小姓頭として1万石を領す。賤ヶ岳合戦で柴田軍が壊走した際、羽柴軍の追撃を阻んで奮戦。勝家を越前へ退却させたあと、戦死した。
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毛受 |
勝照 |
5 | 49 | 24 |
E |
69 | 7 |
騎馬 | 哀願 |
収拾 | 誘導 |
- |
たけだ | よしのぶ |
幕府 | 好戦人情 | 甲斐 | 武将 | (1538-1567)信玄の長男。川中島合戦などで活躍。妻の実家・今川家攻略に反対し、謀叛を企むが失敗する。東光寺に幽閉され、2年後に死去した。自害とも病死ともいう。
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武田 |
義信 |
40 | 72 | 24 |
K |
90 | 61 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 破壊 |
誘導 |
ふじさわ | よりちか |
無し | 保守鷹派 | 南信濃 | 国人 | (1523-1582)信濃の豪族。福与城主。武田軍に敗れたあとは小笠原家を頼り、小笠原家滅亡後は諸国を放浪した。のち伊那谷に戻るが徳川家に属する豪族に攻められて滅亡。
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藤沢 |
頼親 |
27 | 46 | 24 |
A |
50 | 47 |
長槍 | 弁舌 |
密偵 | 迎撃 |
- |
おおだて | よしざね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 伊賀 | 武将 | (1537-1601)足利家臣。関岡城主。義輝・義昭の2代に仕えた。幕府滅亡後は所領を失い、堺に住む。のちに朝鮮派兵に従い、伊賀に所領を得た。甲冑の研究家として著名。
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大館 |
義実 |
63 | 9 | 24 |
V |
68 | 13 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
つちばし | しげはる |
朝廷 | 保守鷹派 | 紀伊 | 一向宗 | (1526-1595)紀伊の豪族。兄・守重を殺した鈴木重朝とともに豊臣秀吉に招かれるが、応じなかった。のち徳川家を経て北条家に仕える。北条家の滅亡後は毛利家に仕えた。
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土橋 |
重治 |
20 | 36 | 24 |
W |
32 | 44 |
鉄砲 | 改修 |
焙烙 | - |
- |
たけうち | ひさもり |
無し | 保守鳩派 | 美作 | 国人 | (1503-1595)美作の豪族。一ノ瀬城主。宇喜多直家の美作侵攻軍に敗れ、その臣下となる。戦場における組み討ちを基本とした日本最古の柔術流派・竹内流柔術を創始した。
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竹内 |
久盛 |
10 | 55 | 24 |
R |
39 | 18 |
足軽 | 農業 |
治療 | 誘導 |
- |
もうり | てるもと |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 安芸 | 武将 | (1553-1625)安芸の戦国大名。隆元の嫡男。祖父・元就の死後、家督を継ぐ。豊臣家に属し五大老の1人となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後、防長2国に減封された。
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毛利 |
輝元 |
46 | 45 | 24 |
I |
71 | 47 |
足軽 | 茶湯 |
鼓舞 | 誘導 |
- |
たけだ | のぶしげ |
幕府 | 好戦人情 | 安芸 | 高家 | (1512-1541)安芸武田家臣。光和の甥。光和の死後、若狭武田家より迎えられた信実と家督を争い、敗れた。主家滅亡時に戦死した。子・竹若丸はのちの安国寺恵瓊である。
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武田 |
信重 |
33 | 19 | 24 |
Y |
46 | 39 |
長槍 | 改修 |
迎撃 | - |
- |
くぼかわ | としみつ |
朝廷・名声 | 保守鷹派 | 土佐 | 武将 | (1530-1579)土佐一条家臣。串山城主。高岡郡窪川郷を本拠とし、山内から窪川に改姓した。のちに長宗我部元親に属す。久武親直に従って南伊予地方を攻略中に戦死した。
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窪川 |
俊光 |
29 | 46 | 24 |
S |
38 | 52 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | 迎撃 |
- |
ともなが | さきやす |
朝廷 | 好戦直情 | 肥前 | 武将 | (1578-1635)大村家臣。純盛(純利の甥)の子。朝鮮派兵では平壌から撤退する日本軍の殿軍を務める主君・喜前に従い、抜群の戦功を立てた。のち江戸で外交を担当した。
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朝長 |
前安 |
48 | 63 | 24 |
T |
69 | 54 |
騎馬 | 威圧 |
焙烙 | 迎撃 |
- |
みたい | ちかたけ |
無し | 保守鳩派 | 日向 | 国人 | (1532-1591)日向の豪族。三田井家は祖母嶽明神の子孫と称する大神家の一門。日向延岡を領した高橋元種に従わず、反抗したため、高橋軍の攻撃を受け、敗死した。
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三田井 |
親武 |
54 | 28 | 24 |
K |
32 | 48 |
足軽 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |