| |
重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
|
武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
しぶかわ | ただしげ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 筑前 | 高家 | (1481-1523)九州探題。兄・万寿丸が家臣に殺されたため、家督を継ぐ。周防守護・大内義興の支援を受けて肥前や筑前で勢力を保つが、少弐家に敗北し、肥前を追われた。
|
渋川 |
尹繁 |
18 | 36 | 22 |
N |
49 | 52 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
しまづ | ただひろ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 日向 | 武将 | (1482-1551)島津家臣。忠朝の子。右馬頭と称す。飫肥城主。領地を接する伊東義祐の侵攻をたびたび受けるが、その都度撃退し、日向における島津家の所領を守り抜いた。
|
島津 |
忠広 |
28 | 47 | 22 |
X |
69 | 48 |
鉄砲 | 登用 |
混乱 | 誘導 |
- |
かわさき | ときもり |
無し | 保守鷹派 | 越前若狭 | 国人 | (1554-1613)越前国出身の剣豪。川崎鑰之助(かぎのすけ)と称す。諸国を流浪中、東軍坊と名乗る老僧に出会う。3年の修行の末に奥義を授かり「東軍流」を創始した。
|
川崎 |
時盛 |
20 | 91 | 22 |
H |
55 | 36 |
長槍 | 剣豪 |
密偵 | 分断 |
- |
しずくいし | あきさだ |
幕府 | 好戦直情 | 陸中 | 高家 | (1498-1557)奥州斯波家臣。詮高の次男。父が雫石地方を攻略した際に、雫石城主となり、雫石御所を称した。雫石城は、斯波家滅亡の際に南部信直によって攻略された。
|
雫石 |
詮貞 |
44 | 43 | 23 |
W |
39 | 45 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
しらかわ | よしひろ |
幕府 | 保守鷹派 | 常陸 | 武将 | (1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り蘆名家を継ぐ。摺上原で伊達政宗の軍に敗れ、故郷の常陸に逃れた。
|
白河 |
義広 |
47 | 46 | 23 |
I |
47 | 42 |
足軽 | 哀願 |
罵声 | 誘導 |
- |
にほんまつ | よしつな |
幕府 | 保守鷹派 | 岩代 | 武将 | (1574-1589)二本松畠山家15代当主。義継の子。伊達政宗の猛攻を受けて居城・二本松城を開城し、蘆名家を頼る。蘆名盛重の常陸退去に従うが、のちに盛重に殺された。
|
二本松 |
義綱 |
25 | 27 | 23 |
V |
55 | 26 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
さたけ | よしかた |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1518-1571)佐竹家臣。東家・政義の嫡男。若年の宗家・義昭に仕え、北家・義廉や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。1566年には那須家と戦い、敗れた。
|
佐竹 |
義堅 |
52 | 44 | 23 |
H |
67 | 30 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
きつれがわ | よりうじ |
幕府・名声 | 天下布武 | 上総安房 | 高家 | (1580-1630)下野喜連川城主。頼純の子。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、肥前名護屋城へ赴く途中に死去。そのため、兄の正室(足利義氏の娘)を娶り遺領を継いだ。
|
喜連川 |
頼氏 |
45 | 4 | 23 |
V |
52 | 5 |
足軽 | 茶湯 |
治療 | - |
- |
ほうじょう | うじかつ |
名声 | 保守鳩派 | 相模伊豆 | 武将 | (1559-1611)北条家臣。氏繁の子。父の死後、玉縄城主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際は山中城を守るが落城、その後は居城に籠城するが降伏、戦後は徳川家に仕えた。
|
北条 |
氏勝 |
28 | 27 | 23 |
O |
25 | 35 |
鉄砲 | 弁舌 |
誘導 | - |
- |
きのした | ひであき |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 尾張 | 武将 | (1582-1602)豊臣家臣。木下家定の子。豊臣秀吉の命により小早川隆景の養子となる。関ヶ原合戦では東軍に寝返り、東軍勝利に大きく貢献したが、その2年後に急死した。
|
木下 |
秀秋 |
14 | 36 | 23 |
B |
10 | 34 |
足軽 | 茶湯 |
混乱 | - |
- |
とおやま | ともただ |
名声 | 好戦人情 | 美濃 | 国人 | (1531-1605)美濃の豪族。苗木城主。友勝の子。武田家臣・秋山信友と戦う。のちに森長可と争って出奔、徳川家康を頼る。関ヶ原合戦で河尻秀長を破り、居城を奪還した。
|
遠山 |
友忠 |
37 | 40 | 23 |
G |
48 | 58 |
騎馬 | 弁舌 |
密偵 | - |
- |
ながさか | みつかた |
名声 | 好戦陰湿 | 甲斐 | 武将 | (1548-1582)武田家臣。勝頼の寵臣で、長篠合戦では跡部勝資とともに進撃を主張し、武田家の大敗を招いた。主家滅亡時に、織田信長に殺されたという。佞臣と評された。
|
長坂 |
光堅 |
42 | 12 | 23 |
M |
23 | 41 |
足軽 | 威圧 |
誘導 | - |
- |
しいな | かげなお |
幕府 | 保守鷹派 | 南越後 | 武将 | (1537-1586)越中の豪族。養父・康胤の死後、家督を継ぐ。織田信長の越中侵攻軍に敗れ、越後に逃れた。御館の乱では上杉景虎に属すが敗れ逃亡、以後は織田家に属した。
|
椎名 |
景直 |
27 | 18 | 23 |
J |
56 | 48 |
騎馬 | 商業 |
迎撃 | - |
- |
しんじょう | なおただ |
幕府 | 好戦人情 | 近江 | 国人 | (1542-1620)豊臣家臣。豊臣家直領代官を務めた。朝鮮派兵では渡海して活躍。関ヶ原合戦後近江で少禄を得た。兄・直頼とともに文武に長け人倫を心得た武士と評された。
|
新庄 |
直忠 |
63 | 31 | 23 |
W |
56 | 27 |
騎馬 | 改修 |
収拾 | - |
- |
あしかが | よしてる |
幕府 | 天下布武 | 山城 | 高家 | (1536-1565)室町幕府13代将軍。上泉信綱より新陰流の奥義を伝授される。失われた幕府権力の回復に奔走するが、のちに松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の末自害した。
|
足利 |
義輝 |
47 | 70 | 23 |
N |
79 | 79 |
足軽 | 剣豪 |
威圧 | 迎撃 |
- |
みよし | そうさん |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 摂津 | 旧仏教 | (1508-1549)細川家臣。摂津榎並城主。主君・晴元の側近として各地の合戦で活躍する。のちに一族の三好長慶と対立してたびたび合戦におよび、摂津江口合戦で敗死した。
|
三好 |
宗三 |
34 | 42 | 23 |
K |
39 | 61 |
足軽 | 茶湯 |
密偵 | - |
- |
うえき | ひですけ |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 備中 | 国人 | (1540-1579)備中の豪族。佐井田城主。下総守と称した。父・秀長と同様に毛利・宇喜多両家の間で離合集散を繰り返す。一時尼子家に居城を奪われるが、のちに奪回した。
|
植木 |
秀資 |
40 | 20 | 23 |
V |
23 | 36 |
足軽 | 農業 |
罵声 | - |
- |
すぎ | しげよし |
幕府 | 保守鷹派 | 豊前 | 武将 | (1552-1579)大内家臣。祖父・重矩と父・重輔を陶晴賢に殺されたため、毛利家に属し、福原貞俊の娘を娶る。のちに大友家に属すが大友家を離反した高橋鑑種に討たれた。
|
杉 |
重良 |
28 | 18 | 23 |
J |
22 | 48 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
たわら | ちかいえ |
幕府 | 好戦直情 | 豊後 | 切支丹 | (1561-1641)大友家臣。宗麟の次男。父の命で僧侶となるが、武術に励み、のちに還俗。島津義久に通じたため、所領を没収される。主家改易後は肥後細川家などに仕えた。
|
田原 |
親家 |
25 | 60 | 23 |
E |
59 | 72 |
長槍 | 農業 |
誘導 | 挑発 |
- |
いわまつ | まさずみ |
幕府 | 保守鳩派 | 上野 | 高家 | (1485-1529)上野金山城主。尚純の子。父の隠居後、幼少の身で家督を継ぐ。専横を振るう家臣・横瀬泰繁と対立し、泰繁の打倒を図るが失敗し、泰繁の軍勢に討たれた。
|
岩松 |
昌純 |
22 | 39 | 23 |
Q |
53 | 16 |
足軽 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |