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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
おおた | すけより |
幕府 | 好戦陰湿 | 武蔵 | 武将 | (1484-1536)扇谷上杉家臣。資家の子。北条氏綱に通じて岩付城の太田永厳(道灌の弟・資忠の孫)・源六親子を討ち、岩付城主となるが、間もなく扇谷上杉家に帰参した。
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太田 |
資頼 |
47 | 48 | 18 |
Q |
45 | 19 |
騎馬 | 商業 |
罵声 | 誘導 |
- |
まつだいら | のぶただ |
幕府・名声 | 好戦陰湿 | 三河 | 武将 | (1492-1531)三河の豪族。長親の子。父の隠居により家督を継ぐが、器量が乏しく家臣の離反が相次いだため、子・清康に家督を譲り隠居した。隠居後は清康を補佐した。
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松平 |
信忠 |
21 | 52 | 18 |
B |
43 | 50 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
とおやま | かげとも |
無し | 好戦人情 | 美濃 | 国人 | (1468-1524)美濃の豪族。頼景の子。岩村城主。長男の景前は岩村城主、次男・直廉は苗木城主となる。苗木城は南北朝時代に遠山景村(遠山家の祖・景朝の甥)が築いた。
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遠山 |
景友 |
32 | 36 | 18 |
I |
21 | 29 |
足軽 | 商業 |
収拾 | - |
- |
みぞぐち | ながとも |
無し | 好戦人情 | 南信濃 | 武将 | (1483-1554)小笠原家臣。美作守と称す。嫡男・長勝とともに主家に仕え、活躍した。主君・長時が信濃を退去し、三好家を頼った際これに従う。72歳で戦死したという。
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溝口 |
長友 |
20 | 46 | 18 |
G |
93 | 2 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | - |
- |
やすとみ | もといえ |
幕府・名声 | 好戦人情 | 讃岐 | 武将 | (1463-1511)細川家臣。家宰を務め、近江・河内など各地に転戦し、畠山政長を滅ぼすなど活躍。主君・政元が修験道に凝って政務をおろそかにした際は、政務を代行した。
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安富 |
元家 |
74 | 18 | 18 |
S |
94 | 36 |
長槍 | 登用 |
威圧 | - |
- |
たかはし | おきみつ |
朝廷・名声 | 好戦直情 | 石見 | 国人 | (1500-1529)石見の豪族。弘厚の子。伯父・元光の死後、祖父・久光の指名によって高橋家を継いだ。のちに尼子家に寝返ったため、毛利元就に攻められて敗れ、戦死した。
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高橋 |
興光 |
24 | 39 | 18 |
Q |
41 | 43 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
わたなべ | とおる |
無し | 好戦人情 | 安芸 | 武将 | (1509-1543)毛利家臣。相合元綱の擁立を企んで殺された勝の子。大内義隆が出雲遠征で大敗した際、殿軍を受け持つ主君・元就を救い、郎党とともに壮絶な戦死を遂げた。
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渡辺 |
通 |
18 | 71 | 18 |
M |
97 | 44 |
騎馬 | 登用 |
威圧 | 破壊 |
- |
しきち | ふじやす |
朝廷・名声 | 好戦人情 | 土佐 | 高家 | (1469-1540)土佐一条家臣。民部少輔と称す。主君・房冬の傅役を務めたが、娘が房冬の妻となったことから、ほかの家臣が嫉妬して讒言され、房冬から自害を命じられた。
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敷地 |
藤安 |
74 | 31 | 18 |
D |
95 | 11 |
足軽 | 弁舌 |
収拾 | - |
- |
にった | よしさだ |
幕府 | 天下布武 | 上野 | 高家 | (1552-1589)南北朝期の武将。足利尊氏らとともに後醍醐天皇に属し、鎌倉幕府を倒す功を立てたが、離反した尊氏と対立。越前灯明寺の戦いで眉間を射抜かれて戦死した。
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新田 |
義貞 |
31 | 95 | 18 |
R |
75 | 13 |
長槍 | 威圧 |
破壊 | 挑発 |
- |
るす | あきむね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 陸前 | 武将 | (1519-1586)留守家17代当主。景宗の嫡男。国分家らと戦いを繰り返した。のちに伊達晴宗の三男・政景を娘婿として隠居。この際嫡男・宗綱は高城家の養子となった。
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留守 |
顕宗 |
60 | 24 | 19 |
L |
72 | 13 |
足軽 | 商業 |
密偵 | - |
- |
うえすぎ | ともさだ |
幕府 | 天下布武 | 武蔵 | 高家 | (1525-1546)扇谷上杉家当主。朝興の子。北条家に居城・河越城を奪われる。周辺諸国と和睦して大軍で河越城を囲むが、北条軍の奇襲に遭い戦死、扇谷上杉家は断絶した。
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上杉 |
朝定 |
38 | 36 | 19 |
B |
73 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
まつだいら | ひろただ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 三河 | 武将 | (1526-1549)三河の戦国大名。清康の子。一時は居城の岡崎城を追われるがのちに復帰。今川義元の庇護を受けて領国経営を進めるが反松平派の刺客・岩松八弥に殺された。
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松平 |
広忠 |
42 | 33 | 19 |
B |
57 | 49 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
かわじり | ひでたか |
朝廷 | 好戦直情 | 尾張 | 武将 | (1527-1582)織田家臣。黒母衣衆筆頭。信長の嫡男・信忠の補佐役となる。甲斐平定戦で活躍し、戦後、甲斐一国を与えられた。本能寺の変後、甲斐の国人一揆で殺された。
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河尻 |
秀隆 |
14 | 58 | 19 |
E |
48 | 65 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |
しいな | やすたね |
朝廷 | 好戦直情 | 越中 | 武将 | (1499-1576)越中の豪族。松倉城主。上杉謙信の従兄弟・長尾景直を養子とし、謙信と結ぶ。しかし、のちに武田家と結んだため、謙信に攻められて敗れ、戦死したという。
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椎名 |
康胤 |
32 | 39 | 19 |
J |
35 | 55 |
騎馬 | 登用 |
混乱 | - |
- |
みよし | ながはる |
幕府 | 好戦直情 | 阿波淡路 | 武将 | (1553-1577)義賢の子。父の死後、篠原長房の後見で家督を継ぐが、讒言に惑わされ、細川真之とともに長房を討った。のちに長宗我部元親に通じた真之と戦い、敗死した。
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三好 |
長治 |
26 | 34 | 19 |
P |
31 | 38 |
足軽 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
ふくすみ | じょうけい |
幕府 | 好戦直情 | 大和 | 旧仏教 | (1566-1615)豊臣家臣。福須美順弘の子。叔父・順慶の養子となる。従兄弟・定次の改易後、家督を継いだ。大坂夏の陣で城方に居城を落とされて逃亡し、のちに自害した。
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福須美 |
定慶 |
44 | 6 | 19 |
A |
39 | 11 |
足軽 | 哀願 |
鼓舞 | - |
- |
うの | すけきよ |
幕府 | 保守鷹派 | 播磨 | 国人 | (1541-1580)赤松家臣。長水城主。政頼の子。宇野家は赤松家のもとで守護代を務めた。のち毛利家に属して織田家に対抗したが、羽柴秀吉の中国侵攻軍に敗れ、自害した。
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宇野 |
祐清 |
24 | 18 | 19 |
V |
51 | 37 |
足軽 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
うえの | たかのり |
朝廷 | 保守鷹派 | 備中 | 武将 | (1544-1575)三村家臣。常山城主。主君・家親の娘を娶った。義兄・元親の死後も居城に籠城して毛利家に抵抗したため、小早川隆景率いる毛利軍の攻撃を受け、玉砕した。
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上野 |
隆徳 |
36 | 55 | 19 |
K |
77 | 48 |
長槍 | 改修 |
治療 | 迎撃 |
- |
きっかわ | おきつね |
幕府 | 好戦直情 | 安芸 | 武将 | (1508-1550)安芸の豪族。尼子家と大内家の間で離合集散を繰り返す。家臣団の分裂に乗じた毛利元就が次男・元春を養子として送り込んで乗っ取り、その直後に殺された。
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吉川 |
興経 |
18 | 58 | 19 |
V |
25 | 57 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | 迎撃 |
- |
たけだ | のぶざね |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 越前若狭 | 高家 | (1517-1546)安芸武田家11代当主。光和の死後、若狭武田家より当主に迎えられた。尼子家に属すが、尼子家が郡山合戦で敗れたあと毛利軍の攻撃を受け出雲に逃亡した。
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武田 |
信実 |
29 | 5 | 19 |
J |
19 | 16 |
足軽 | 哀願 |
混乱 | - |
- |