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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
あそ | これみつ |
朝廷 | 保守鳩派 | 肥後 | 旧仏教 | (1582-1593)肥後の豪族。岩尾城主。惟種の子。わずか3歳で阿蘇大宮司となる。豊臣秀吉に降り、佐々成政に仕えるが、肥後国人一揆を扇動したとの讒言により殺された。
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阿蘇 |
惟光 |
27 | 26 | 11 |
E |
55 | 43 |
鉄砲 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
こくぶん | もりしげ |
幕府 | 好戦直情 | 羽前 | 武将 | (1553-1615)伊達家臣。伊達晴宗の十男。国分家を継ぐ。1599年、病と称して岩出山城に出仕せず、叛意を疑われたため出奔。姉の嫁ぎ先である佐竹家に身を寄せた。
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国分 |
盛重 |
28 | 17 | 12 |
M |
14 | 45 |
鉄砲 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
こたべ | かつなり |
無し | 好戦直情 | 岩代 | 武将 | (1560-1619)二本松畠山家臣。騎戦に長け、単騎で敵陣を破ること多く、乗込大学の異名をとる。主家滅亡後は浪人生活を経て伊達家に仕え、武頭役として3百石を領した。
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小田辺 |
勝成 |
8 | 71 | 12 |
S |
73 | 29 |
騎馬 | 改修 |
破壊 | 挑発 |
- |
おかみ | よりただ |
無し | 保守鳩派 | 常陸 | 武将 | (1547-1586)小田家臣。多賀谷政経らに居城・谷田部城を奪われるが、10年後に北条氏照の後援を得て奪回した。しかしのちに多賀谷重経(政経の子)に敗れ、戦死した。
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岡見 |
頼忠 |
31 | 27 | 12 |
P |
68 | 12 |
騎馬 | 改修 |
誘導 | - |
- |
さいとう | たつおき |
無し | 保守鳩派 | 美濃 | 武将 | (1548-1573)美濃の戦国大名。義龍の嫡男。父の死後家督を継ぐ。美濃三人衆に背かれ、織田信長に敗れて追放された。その後は朝倉家に属し、越前刀禰坂合戦で戦死した。
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斎藤 |
龍興 |
32 | 21 | 12 |
K |
29 | 46 |
足軽 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
おおい | さだたか |
無し | 好戦人情 | 北信濃 | 国人 | (1504-1543)信濃の豪族。岩村田城主。武田信玄の信濃侵攻軍に敗れて居城を失い、長窪城に退く。しかし、長窪城も攻められて生け捕りにされた。のちに殺されたという。
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大井 |
貞隆 |
39 | 22 | 12 |
A |
33 | 26 |
足軽 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
はなぶさ | もとひで |
幕府 | 好戦直情 | 美作 | 旧仏教 | (1549-1616)宇喜多家臣。一番槍や一番乗りの功を多数立てた武勇の士。のち主君・秀家に諫言して勘気を蒙り出奔。関ヶ原合戦では東軍に属し、備中高松で8千石を得た。
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花房 |
職秀 |
9 | 52 | 12 |
F |
46 | 66 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | - |
- |
こばやかわ | しげひら |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 備後 | 武将 | (1541-1574)安芸の豪族。正平の子。父の死後家督を継ぐが、3歳の時に失明した。軍事指揮を執ることが困難なため、毛利元就の三男・隆景を養子として迎え、剃髪した。
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小早川 |
繁平 |
45 | 7 | 12 |
O |
62 | 9 |
足軽 | 商業 |
鼓舞 | - |
- |
なす | たかすけ |
幕府 | 好戦人情 | 下野 | 武将 | (1520-1551)下野の戦国大名。政資の嫡男。父と対立し、父と結ぶ宇都宮尚綱に攻められるが尚綱を討って撃退した。のち尚綱の子・広綱と芳賀高定の謀略に遭い横死した。
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那須 |
高資 |
32 | 69 | 13 |
Q |
41 | 64 |
長槍 | 登用 |
離反 | 迎撃 |
- |
わたなべ | もりつな |
幕府 | 好戦直情 | 三河 | 武将 | (1542-1620)徳川家臣。各地を転戦して戦功を立て、「槍の半蔵」の異名をとる。関ヶ原合戦には旗本として参陣。晩年は尾張徳川家の家老となり、当主・義直を補佐した。
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渡辺 |
守綱 |
3 | 66 | 13 |
B |
69 | 49 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
- |
まがら | なおたか |
無し | 好戦人情 | 越前若狭 | 武将 | (1536-1570)朝倉家臣。弟・直澄とともに家中随一の剛勇の士として名を馳せる。姉川合戦で味方兵が敗走する中、徳川軍を相手に奮戦するが、子・隆基とともに戦死した。
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真柄 |
直隆 |
4 | 74 | 13 |
U |
93 | 4 |
長槍 | 威圧 |
威圧 | 突入 |
- |
なつか | まさいえ |
名声 | 保守鳩派 | 近江 | 武将 | (1556-1600)丹羽家臣。主家没落後は豊臣家に仕え、五奉行の1人となる。算術に通じ、主家の賦課収納の財政処理を担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。
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長束 |
正家 |
86 | 8 | 13 |
D |
25 | 37 |
足軽 | 商業 |
迎撃 | - |
- |
てしま | おきのぶ |
無し | 好戦直情 | 安芸 | 武将 | (1526-1550)吉川家臣。幼少の頃より主君・興経に仕える。興経が隠退する際は、これに従った。のちに吉川元春の舅・熊谷信直らの襲撃を受け、興経とともに殺害された。
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手島 |
興信 |
22 | 60 | 13 |
V |
85 | 8 |
長槍 | 威圧 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
えりぐち | のぶつね |
無し | 好戦直情 | 肥前 | 武将 | (1548-1584)龍造寺家臣。龍造寺四天王の1人。沖田畷合戦で主君・隆信戦死の報を聞くと、単身で島津家久軍の本陣に突入し戦死。「無双の剛の者」と家久に賞賛された。
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江里口 |
信常 |
6 | 75 | 13 |
O |
93 | 65 |
長槍 | 威圧 |
挑発 | 迎撃 |
- |
きもつき | かねもり |
朝廷・名声 | 保守鳩派 | 大隅 | 武将 | (1561-1600)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。次兄・兼亮の追放により家督を継ぐが、島津軍の攻撃を受けて敗れ、所領を差し出し降伏した。関ヶ原合戦で戦死した。
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肝付 |
兼護 |
30 | 28 | 13 |
F |
49 | 12 |
鉄砲 | 哀願 |
迎撃 | - |
- |
えねい | たねはる |
無し | 保守鳩派 | 磐城 | 武将 | (1504-1588)相馬家臣。顕胤・盛胤・義胤に仕え、内政や外交で活躍した。義胤に従って田村家を訪れた際、伊達家に通じた田村家臣の田村月斎に狙撃され、死去した。
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江井 |
胤治 |
54 | 20 | 14 |
F |
67 | 23 |
長槍 | 農業 |
収拾 | - |
- |
あさり | よりひら |
幕府 | 保守鳩派 | 羽後 | 国人 | (1554-1598)出羽の豪族。勝頼の子。父が謀殺された後、津軽に身を隠す。のちに安東家の代官として比内を治めるが、軍役金未納の問題が起き、訴訟中に大坂で急死した。
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浅利 |
頼平 |
46 | 27 | 14 |
U |
27 | 42 |
騎馬 | 哀願 |
混乱 | - |
- |
たいじょう | きよもと |
朝廷 | 保守鷹派 | 常陸 | 国人 | (1573-1590)常陸の豪族。府中城主。貞国の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため佐竹義宣の攻撃を受けて自害した。一族諸氏も太田城に招かれて謀殺された。
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大掾 |
清幹 |
24 | 34 | 14 |
X |
47 | 38 |
長槍 | 弁舌 |
迎撃 | - |
- |
みよし | ひでつぐ |
朝廷・名声 | 天下布武 | 尾張 | 武将 | (1568-1595)豊臣家臣。豊臣秀吉の義兄・三好吉房の子。秀吉から関白職を譲られるが、のちに「殺生関白」と呼ばれるほどの乱行を振るまい、謀叛の罪で自害させられた。
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三好 |
秀次 |
33 | 30 | 14 |
C |
33 | 79 |
足軽 | 茶湯 |
威圧 | - |
- |
らくがんじ | まさかた |
名声 | 保守鷹派 | 北信濃 | 旧仏教 | (1509-1558)村上家臣。楽巌寺城主。もとは楽巌寺の僧であったという。1548年頃、武田信玄に居城を奪われ、戸石城に逃れる。主家の滅亡後は武田信玄に臣従した。
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楽巌寺 |
雅方 |
27 | 38 | 14 |
M |
33 | 53 |
騎馬 | 威圧 |
罵声 | - |
- |