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重視 | 思考 | 出身 | 出自 |
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武将姓 | 武将名 |
政治 | 統率 | 知略 |
相性 | 義理 | 野心 | 列伝 |
兵科 | 特技 | 策戦1 |
策戦2 | 策戦3 | |
りゅうぞうじ | いえかね |
幕府 | 天下布武 | 肥前 | 武将 | (1454-1546)少弐家臣。田手畷合戦で大内軍を破るなど活躍するが、馬場頼周の策謀で多くの一族を殺され、筑後に逐電。のち肥前に復帰して頼周を討ち、再興を果たした。
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龍造寺 |
家兼 |
79 | 70 | 76 |
O |
70 | 87 |
長槍 | 改修 |
鼓舞 | 焙烙 |
誘導 |
りゅうぞうじ | いえずみ |
幕府・名声 | 保守鷹派 | 肥前 | 武将 | (1479-1545)少弐家臣。家兼の子。父が馬場頼周の策謀によって筑後に退去した際、弟・家門や三男・純家とともに筑前に赴くが、途中で神代勝利軍に攻められ、敗死した。
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龍造寺 |
家純 |
46 | 53 | 19 |
O |
59 | 39 |
騎馬 | 農業 |
威圧 | 迎撃 |
- |
りゅうぞうじ | ちかいえ |
幕府 | 保守鷹派 | 肥前 | 武将 | (1504-1545)少弐家臣。家純の子。祖父・家兼が馬場頼周に騙されて筑後に退去した際、弟・頼純らと謝罪使として少弐冬尚を訪ねるが、途中で馬場軍に攻められ敗死した。
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龍造寺 |
周家 |
37 | 50 | 25 |
O |
65 | 30 |
足軽 | 登用 |
鼓舞 | 迎撃 |
- |
りゅうぞうじ | たかのぶ |
幕府 | 好戦直情 | 肥前 | 旧仏教 | (1529-1584)龍造寺家19代当主。周家の子。村中・水ヶ江両家を統一して勢力を拡大し、九州5ヶ国2島を領した「肥前の熊」。沖田畷合戦で島津軍に大敗し、戦死した。
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龍造寺 |
隆信 |
44 | 78 | 55 |
O |
10 | 92 |
長槍 | 威圧 |
罵声 | 破壊 |
突入 |
りゅうぞうじ | まさいえ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 肥前 | 武将 | (1566-1607)龍造寺家20代当主。隆信の嫡男。豊臣秀吉の九州征伐軍の先鋒を務め、所領を安堵される。病のため、秀吉の許可を得て領国経営を家臣・鍋島直茂に委ねた。
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龍造寺 |
政家 |
27 | 41 | 9 |
O |
28 | 22 |
足軽 | 哀願 |
誘導 | - |
- |
えがみ | いえたね |
幕府 | 好戦直情 | 肥前 | 武将 | (1567-1593)龍造寺家臣。龍造寺隆信の次男。江上家の家督を継ぐ。「当世無双の大力」と評された勇将で、各地の合戦で活躍した。朝鮮派兵に従軍するが釜山で死去した。
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江上 |
家種 |
12 | 70 | 4 |
O |
64 | 56 |
騎馬 | 威圧 |
威圧 | 破壊 |
- |
りゅうぞうじ | のぶちか |
幕府 | 保守鳩派 | 肥前 | 武将 | (1534-1608)龍造寺家臣。周家の次男。須古鍋島家の祖となる。大友家の衰退後は豊前方面に進出し、豊前の諸将を服属させて政務を司り、兄・隆信の勢力拡大に貢献した。
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龍造寺 |
信周 |
53 | 48 | 50 |
O |
62 | 47 |
騎馬 | 商業 |
混乱 | 誘導 |
- |
りゅうぞうじ | ながのぶ |
幕府・名声 | 保守鳩派 | 肥前 | 武将 | (1539-1603)龍造寺家臣。周家の三男。多久家の祖となる。肥前梶峯城主を務め、西肥前の有馬家や松浦家に備える。兄・隆信の肥前における勢力の確立に大きく貢献した。
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龍造寺 |
長信 |
56 | 46 | 45 |
O |
55 | 33 |
鉄砲 | 弁舌 |
治療 | 誘導 |
- |
りゅうぞうじ | いえなり |
幕府 | 保守鷹派 | 肥前 | 武将 | (1528-1587)龍造寺家臣。胤久の次男。龍造寺隆信が村中・水ヶ江両家を統一したあとは隆信に従う。少弐家討伐戦で活躍した。のち肥後に赴き、北上する島津軍と戦った。
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龍造寺 |
家就 |
52 | 48 | 42 |
O |
51 | 42 |
長槍 | 登用 |
密偵 | 誘導 |
- |
りゅうぞうじ | いえはる |
幕府 | 好戦陰湿 | 肥前 | 武将 | (1547-1613)龍造寺家臣。鑑兼の子。柳河城攻めなどで活躍した。のちに柳河城主となり、大友軍と戦った。豊臣秀吉の九州征伐後は諫早城主となり、諫早家の祖となった。
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龍造寺 |
家晴 |
43 | 56 | 47 |
O |
43 | 63 |
鉄砲 | 農業 |
収拾 | 迎撃 |
- |