武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
いわざわ | | まんじろう |
諸勢力 |
陸前 |
1587 |
(1572-1641)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
岩沢 | | 万次郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
56 | 49 | 54 |
45 | 95 |
40 |
ほんま | | さくえもん |
諸勢力 |
羽後 |
1565 |
(1550-1630)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
本間 | | 作右衛門 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
51 | 53 | 43 |
49 | 85 |
41 |
しんどう | | しょうべえ |
諸勢力 |
羽後 |
1588 |
(1573-1652)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
進藤 | | 庄兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
57 | 51 | 56 |
44 | 100 |
84 |
うめづ | | ぶんぞう |
諸勢力 |
羽後 |
1584 |
(1569-1624)秋田の商人。秋田は秋田港を擁する港町として栄えた。秋田港は日本最古の船法度「廻船式目」に「三津七湊」の1つとして挙げられ、安東家が代々支配した。 |
梅津 | | 文蔵 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
50 | 50 | 51 |
53 | 50 |
84 |
うえまつ | | しょへいじ |
諸勢力 |
武蔵 |
1575 |
(1560-1622)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
植松 | | 所平次 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
57 | 47 | 49 |
55 | 55 |
40 |
しき | | じえもん |
諸勢力 |
武蔵 |
1583 |
(1568-1619)品川の商人。品川は品川港を擁する港町として発展した。江戸時代には東海道五十三次の一番目の宿場町となり、宿内の家々1千6百軒、人口7千人という。 |
志木 | | 次右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
44 | 46 | 43 |
53 | 70 |
64 |
くすみ | | ぜんざぶろう |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1582 |
(1567-1619)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
久住 | | 善三郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
54 | 56 | 60 |
50 | 100 |
42 |
したづ | | かつすけ |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1594 |
(1579-1650)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
舌津 | | 勝助 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
43 | 51 | 45 |
56 | 30 |
46 |
まつき | | ごろべえ |
諸勢力 |
南信濃 |
1571 |
(1556-1616)諏訪の商人。五郎兵衛は実際は甲斐金座の頭役で、武田家に仕えた。主家滅亡後は徳川家康により甲斐金座は廃されたがのちに家康の命により金貨を鋳造した。 |
松木 | | 五郎兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 46 | 53 |
47 | 30 |
43 |
のりたけ | | ろくろう |
諸勢力 |
南信濃 |
1550 |
(1535-1628)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
則武 | | 六郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
48 | 47 | 55 |
49 | 60 |
41 |
いわさき | | そうざえもん |
諸勢力 |
南越後 |
1546 |
(1531-1618)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
岩崎 | | 宗左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
52 | 53 | 43 |
51 | 30 |
34 |
なかむら | | しんべえ |
諸勢力 |
南越後 |
1563 |
(1548-1617)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
中村 | | 新兵衛 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
53 | 56 | 55 |
51 | 55 |
47 |
のむら | | やはちろう |
諸勢力 |
山城 |
1562 |
(1547-1616)京都の商人。弥八郎は実際は近江長浜の船問屋で、豊臣秀吉から近江日野村郷の地を与えられた。京都は律令時代以後、幕末まで日本の首都として発展した。 |
野村 | | 弥八郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
45 | 53 | 47 |
41 | 70 |
41 |
つじ | | げんさい |
諸勢力 |
山城 |
1546 |
(1531-1626)京都の商人。玄哉は和泉堺の町人とも、禁裏御用達の呉服商ともいう。和歌を三条西実隆、茶の湯を武野紹鴎に学んだ。千利休に台子の古法を教えたという。 |
辻 | | 玄哉 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
53 | 58 | 47 |
42 | 100 |
43 |
たなか | | よへえ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1586 |
(1571-1632)堺の商人。田中家は与兵衛・利休と代を伝えた。与兵衛は魚問屋を営んだ。利休は武野紹鴎から茶の湯を学び「わび茶」を大成した、戦国時代を代表する茶人。 |
田中 | | 与兵衛 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
62 | 57 | 55 |
44 | 65 |
46 |
いとう | | もくのすけ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1589 |
(1574-1637)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
伊藤 | | 杢之助 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 64 | 52 |
52 | 70 |
4 |
あんどう | | へいざえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1591 |
(1576-1649)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
安東 | | 平左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
43 | 52 | 41 |
56 | 85 |
74 |
しぶや | | よえもん |
諸勢力 |
備前備中 |
1605 |
(1590-1653)福岡の商人。与右衛門は実際は備後尾道港を拠点とした船持ち商人で、毛利家の御用商人を務めた。毛利家のほかに、三島村上水軍とも親密な関係を持った。 |
渋谷 | | 与右衛門 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
44 | 60 | 51 |
50 | 60 |
64 |
おおはし | | ぶんえもん |
諸勢力 |
備前備中 |
1607 |
(1592-1652)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
大橋 | | 文右衛門 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
54 | 40 | 54 |
41 | 55 |
94 |
なかむら | | うましろう |
諸勢力 |
土佐 |
1611 |
(1596-1638)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
中村 | | 午四郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
46 | 54 | 55 |
41 | 55 |
46 |