『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
あまご くにひさ 通常版 出雲石見 1507 (1492-1554)尼子家臣。経久の次男。新宮党を率いて甥・晴久を支えるが、のちに対立。これに乗じた毛利元就の謀略により、晴久に討たれ、尼子家衰退の一大要因となる。
尼子又四郎国久 武将騎馬
[訓練] [収拾] [突撃]  277116 7870 4
あまご まさひさ 通常版 出雲石見 1525 (1510-1554)尼子家臣。国久の長男。父とともに新宮党を率いるが、自らの武勇を誇りすぎ、従兄弟・晴久と対立。毛利元就の謀略にかかった晴久の襲撃を受け、戦死した。
尼子 誠久 武将騎馬
[激励] [突撃]  97017 7260 4
かめい これのり 通常版 出雲石見 1572 (1557-1612)尼子家臣。主家滅亡後は豊臣家に仕え、因幡鹿野城主となる。干拓や用水路の建設など領内の産業振興に努めた。また朱印状を得てしゃむに貿易船を派遣した。
亀井新十郎茲矩 武将騎馬
[外交] [貿易] [逃亡]  743764 6855 4
ほんじょう つねみつ 通常版 出雲石見 1528 (1513-1562)尼子家臣。石見山吹城主を務め、大森銀山を守る。毛利元就や吉川元春の攻撃を撃退し、勇名を馳せた。のち元就に降るが、その豪勇を恐れた元就に殺された。
本城 常光 国人衆騎馬
[改修] [訓練] [突撃]  96633 4865 4
べっしょ しげむね 通常版 播磨 1544 (1529-1591)別所家臣。就治の子。甥・長治を補佐する。長治が織田信長に背いた際はこれに従った。長治の死後、浪人生活を経て豊臣秀吉に仕え、九州征伐に従軍した。
別所孫右衛門重宗 武将
[連射]  484140 4165 64
べっしょ よしはる 通常版 播磨 1591 (1579-1654)豊臣家臣。重宗の子。丹波園部1万5千石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属すが所領を安堵された。大坂夏の陣も参加。のちに職務怠慢の罪で改易された。
別所孫七郎吉治 武将鉄砲
[開墾]  23106 840 64
ありま しげのり 通常版 播磨 1527 (1512-1581)播磨の豪族。はじめ摂津有馬郡に住んだが、のちに播磨に移った。有馬家は、有馬郡の地頭職に任ぜられた赤松義祐を始祖とする、赤松家の庶流である。
有馬 重則 国人衆騎馬
[激励]  483922 2945 49
ありま のりより 通常版 播磨 1548 (1533-1602)播磨の豪族。重則の子。豊臣秀吉に仕え九州征伐、朝鮮派兵などに従軍。秀吉の死後は徳川家康に仕えて関ヶ原合戦に従軍し、戦後、摂津三田3万石を領した。
有馬九郎三郎則頼 国人衆
[回復]  563639 4465 49
ありま とようじ 通常版 播磨 1584 (1569-1642)豊臣家臣。則頼の嫡男。秀吉の死後は徳川家康に属し、関ヶ原合戦、大坂の両陣で戦功を挙げ、筑後久留米21万石を領した。島原の乱の鎮圧にも功を立てた。
有馬万助豊氏 国人衆鉄砲
[改修] [茶湯] [雨撃]  444043 5470 49
こでら まさもと 通常版 播磨 1532 (1517-1579)播磨の豪族。御着城主。別所家と親交を結ぶ。はじめ織田家に属すが、荒木村重の謀叛に別所家とともに同調したため、羽柴秀吉の攻撃を受け敗北、逃亡した。
小寺 政職 国人衆
[登用]  393543 6660 45
しみず むねはる 通常版 備前備中 1552 (1537-1582)毛利家臣。備中高松城主。織田信長の中国征伐軍に頑強に抵抗したが、羽柴秀吉の「水攻め」に遭い苦戦を強いられる。城兵の助命を条件に和睦し、自害した。
清水長左衛門宗治 武将
[改修] [激励] [守戦]  167246 4895 54
きっかわ もとはる 通常版 安芸備後 1545 (1530-1586)毛利元就の次男。安芸の豪族・吉川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本したという。
吉川少輔次郎元春 武将騎馬
[開墾] [訓練] [捕縛] [突撃]  568372 8085 41
きっかわ もとなが 通常版 安芸備後 1563 (1548-1587)元春の長男。父に劣らぬ武勇を誇り、豊臣秀吉の九州征伐に従軍した際も、常に勝利を収めたという。父の隠居後、家督を継ぐが、父の死後間もなく病死した。
吉川少輔次郎元長 武将騎馬
[回復] [捕縛] [突撃]  436449 4670 41
きっかわ ひろいえ 通常版 安芸備後 1576 (1561-1625)元春の三男。関ヶ原合戦で西軍の敗北を予想し、外交工作によって毛利宗家の存続を図る。しかし宗家は防長2国に減封され、家中から裏切り者と非難された。
吉川又次郎広家 武将
[商業] [外交] [説得]  715368 5970 41
あまの たかしげ 通常版 周防長門 1518 (1503-1584)大内家臣。主家滅亡後は毛利家に属す。尼子家滅亡後、出雲月山富田城代となり山中鹿之介の軍を撃退した。のち元就の五男・元秋を補佐して出雲を支配した。
天野 隆重 武将
[守戦]  224650 4955 42
いのうえ もとかね 通常版 安芸備後 1501 (1486-1550)毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力した。のちに軍役や普請などの諸役を怠るなどの横柄な態度をとったため、元就によって井上一族30名が殺された。
井上弥坂兵衛元兼 武将
[登用] [槍衾]  257081 8630 43
くちば みちよし 通常版 安芸備後 1528 (1513-1582)毛利家臣。志道広良の次男。吉川元春を補佐して山陰方面の経略を行う。主君・元就の死後、四人衆の1人となり当主・輝元を補佐して主家の国政に参画した。
口羽 通良 武将騎馬
[開墾] [外交] [攻城]  724764 3975 42
くまがい のぶなお 通常版 安芸備後 1522 (1507-1593)毛利家臣。はじめ毛利元就に敵対するがのち従属する。娘が元就の次男・吉川元春に嫁いでからは一門衆として重用され吉川軍の先鋒を務めて各地で奮戦した。
熊谷 信直 国人衆
[訓練] [攻城]  286538 6885 41
くまがい もとなお 通常版 安芸備後 1570 (1555-1605)毛利家臣。信直の孫。各地の合戦に従軍して活躍した。黒田官兵衛の影響を受け切支丹となる。のちに主君・輝元の改宗命令を拒否し、一族全員死罪となった。
熊谷次郎三郎元直 国人衆切支丹
[捕縛]  243116 5050 41
さは たかひで 通常版 出雲石見 1538 (1523-1592)石見の豪族。大内家に属すが、主家滅亡後は毛利家に仕え、石見平定戦で功を立てた。主君・輝元の朝鮮出陣の際は、輝元の居城・広島城の留守居役を務めた。
佐波 隆秀 武将
[守戦]  393436 3440 47

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