『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
あまの かげつら 通常版 駿河遠江 1517 (1502-1590)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
天野小四郎景貫 国人衆
[守戦]  384549 6535 42
いいお つらたつ 通常版 駿河遠江 1546 (1531-1565)今川家臣。曳馬城主。桶狭間の合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受け敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。
飯尾善四郎連竜 武将騎馬
[引抜]  252934 4660 44
いたみ やすなお 通常版 1538 (1523-1596)今川家臣。伊丹城主・雅興の子。幼少の頃に駿河に逃れ、今川家に仕える。氏真の代には海賊奉行を務めた。主家滅亡後は武田家、徳川家で船奉行を務めた。
伊丹権阿弥康直 水軍衆
[三段] [雨撃]  144434 5455 46
うどの ながもち 通常版 三河 1528 (1513-1562)三河の豪族。上の郷城主。今川家の三河侵攻軍に降り、今川義元の妹を娶った。桶狭間の合戦後、徳川家康の攻撃を受け家康配下の甲賀衆・伴資定に討たれた。
鵜殿三郎長持 武将
[連射]  432244 5065 42
うどの ながてる 通常版 三河 1546 (1531-1562)今川家臣。長持の子。桶狭間の合戦後、三河の武将が次々と徳川家に属す中、唯一今川方に残る。そのため、三河平定を目指す徳川軍の攻撃を受け、敗死した。
鵜殿蔵太郎長照 武将
[逃亡]  273625 3460 42
おかべ もとのぶ 通常版 駿河遠江 1547 (1532-1581)今川家臣。桶狭間の合戦では主君・義元の首級を駿河に持ち帰った。主家滅亡後は武田家に仕え、高天神城主となるが、徳川家康の攻撃を受け落城、戦死した。
岡部五郎兵衛元信 武将騎馬
[回復] [激励] [突撃]  156836 6990 42
かつらやま うじもと 通常版 駿河遠江 1539 (1524-1568)今川家臣。葛山城主。家臣屋敷分の年貢減免や領内社寺の保護など、自領内に独自の政策を施した。主家滅亡後は没落し武田信玄の六男・氏貞が跡を継いだ。
葛山八郎氏元 武将
[開墾] [商業]  431933 5955 43
すがぬま さだみつ 通常版 三河 1558 (1543-1604)徳川家臣。野田城主。はじめ今川家に属す。武田信玄の三河侵攻の際は、一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、信玄に居城を攻め落とされた。
菅沼新八郎定盈 国人衆
[激励]  472752 3770 44
せきぐち ちかなが 通常版 駿河遠江 1533 (1518-1562)今川家臣。用宗城主。今川一族で、義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山御前)は徳川家康に嫁いだ。1562年に自害した。主君・氏真の命といわれる。
関口 親永 武将荷駄
[登用]  551050 580 43
やまもと かんすけ 通常版 駿河遠江 1508 (1493-1561)武田家臣。文武百般に通じ、主君・信玄の軍師を務めた。第四次川中島の合戦で「きつつきの戦法」を上杉謙信に見破られた責を負い、乱軍に突入し戦死した。
山本晴幸勘助 武将
[改修] [引抜] [混乱]  418292 7360 64
まつだいら ひでやす 通常版 三河 1589 (1574-1607)徳川家康の次男。結城家の家督を継ぐ。関ヶ原合戦の際は関東に残って上杉景勝に備え、戦後、越前福井75万石を領した。激しい気性の持ち主だったという。
松平於義丸秀康 武将騎馬
[回復] [激励] [突撃]  396910 6890 94
まつだいら ただてる 通常版 三河 1607 (1592-1683)徳川家康の六男。容貌の醜さから父に疎まれて育つ。成人後は越後高田75万石を領すが、大坂夏の陣への遅参が豊臣家への内通疑惑を招き、戦後改易された。
松平辰千代忠輝 武将
[治水] [激励] [槍衾]  146962 7790 94
おおくぼ ただよ 通常版 三河 1547 (1532-1594)徳川家臣。忠員の長男。三方ヶ原合戦、長篠合戦など多くの合戦に従軍し、その豪胆な性格で抜群の功を立て、織田信長や豊臣秀吉にも器量を高く評価された。
大久保新十郎忠世 武将
[改修] [登用] [槍衾]  246262 6090 94
おおくぼ ただすけ 通常版 三河 1552 (1537-1613)徳川家臣。忠員の次男。兄・忠世とともに各地で戦功を重ねる。その剛勇ぶりは織田信長をも賞嘆させるほどであった。関ヶ原合戦後、駿河沼津2万石を領す。
大久保治右衛門忠佐 武将
[訓練] [捕縛] [攻城]  176554 5190 94
はっとり やすなが 通常版 三河 1528 (1513-1582)徳川家臣。伊賀忍者を率いて隠密頭を務めた。桶狭間合戦の際には大高城への兵糧入れに貢献。天正伊賀の乱の直前には甲賀衆を説得し、徳川家に随身させた。
服部半三保長 忍者
[訓練] [捕縛] [混乱]  47676 15100 94
おだ のぶやす 通常版 尾張 1533 (1518-1591)尾張の豪族。岩倉城主。織田信行を支持したため、織田信長と浮野で戦い敗北。のちに子・信賢らに追放された。その後も斉藤義龍を頼り、信長に対抗した。
織田 信安 武将鉄砲
[逃亡]  242436 5545 46
まつの しげもと 通常版 美濃飛騨 1588 (1573-1655)小早川家臣。鉄砲頭を務め、主馬首に任官された。関ヶ原合戦では主君・秀秋の寝返りに呼応せず、戦場を離脱した。その後は田中吉政、徳川忠長に仕えた。
松野平八重元 武将
[槍衾]  104014 1695 4
かなもり ながちか 通常版 美濃飛騨 1539 (1524-1608)織田家臣。赤母衣衆の1人。柴田勝家に従い北陸平定に貢献。勝家の死後は蟄居するが、のち豊臣秀吉に仕えた。茶の湯に秀で、利休七哲の1人に数えられる。
金森五郎八長近 武将
[改修] [茶湯]  554954 2760 94
まえの ながやす 通常版 尾張 1543 (1528-1595)豊臣家臣。蜂須賀正勝とともに墨俣一夜城の築城に協力し、以後、秀吉の片腕として活躍、但馬出石5万石を領した。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害した。
前野将右衛門長康 国人衆鉄砲
[激励] [槍衾]  245954 5990 4
せんごく ひでひさ 通常版 美濃飛騨 1567 (1552-1614)豊臣家臣。淡路島平定の功により、淡路州本5万石を領す。九州征伐の先鋒を務めた際、戸次川合戦で島津軍に大敗し、領国を没収されるが、のちに帰参した。
仙石権兵衛秀久 武将
[守戦]  143117 6645 4

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