武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おおつか | | まさなり |
通常版 |
磐城 |
1534 |
(1519-1558)佐竹家臣。竜子山城主。大塚家はもと岩城家臣。政成の時に、佐竹一家の待遇を受けて佐竹家に属し、のちに佐竹・岩城両家の間に入って和睦を成立させた。 |
大塚 | | 政成 |
武将 | 荷駄 |
[外交] |
60 | 39 | 57 |
73 | 65 |
44 |
させ | | たねつね |
通常版 |
岩代 |
1560 |
(1545-1589)蘆名家臣。蘆名四天の宿老の一。耶麻郡中田付で六斎市を開いていたが、中田付では不便だとして、小田付村に六斎市を移した。摺上原合戦で戦死した。 |
佐瀬 | | 種常 |
武将 | 弓 |
[商業] |
38 | 22 | 43 |
34 | 70 |
44 |
ふなお | | あきなお |
通常版 |
磐城 |
1550 |
(1535-1595)佐竹家臣。船尾家は岩城由隆の弟・隆輔を始祖とする。佐竹家に属し、義昭・義重・義宣の三代に渡って仕え、陸奥方面における佐竹家の先鋒として働いた。 |
船尾 | | 昭直 |
武将 | 槍 |
[開墾] [攻城] |
55 | 49 | 55 |
49 | 55 |
44 |
おの | | ただあき |
通常版 |
上総安房 |
1584 |
(1569-1628)剣術家。初名は御子神典膳。はじめ里見家に仕えたが、剣術修業のために諸国を遍歴し、のちに一刀流の開祖・伊藤一刀斎に師事、小野一刀流を創始した。 |
小野 | 次郎右衛門 | 忠明 |
武将 | 槍 |
[剣豪] |
2 | 70 | 7 |
70 | 50 |
44 |
いいお | | つらたつ |
通常版 |
駿河遠江 |
1546 |
(1531-1565)今川家臣。曳馬城主。桶狭間の合戦後、徳川家に寝返ったため、主君・氏真の攻撃を受け敗北、和睦した。のちに氏真に駿府城に呼ばれ、同地で謀殺された。 |
飯尾 | 善四郎 | 連竜 |
武将 | 騎馬 |
[引抜] |
25 | 29 | 34 |
46 | 60 |
44 |
すがぬま | | さだみつ |
通常版 |
三河 |
1558 |
(1543-1604)徳川家臣。野田城主。はじめ今川家に属す。武田信玄の三河侵攻の際は、一族の多くが信玄に寝返る中、一貫して徳川家に属し、信玄に居城を攻め落とされた。 |
菅沼 | 新八郎 | 定盈 |
国人衆 | 弓 |
[激励] |
47 | 27 | 52 |
37 | 70 |
44 |
しおや | | あきさだ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1554 |
(1539-1583)飛騨の土豪。尾崎城主。上杉謙信に属して越中や飛騨で活躍、謙信から目代に任ぜられた。謙信の死後は織田信長に属したが、越中の土豪との戦いで戦死した。 |
塩屋 | | 秋貞 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] |
29 | 18 | 32 |
29 | 85 |
44 |
きたばたけ | | とものり |
通常版 |
伊勢志摩 |
1543 |
(1528-1576)伊勢国司・北畠家8代当主。晴具の子。居城・大河内城に籠城し、織田信長軍と戦うが、信長の次男・信雄を養子とし、和睦した。のちに信雄に謀殺された。 |
北畠 | | 具教 |
武将 | 騎馬 |
[商業] [剣豪] [守戦] |
48 | 64 | 19 |
65 | 75 |
44 |
きたばたけ | | ともふじ |
通常版 |
伊勢志摩 |
1567 |
(1552-1576)北畠具教の次男。北畠家と長野家が和睦した際、長野家の養子となって家督を継ぐ。父とともに織田信長の伊勢侵攻軍に対抗した。のち織田信雄に謀殺された。 |
北畠 | 次郎 | 具藤 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
28 | 31 | 20 |
52 | 85 |
44 |
たけだ | | のぶとら |
通常版 |
甲斐 |
1507 |
(1494-1574)甲斐守護。甲斐を平定するが、その苛烈な政策方針に反発した嫡男・信玄によって駿河に追放された。以後は各地を放浪し、甲斐に再び戻ることはなかった。 |
武田 | 五郎 | 信虎 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [激励] [攻城] |
63 | 96 | 59 |
97 | 35 |
44 |
たけだ | | よしのぶ |
通常版 |
甲斐 |
1553 |
(1538-1567)信玄の長男。川中島合戦などで活躍。妻の実家・今川家攻略に反対し、謀叛を企むが失敗する。東光寺に幽閉され、2年後に死亡した。自害とも病死ともいう。 |
武田 | 太郎 | 義信 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [治水] [突撃] |
39 | 69 | 24 |
68 | 95 |
44 |
おぶ | | とらまさ |
通常版 |
甲斐 |
1519 |
(1504-1565)武田家臣。軍装を赤で統一した部隊を率いて活躍、「甲山の猛虎」の異名をとった。信玄の長男・義信の傅役を務めたが義信の謀叛未遂事件の責任をとり自害。 |
飯富 | | 虎昌 |
武将 | 騎馬 |
[訓練] [突撃] |
42 | 79 | 45 |
67 | 75 |
44 |
わだ | | これまさ |
通常版 |
山城 |
1547 |
(1532-1571)足利家臣。主君・義輝の横死後は義輝の弟・義昭に仕え、将軍就任を陰から支えた。キリスト教を保護し、宣教師・るいす=フロイスを織田信長に紹介した。 |
和田 | | 惟政 |
忍者 | 荷駄 |
[回復] [槍衾] |
49 | 45 | 60 |
35 | 75 |
44 |
たかぎ | | もりかね |
PK追加 |
美濃飛騨 |
1574 |
(1559-1610)豊臣家臣。美濃高須城主として1万石を領す。関ヶ原合戦では西軍に属し、東軍の福島正則らと戦うが敗れた。のち出雲に赴いて堀尾吉晴に仕え、当地で病死。 |
高木 | 八郎左衛門 | 盛兼 |
国人衆 | 荷駄 |
[訓練] |
40 | 42 | 33 |
44 | 75 |
44 |
いまいし | | しょうあん |
諸勢力 |
筑前 |
1597 |
(1582-1649)博多の商人。1567年頃、堺を訪れて茶会を催したという記録が「天王寺屋会記」に残る。博多は大宰府の外港として古くより発展してきた港である。 |
今石 | | 紹安 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
43 | 39 | 42 |
50 | 55 |
44 |