『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
まえだ げんい 通常版 山城 1554 (1539-1602)豊臣家臣。はじめ延暦寺の僧であったが還俗し、織田信忠に仕える。本能寺の変の際は信忠の嫡男・秀信を守って脱出した。のちに豊臣家五奉行の1人となる。
前田半夢斎玄以 旧仏教
[外交] [検地] [説得]  781374 3740 1
みやべ けいじゅん 通常版 山城 1543 (1528-1599)浅井家臣。はじめ比叡山の僧。主家滅亡後は織田信長に属す。羽柴秀吉率いる中国征伐軍の先鋒を務め、因幡鳥取城主となった。晩年は秀吉の御咄衆となった。
宮部善祥坊継潤 旧仏教
[引抜] [連射] [説得]  514667 7270 3
みやべ ながふさ 通常版 山城 1596 (1581-1634)豊臣家臣。因幡鳥取城主。継潤の子。朝鮮派兵などに従軍。関ヶ原合戦では一時東軍に属すが、西軍に寝返り伏見城攻撃などに参加したため、戦後改易された。
宮部 長房 武将
[激励]  362224 6065 3
あしかが よしはる 通常版 山城 1511 (1511-1550)室町幕府12代将軍。阿波で挙兵した三好元長に敗れ、近江に逃亡する。元長の死後、細川晴元に擁されて京に戻ったがのちに晴元と対立し、将軍職を辞した。
足利 義晴 武将
[茶湯] [逃亡]  484014 6975 35
あしかが よしてる 通常版 山城 1546 (1536-1565)室町幕府13代将軍。上泉信綱より新陰流の奥義を伝授される。失われた幕府権力の回復に奔走するが、のちに松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の末自害した。
足利 義輝 武将
[訓練] [登用] [剣豪]  567225 8480 62
あしかが よしあき 通常版 山城 1552 (1537-1597)室町幕府15代将軍。織田信長の後援で将軍職に就くがのちに対立、周辺諸国と協力して「信長包囲網」を敷く。自らも挙兵するが信長に敗れ、京を追われた。
足利 義秋 武将
[外交] [茶湯]  772782 9265 50
きょうごく たかよし 通常版 山城 1517 (1508-1581)足利家臣。主君・義輝の近習を務めた。義輝の死後は、近江に逃れた義輝の弟・義昭のために奔走。義昭の将軍就任後、織田信長と対立して上平寺に隠居した。
京極 高吉 武将
[逃亡] [連射]  502345 2045 35
きょうごく たかつぐ 通常版 山城 1578 (1563-1609)豊臣家臣。高吉の子。妻と妹の縁故により豊臣秀吉に仕え、近江大津6万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に属し居城に籠城、西軍の一部を大津に足止めさせた。
京極小兵衛高次 武将
[商業] [守戦]  493845 5765 43
きょうごく たかとも 通常版 山城 1587 (1572-1622)豊臣家臣。高吉の次男。信濃飯田10万石を領し、城下町の整備に尽力した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、高野山に逃れた兄に徳川家への仕官を説いた。
京極 高知 武将
[登用] [雨撃]  432821 2965 43
にながわ ちかなが 通常版 山城 1549 (1534-1610)足利家臣。主家滅亡後は長宗我部家に仕えた。関ヶ原合戦で長宗我部家が改易された後、一揆の鎮圧に活躍。のち故実に対する知識を買われ、徳川家に仕えた。
蜷川新右衛門親長 武将
[外交]  52840 955 83
ほそかわ ふじたか 通常版 山城 1549 (1534-1610)足利家臣。主君・義輝の横死後は義輝の弟・義昭の擁立に貢献した。その後は的確な情勢判断で細川家の命脈を保った。古今伝授を受けた文化人としても著名。
細川与一郎藤孝 武将
[外交] [奉仕] [茶湯] [守戦]  856682 7870 71
ほそかわ ただおき 通常版 山城 1578 (1563-1645)織田家臣。藤孝の子。明智光秀の娘を娶るが、本能寺の変後は豊臣家に属す。関ヶ原合戦では東軍に属し、豊前中津39万6千石を領した。利休七哲の1人。
細川与一郎忠興 武将
[商業] [茶湯] [激励] [雨撃]  757267 7280 71
まつい やすゆき 通常版 山城 1565 (1550-1612)足利家臣。茶の湯に通じた。主君・義輝の横死後は細川藤孝に仕え、丹後平定などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後、豊後杵築2万6千石を領す。
松井新助康之 武将鉄砲
[開墾] [茶湯]  403144 1485 71
わだ これまさ 通常版 山城 1547 (1532-1571)足利家臣。主君・義輝の横死後は義輝の弟・義昭に仕え、将軍就任を陰から支えた。キリスト教を保護し、宣教師・るいす=フロイスを織田信長に紹介した。
和田 惟政 忍者荷駄
[回復] [槍衾]  494560 3575 44
いしん すうでん 通常版 山城 1584 (1569-1633)徳川家臣。武家諸法度などの法令制定を担当する。方広寺鐘銘事件を引き起こして大坂の陣の口実を作るなど調略面でも活躍し「黒衣の宰相」の異名をとった。
以心 崇伝 旧仏教
[登用] [外交] [説得]  79182 8250 85
すすきだ かねすけ 通常版 山城 1593 (1578-1615)豊臣家臣。大坂冬の陣で博労ヶ淵砦の守備に失敗し、「橙武者」と嘲られた。大坂夏の陣で勇戦し、戦死した。ひひ退治の豪傑・岩見重太郎と同一人物という。
薄田 兼相 武将
[訓練]  3571 5880 27
なんこうぼう てんかい 通常版 山城 1551 (1536-1643)徳川家臣。比叡山で教学を究めた天台宗の僧。主君・家康の側近となり国政に辣腕を振るい「黒衣の宰相」と呼ばれた。明智光秀と同一人物との異説がある。
南光坊 天海 旧仏教
[登用] [引抜] [外交] [説得]  82184 8850 89
はやし らざん 通常版 山城 1598 (1583-1657)徳川家臣。林家朱子学の祖。以心崇伝とともに方広寺鐘銘事件で豊臣秀頼を誹謗し、大坂の陣のきっかけを作った。のちに幕政に参画、各種公文書を起草した。
信勝羅山 武将鉄砲
[商業] [引抜]  76182 7640 80
ほそかわ うじつな 通常版 山城 1529 (1514-1563)室町幕府最後の管領。三好長慶らに擁立され、細川晴元と争う。晴元が近江に逃れた後に入京し、管領に就任した。のちに摂津淀城に移され、同城で死去した。
細川二郎氏綱 武将
[逃亡]  53317 1650 45
ほそかわ ふじかた 通常版 山城 1532 (1517-1590)典厩細川家当主。織田信長に擁され上洛した足利義昭に属す。義昭と信長が対立した際は挙兵を諫めるが、のち義昭とともに戦い敗北。その後は信長に仕えた。
細川四郎藤賢 武将荷駄
[激励]  462355 3940 46

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