『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
かきざき よしひろ 通常版 蝦夷 1494 (1479-1545)蠣崎家3代当主。蠣崎家の始祖・信広がアイヌの首領・コシャマインを討ったため、恨みに燃えるアイヌの大軍が度々来襲し、生涯戦いに明け暮れたという。
蠣崎新三郎義広 武将
[開墾] [混乱]  776981 7950 35
かきざき すえひろ 通常版 蝦夷 1522 (1507-1595)蠣崎家4代当主。義広の子。先祖より対立の続いていたアイヌと和睦し、蝦夷商船往来の制を定める。この政策により、蝦夷地の領主としての地位を確立した。
蠣崎彦太郎季広 武将騎馬
[商業] [貿易] [説得]  715466 4575 35
かきざき よしひろ 通常版 蝦夷 1564 (1549-1616)蠣崎家5代当主。季広の子。豊臣秀吉に接近して蝦夷地における交易権を獲得、独立領主となった。1599年に徳川家康に家系図を献上し、松前姓に改めた。
蠣崎新三郎慶広 武将
[改修] [外交] [貿易] [連射]  765065 8755 35
かきざき もりひろ 通常版 蝦夷 1586 (1571-1608)慶広の長男。徳川家康が内大臣となった際、父とともに家康に拝謁。1600年に家督を継ぐが、父に先立ち病死。子の公広が幼少のため、慶広が後見した。
蠣崎甚五郎盛広 武将鉄砲
[登用] [貿易]  564032 1485 34
かきざき もとひろ 通常版 蝦夷 1521 (1506-1548)高広(光広の次男)の子。光広の三男ともいう。上の国館主。1548年に謀叛を起こし、従兄弟・季広と戦うが敗れ、季広の家臣・長門広益に討たれた。
蠣崎太郎基広 武将
[混乱]  343727 5235 32
こばやし よしみち 通常版 蝦夷 1529 (1514-1563)蝦夷の豪族。アイヌの大酋長・コシャマインに攻められて死んだ志苔館主・小林良景の末裔という。1543年、若狭武田家に使者として派遣された。
小林 良道 国人衆荷駄
[外交]  50138 3050 32
こんどう よしたけ 通常版 蝦夷 1583 (1568-1638)蝦夷の豪族。安東家に仕えていた袮保田館主・近藤季常の末裔という。主君・松前慶広の次男・忠広が元服する際に、御理髪役を務めた。大坂の陣にも従軍。
近藤 義武 国人衆鉄砲
[回復] [捕縛]  292340 4290 33
しもぐに もろすえ 通常版 蝦夷 1538 (1523-1563)蝦夷の豪族。茂別館主。下国家は、安東家から松前守護職を命じられていた。アイヌの攻撃を受け、1562年に松前に逃れ、のちに蠣崎家に従属したという。
下国 師季 武将騎馬
[商業] [貿易]  273032 2745 33
なんじょう ひろつぐ 通常版 蝦夷 1544 (1529-1562)蝦夷の豪族。脇本館主。のちに上の国館主となった。蠣崎季広の娘を娶るが、のちに妻は蠣崎舜広・元広兄弟(季広の長男、次男)毒殺に関わり、誅伐された。
南条 広継 武将
[引抜]  284047 6250 33
おおうら まさのぶ 通常版 陸奥 1512 (1497-1541)南部家臣。大浦城主。わがままで家臣に信望がなかった。和徳城攻めで戦死したが、味方はその事実を知らずに退却、帰城後に初めて主君不在を知ったという。
大浦 政信 武将騎馬
[突撃]  263232 8335 13
おおうら ためのり 通常版 陸奥 1535 (1520-1567)南部家臣。政信の嫡男。大浦城主。父の死後、家督を継ぐ。生来病弱であったという。のちに娘・戌の婿に大浦(津軽)為信を迎えて後嗣とした。
大浦 為則 武将荷駄
[登用] [説得]  553652 1285 13
くじ ためのぶ 通常版 陸奥 1565 (1550-1607)弘前藩初代藩主。大浦為則の娘を娶る。主家・南部家から独立、17年かけて津軽を統一した。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、正式に津軽領主の地位を得た。
久慈平蔵為信 武将騎馬
[引抜] [奉仕] [攻城] [混乱]  847886 9540 13
くじ のぶひら 通常版 陸奥 1601 (1586-1631)弘前藩2代藩主。為信の三男。幼い頃に父の勧めでキリスト教に入信。2人の兄が夭逝したため、父の死後、家督相続。弘前城を築くなど、藩の基礎を固めた。
久慈平蔵信牧 武将鉄砲
[改修] [激励]  544252 4160 13
くさの なおきよ 通常版 磐城 1529 (1514-1563)相馬家臣。顕胤に仕え、中村城代を務めていた。中村城は801年に坂上田村麻呂が菅原実敬に命じて築かせたという。その後は中村家が代々居城としていた。
草野 直清 武将
[連射] [混乱]  421325 4860 34
さとう よしのぶ 通常版 磐城 1526 (1511-1565)相馬家臣。佐藤家はもと岩城家臣であったが、好信の代に相馬家に属す。軍奉行を務めたが、郡左馬助の讒言により領地を没収され、失意のうちに病死した。
佐藤 好信 武将
[開墾] [収拾]  344036 3060 38
さとう ためのぶ 通常版 磐城 1557 (1542-1591)相馬家臣。好信の子。小斎城主。伊達家との合戦の際、援軍に来た郡左馬助を討ち、父の敵をとる。直後に伊達家に属した。のちに佐沼の戦いで戦死した。
佐藤左衛門為信 武将騎馬
[外交] [逃亡]  384552 5555 38
さたけ さだたか 通常版 常陸 1598 (1583-1620)奥州大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。
佐竹忠次郎貞隆 武将
[開墾] [引抜]  433841 2770 23
あんとう きよすえ 通常版 羽後 1529 (1514-1553)檜山安東家7代当主。1550年、蠣崎季広とアイヌ族の和睦協定を裁定するために蝦夷地に渡った。この事により、檜山安東家の蝦夷支配体制が確立された。
安東太郎舜季 武将
[改修] [貿易]  433927 5970 35
あんとう ちかすえ 通常版 羽後 1553 (1539-1587)檜山安東家8代当主。舜季の嫡男。湊・檜山の両安東家を統一し、巧みな戦略で安東家最大の版図を築き上げ「斗星の北天に在るにさも似たり」と恐れられた。
安東太郎愛季 武将騎馬
[商業] [貿易] [守戦] [槍衾]  787075 9175 35
あんとう さねすえ 通常版 羽後 1587 (1576-1659)檜山安東家9代当主。愛季の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。南部家や戸沢家と抗争し、所領を守り抜くが、関ヶ原合戦での不手際により、秋田領を追われた。
安東太郎実季 武将
[訓練] [治水]  444451 5450 35

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