『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
さたけ さだたか 通常版 常陸 1598 (1583-1620)奥州大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。
佐竹忠次郎貞隆 武将
[開墾] [引抜]  433841 2770 23
さたけ よしひろ 通常版 常陸 1584 (1576-1631)蘆名家20代当主。佐竹義重の次男。白河結城家の養子となるが、のち蘆名盛隆の娘を娶り家督を継ぐ。摺上原で伊達政宗と戦って敗れ、故郷の常陸に逃れた。
佐竹平四郎義広 武将鉄砲
[逃亡]  444420 3570 19
さたけ よしあつ 通常版 常陸 1517 (1507-1545)佐竹家16代当主。実弟・義元と家督を争い、しばしば合戦を行うが、部垂城の合戦で義元を討って支配権を確立。佐竹一門による領国支配体制を成立させた。
佐竹 義篤 武将
[開墾] [引抜]  736275 8165 20
さたけ よしあき 通常版 常陸 1545 (1531-1565)佐竹家17代当主。義篤の嫡男。南陸奥の白河結城家を降し、常陸の覇権を巡って小田家と争った。関東管領・上杉憲政が庇護を求めてきたが、拒否している。
佐竹次郎義昭 武将騎馬
[商業] [登用] [槍衾]  756656 8580 20
さたけ よししげ 通常版 常陸 1562 (1547-1612)佐竹家18代当主。義昭の嫡男。父の遺志を継ぎ、常陸の統一に成功する。北条家と伊達家を敵に回し、陣頭で自ら采配を振るう姿は「鬼義重」と恐れられた。
佐竹次郎義重 武将騎馬
[開墾] [訓練] [奉仕] [突撃]  818079 9485 20
さたけ よしのぶ 通常版 常陸 1585 (1570-1633)佐竹家19代当主。義重の嫡男。父に劣らぬ猛将ぶりで知られた。関ヶ原合戦では西軍につく決意を固くし、徳川家康から「今の世に稀な律儀者」と評された。
佐竹次郎義宣 武将鉄砲
[改修] [茶湯] [攻城]  586956 64100 20
さたけ よしかた 通常版 常陸 1529 (1514-1566)佐竹一門。東家・政義の嫡男。若年の宗家・義昭に仕え、北家・義廉や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。1566年には那須家と戦い、敗れた。
佐竹源六郎義堅 武将
[激励]  483720 3360 15
さたけ よしひさ 通常版 常陸 1556 (1541-1601)佐竹一門。東家・義堅の次男。南陸奥方面支配の総指揮を執り、内政、軍事、外交などに幅広い活躍を見せた。石田三成を通じて豊臣秀吉と親交を結んだ。
佐竹源六郎義久 武将
[外交] [検地]  522852 4675 15
さたけ よしかど 通常版 常陸 1531 (1516-1565)佐竹一門。北家・義信の次男。兄・義住の戦死により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。
佐竹又七郎義廉 武将荷駄
[槍衾]  583721 5555 19
さたけ よしこれ 通常版 常陸 1558 (1543-1582)佐竹一門。北家・義廉の嫡男。常陸南部方面の総指揮を執り、江戸家などの有力国人の指南にあたった。また、上杉家に書状を発するなど外交活動も行った。
佐竹又七郎義斯 武将
[攻城]  334035 1965 19
さたけ よしのり 通常版 常陸 1582 (1570-1602)佐竹一門。北家・義斯の嫡男。義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行、植田城に入り岩城家の家政を執行した。主家が出羽秋田に転封された際、これに従った。
佐竹又七郎義憲 武将鉄砲
[登用]  462842 6065 19
おかもと ぜんてつ 通常版 常陸 1543 (1528-1583)佐竹家臣。僧体で義篤・義昭・義重三代に仕えた側近。白河結城家や古河公方と文書を交わすなど、外交面で重要な役割を果たし、佐竹一門に次ぐ地位を得た。
岡本梅江斎禅哲 旧仏教
[開墾] [外交] [説得]  64267 4585 18
おかもと けんいつ 通常版 常陸 1574 (1559-1591)佐竹家臣。禅哲の子。僧体で佐竹義重・義宣二代に仕えた側近。外交面で活躍したほか、義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行し、岩城家の執政に参画した。
岡本好雪斎顕逸 旧仏教
[外交]  55553 4480 18
おかもと のぶつな 通常版 常陸 1591 (1583-1649)佐竹家臣。顕逸の子。はじめ父祖にならって剃髪するが、のちに主君・義宣の命で還俗した。義宣の秋田移封に従い、大坂の陣にも出陣して戦功を立てた。
岡本如哲宣綱 旧仏教
[商業]  531247 1475 18
おのざき つぐみち 通常版 常陸 1574 (1559-1630)常陸の土豪。額田城主。佐竹家に属したが自立性が強く何度も主家に反抗した。のちに謀叛を起こすが敗れ、松平忠輝などに仕えた。画に巧みであったという。
小野崎彦三郎従通 国人衆
[逃亡] [槍衾]  281920 6730 71
うめづ まさかげ 通常版 常陸 1596 (1581-1633)佐竹家臣。主家の転封に従って秋田に移り、勘定奉行や家老などを歴任した。秋田藩初期の藩政を記録した「梅津政景日記」は、歴史学上の貴重な史料である。
梅津 政景 武将
[開墾] [治水]  681234 3970 18
おぬき よりひさ 通常版 常陸 1559 (1544-1603)佐竹家臣。義重・義宣二代に側近として仕え、外交面で重要な役割を果たした。知行割替時には、和田昭為、人見藤通とともに義宣の三奉行として活躍した。
小貫清三郎頼久 武将
[外交] [収拾]  543549 5190 17
くるま つなただ 通常版 常陸 1563 (1548-1602)佐竹家臣。和田昭為を主君・義重に讒言して追放、義重の側近となる。関ヶ原合戦の際は上杉家に属した。主家転封後、水戸城の奪回を企むが敗れて殺された。
 斯忠 国人衆騎馬
[混乱]  43219 7945 18
わだ あきため 通常版 常陸 1548 (1533-1602)佐竹家臣。一時白河結城家に属すが、義昭・義重・義宣の三代に仕え、内政や外交など各方面で活躍。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際は国元に残り、国政を代行した。
和田 昭為 武将
[商業] [守戦] [説得]  683956 5270 22
えど みちやす 通常版 常陸 1501 (1486-1535)常陸の豪族。水戸城主。佐竹家の内乱の際は佐竹義舜を支持した。古河公方の足利政氏・高基親子の抗争に際しては、高基を支持し、佐竹家と対立した。
江戸彦五郎通泰 武将
[改修] [連射]  635553 3055 22

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