武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さたけ | | さだたか |
通常版 |
常陸 |
1598 |
(1583-1620)奥州大館城主。佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となる。関ヶ原合戦に出陣せず改易された。のちに大坂の陣に参加し、信濃川中島1万石を与えられた。 |
佐竹 | 忠次郎 | 貞隆 |
武将 | 弓 |
[開墾] [引抜] |
43 | 38 | 41 |
27 | 70 |
23 |
たいじょう | | きよもと |
通常版 |
常陸 |
1585 |
(1573-1590)常陸の豪族。府中城主。貞国の子。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため佐竹義宣の攻撃を受けて自害した。一族諸氏も太田城に招かれて謀殺された。 |
大掾 | | 清幹 |
国人衆 | 槍 |
[守戦] |
23 | 27 | 11 |
48 | 70 |
23 |
ひらおか | | よりかつ |
通常版 |
播磨 |
1575 |
(1560-1607)小早川家臣。諸国を放浪後、豊臣家を経て小早川家の家老となる。関ヶ原合戦では黒田長政に通じて主君・秀秋を寝返らせた。秀秋の死後は徳川家に仕えた。 |
平岡 | 藤蔵 | 頼勝 |
武将 | 槍 |
[引抜] [外交] |
42 | 28 | 44 |
40 | 45 |
23 |
ました | | ながもり |
通常版 |
尾張 |
1560 |
(1545-1615)豊臣家臣。五奉行の1人として検地などを行う。豊臣秀次の死後、大和郡山20万石を領した。関ヶ原合戦の際は大坂城で豊臣秀頼を守る。戦後、改易された。 |
増田 | 仁右衛門 | 長盛 |
武将 | 弓 |
[商業] [検地] |
80 | 20 | 11 |
46 | 50 |
23 |
すだ | | みつちか |
通常版 |
北信濃 |
1549 |
(1534-1598)信濃の豪族。信濃の一向一揆衆を指導した。のち上杉景勝に仕え、北陸の一向一揆対策の責任者となる。信濃海津城主を務め、徳川家康の信濃侵攻軍と戦った。 |
須田 | | 満親 |
国人衆 | 荷駄 |
[外交] [槍衾] [混乱] |
62 | 49 | 68 |
71 | 75 |
23 |
すだ | | ながよし |
通常版 |
北信濃 |
1594 |
(1579-1615)上杉家臣。梁川城代。満親の子。関ヶ原合戦では本庄繁長と協力し、伊達政宗軍を福島口に撃破する。大坂の陣でも軍功を立て、徳川秀忠から感状をもらった。 |
須田 | | 長義 |
国人衆 | 鉄砲 |
[改修] [雨撃] |
51 | 40 | 57 |
48 | 60 |
23 |
なつか | | まさいえ |
通常版 |
近江 |
1572 |
(1557-1600)丹羽家臣。主家没落後は豊臣家に仕え、五奉行の1人となる。算術に通じ、主家の賦課収納の財政処理を担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。 |
長束 | 新三郎 | 正家 |
武将 | 荷駄 |
[商業] [治水] |
83 | 10 | 6 |
41 | 50 |
23 |
はたの | | ひではる |
通常版 |
丹波丹後 |
1556 |
(1541-1579)丹波の豪族。八上城主。晴通の子。居城を三好家から奪還し、勢力を拡大した。明智光秀の攻撃を受け、籠城して戦うが降伏、安土に送られ磔刑に処せられた。 |
波多野 | | 秀治 |
武将 | 弓 |
[訓練] [守戦] [連射] |
24 | 57 | 45 |
59 | 75 |
23 |
はたの | | ひでひさ |
通常版 |
丹波丹後 |
1560 |
(1545-1579)晴通の子。兄・秀治とともに丹波八上城に籠城して明智光秀軍に対抗するが、1年半に及ぶ攻防の末、降伏する。兄とともに安土に送られ、磔刑に処せられた。 |
波多野 | | 秀尚 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
30 | 41 | 24 |
36 | 50 |
23 |
おさふね | | さだゆき |
通常版 |
備前備中 |
1575 |
(1560-1600)宇喜多家臣。貞親の子。兄・綱直の死後家督を継ぐ。2万4千石を知行した家中屈指の大身。主君・秀家に従い関ヶ原合戦に出陣、戦後、行方不明となった。 |
長船 | 吉兵衛 | 定行 |
武将 | 鉄砲 |
[三段] |
46 | 39 | 50 |
32 | 70 |
23 |
くるしま | | みちやす |
通常版 |
他 |
1534 |
(1519-1567)河野家臣。来島村上水軍の頭領。主君・通直から後継者に指名されるが、反対意見が多く実現しなかった。厳島合戦では毛利軍に協力し、その勝利に貢献した。 |
来島 | | 通康 |
水軍衆 | 槍 |
[商業] [訓練] [守戦] |
42 | 60 | 44 |
62 | 65 |
23 |
よこやま | | ともたか |
通常版 |
土佐 |
1530 |
(1515-1569)土佐の豪族。介良城主。はじめ長宗我部国親と戦うが、のちに家臣となる。安芸家との戦いで活躍したほか、主家の崇敬が篤い若宮八幡宮を造営するなどした。 |
横山 | 九郎兵衛 | 友隆 |
武将 | 弓 |
[攻城] |
29 | 42 | 25 |
50 | 55 |
23 |
まつら | | しげのぶ |
通常版 |
肥前 |
1564 |
(1549-1614)肥前の豪族。平戸城主。隆信の子。豊臣秀吉の九州征伐軍に従う。海外通商を行い、唐船・南蛮船の寄港に尽力。関ヶ原合戦で東軍に属し、所領を安堵された。 |
松浦 | 源三郎 | 鎮信 |
武将 | 槍 |
[貿易] [茶湯] |
62 | 47 | 54 |
44 | 60 |
23 |
ありま | | なおずみ |
PK追加 |
肥前 |
1601 |
(1586-1641)肥前有馬藩主。晴信の嫡男。「岡本大八事件」で父が処分された際、徳川家康の養女を娶っていたため許され、家督を継ぐ。のちに日向延岡に転封された。 |
有馬 | 大吉 | 直純 |
武将 | 槍 |
[検地] [混乱] |
59 | 40 | 49 |
62 | 45 |
23 |
かく | | かん |
諸王 |
北越後 |
1555 |
(1540-1600)モンゴル帝国の将軍。フラグの西アジア遠征に従い、イスラム教徒や十字軍との戦いで活躍する。用兵が巧みで「極西の神人」とあだ名された。 |
郭 | | 侃 |
武将 | 騎馬 |
[収拾] [捕縛] [攻城] [突撃] |
56 | 88 | 81 |
66 | 80 |
23 |
こだいら | | へいざぶろう |
諸勢力 |
陸前 |
1581 |
(1566-1634)塩釜の商人。塩釜は奥州一の宮・塩竈神社の門前町、および塩釜港を擁する港町として栄えた。塩釜港は陸奥国府・多賀城への荷揚げ港として古くから栄えた。 |
小平 | | 平三郎 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
46 | 47 | 50 |
51 | 70 |
23 |
にしやま | | たんざえもん |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1580 |
(1565-1614)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
西山 | | 旦左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
43 | 48 | 57 |
43 | 40 |
23 |