『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
とくなが ながまさ 通常版 近江 1564 (1549-1612)柴田家臣。賤ヶ岳合戦の際、主君・勝豊とともに豊臣秀吉の傘下に入る。秀吉の死後、朝鮮に渡って全軍に撤退命令を伝えた。関ヶ原合戦では東軍に属した。
徳永 寿昌 武将
[開墾] [外交]  453832 3160 91
かわだ ながちか 通常版 近江 1555 (1540-1581)上杉家臣。近江の出身。主君・謙信上洛の際に召し出され、家臣となる。主家の北陸攻略に大きく貢献した。のちに越中松倉城主となり、織田信長軍と戦った。
河田 長親 武将鉄砲
[商業] [外交] [守戦]  575068 3865 15
あざい すけまさ 通常版 近江 1506 (1491-1542)近江の戦国大名。小谷城主。はじめ京極家に仕えたが、主家の内紛に乗じて勢力を拡大、朝倉家の援助を受けて六角定頼軍を撃退するなど、江北に覇を唱えた。
浅井新三郎亮政 武将騎馬
[改修] [登用] [奉仕] [攻城]  828579 8970 53
あざい ひさまさ 通常版 近江 1541 (1526-1573)近江の戦国大名。小谷城主。亮政の子。六角家の傘下に入る政策を採ったため家臣の不満が集まり、のちに子・長政に家督を譲った。浅井家滅亡時に自害した。
浅井新九郎久政 武将
[開墾]  352125 28100 50
あざい ながまさ 通常版 近江 1560 (1545-1573)近江の戦国大名。小谷城主。久政の子。織田信長の妹・市を娶るが、朝倉家との友誼を重んじ信長と敵対。居城を攻められ、市と娘たちを信長に託し自害した。
浅井新九郎長政 武将騎馬
[商業] [訓練] [回復] [突撃]  588133 78100 73
あかお きよつな 通常版 近江 1529 (1514-1573)浅井家臣。海北綱親・雨森弥兵衛とともに「海赤雨三将」と称された。主家の居城・小谷城に赤尾曲輪を設け在番した。主家滅亡時に捕虜となり、斬首された。
赤尾 清綱 武将騎馬
[改修] [登用] [守戦]  415744 3875 66
あつじ さだゆき 通常版 近江 1543 (1528-1582)浅井家臣。山本山城主。主家滅亡後は織田信長に属す。信長の越前攻めに従軍した。本能寺の変後は明智光秀に属し、光秀の死後、子・貞大とともに殺された。
阿閉万五郎貞征 国人衆
[逃亡]  20917 6330 55
わたなべ かんべえ 通常版 近江 1577 (1562-1640)阿閉家臣。主家滅亡後は豊臣・中村・増田・藤堂家に歴仕。豊臣秀吉の小田原征伐の際、伊豆山中城に一番乗りし秀吉から賞賛された。大坂の陣後、浪人した。
渡辺勘兵衛 武将
[収拾] [槍衾] [攻城]  97449 5850 61
いその かずまさ 通常版 近江 1542 (1527-1578)浅井家臣。佐和山城主。姉川合戦では先鋒を務めた。その後居城が孤立したため織田信長に降る。近江新庄城主となるが信長の勘気を蒙り、高野山に出奔した。
磯野 員昌 武将
[連射]  156925 5055 73
えんどう なおつね 通常版 近江 1546 (1531-1570)浅井家臣。家中随一の猛将として知られた。主君・長政に織田信長の暗殺を献策するが容れられなかった。姉川合戦の際に信長の本陣へ単身突入し、戦死した。
遠藤喜右衛門直経 武将荷駄
[捕縛]  97027 5690 50
かいほう つなちか 通常版 近江 1525 (1510-1573)浅井家臣。画家・海北友松の父。豊臣秀吉が「我が軍法の師」と讃えた勇将。武者奉行を務め各地で活躍した。主家滅亡時に戦死した。「海赤雨三将」の1人。
海北善右衛門綱親 武将騎馬
[商業] [訓練] [突撃]  376264 6875 65
かたぎり かつもと 通常版 近江 1571 (1556-1615)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀頼の傅役として主家存続のため奔走するが、徳川家康への内通疑惑により大坂城を退去した。以後は徳川家に属した。
片桐助作且元 武将鉄砲
[外交] [三段]  463540 5380 2
とうどう たかとら 通常版 近江 1571 (1556-1630)徳川家康ほか7人の主君に仕え、主君を変える度に知行を増やし、伊勢安濃津32万石を領す。合戦では常に先鋒を務め奮戦、また多くの城の普請を担当した。
藤堂与右衛門高虎 武将鉄砲
[改修] [引抜] [三段] [説得]  846983 8430 94
たなか よしまさ 通常版 近江 1563 (1548-1609)豊臣家臣。はじめ宮部継潤に属す。豊臣秀次の家老を務め三河岡崎5万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属し石田三成を捕らえ、筑後柳川32万石を領した。
田中久兵衛吉政 武将鉄砲
[商業] [訓練] [捕縛]  565333 5965 98
いしだ みつなり 通常版 近江 1575 (1560-1600)豊臣家臣。五奉行の1人として国政に参画。主君・秀吉の死後、西軍総大将として徳川家康と関ヶ原で戦うが、諸将の統制をとれずに敗れ、京都で斬首された。
石田佐吉三成 武将
[商業] [登用] [検地] [逃亡]  894581 70100 20
おおたに よしつぐ 通常版 近江 1574 (1559-1600)豊臣家臣。関ヶ原合戦で西軍に属す。親友・石田三成のために病をおして奮戦、藤堂高虎の軍を撃退するが、寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北、自害した。
大谷紀之介吉継 武将騎馬
[開墾] [訓練] [奉仕] [槍衾]  817980 43100 20
おおの はるなが 通常版 近江 1585 (1570-1615)豊臣家臣。片桐且元が大坂城を退去した後、大坂城内を取りまとめる。大坂の陣では豊臣方の指導者的役割を果たした。大坂城落城の際、主君・秀頼に殉じた。
大野 治長 武将鉄砲
[茶湯]  421040 2275 21
きむら さだみつ 通常版 近江 1574 (1559-1595)豊臣家臣。常陸介を称す。賤ヶ岳合戦などに従軍し、越前府中10万石を領す。出羽国の検地奉行を務めた。のちに豊臣秀次事件に連座し、自害させられた。
木村 定光 武将
[検地] [茶湯]  674964 6175 20
きむら しげなり 通常版 近江 1595 (1593-1615)豊臣家臣。定光の子という。主君・秀頼の乳兄弟で、小姓を務めた。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大坂夏の陣で井伊直孝軍と戦い、戦死した。
木村 重成 武将
[訓練] [外交] [捕縛]  175228 695 20
てらざわ ひろたか 通常版 近江 1578 (1563-1633)豊臣家臣。朝鮮派兵の際、肥前名護屋城の普請を担当。主君・秀吉の側近として兵力輸送・補給・船舶の運航統制などを行った。関ヶ原合戦では東軍に属した。
寺沢 広高 武将
[改修] [貿易]  544144 2455 0

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