『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

1750件中63件 該当しました。 21件〜40件の表示 > 再検索
<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 NEXT->
武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
なつか まさいえ 通常版 近江 1572 (1557-1600)丹羽家臣。主家没落後は豊臣家に仕え、五奉行の1人となる。算術に通じ、主家の賦課収納の財政処理を担当した。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。
長束新三郎正家 武将荷駄
[商業] [治水]  83106 4150 23
わきざか やすはる 通常版 近江 1569 (1554-1626)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍の1人。主君・秀吉の中国征伐の際に「丹波の赤鬼」赤井直正を討ち取る功を立てた。関ヶ原合戦では東軍に寝返り所領を安堵された。
脇坂甚内安治 武将鉄砲
[改修] [三段]  224431 5250 6
ろっかく さだより 通常版 近江 1510 (1495-1552)近江の戦国大名。近江に逃れた将軍・足利義晴を支援し、管領に準ずる待遇を与えられた。一国一城令の先駆をなす「城割り」を初めて行った人物として著名。
六角四郎定頼 武将騎馬
[商業] [改修] [守戦] [攻城]  878066 9370 34
ろっかく よしかた 通常版 近江 1536 (1521-1598)近江の戦国大名。定頼の子。江南に勢力を伸ばす。三好家に京を追われた足利将軍家を保護し、仲裁に奔走した。のち織田信長の上洛軍に敗れ、所領を失った。
六角四郎義賢 武将
[改修] [連射]  355236 7445 33
ろっかく よしはる 通常版 近江 1560 (1545-1612)近江の戦国大名。義賢の子。筆頭家老・後藤賢豊を謀殺し、家臣の信頼を失う。織田信長の上洛軍に敗れ、諸国を流浪した。晩年は豊臣秀頼の弓師範を務めた。
六角四郎義治 武将
[連射]  31324 6650 33
がもう さだひで 通常版 近江 1523 (1508-1579)六角家臣。六角軍の先鋒として各地に出陣し活躍、勇名を馳せた。主君・義治が後藤賢豊を謀殺した「観音寺騒動」の際は、義治と家臣団間の調停役を務めた。
蒲生藤十郎定秀 武将騎馬
[開墾] [収拾] [説得]  585351 7165 7
がもう かたひで 通常版 近江 1549 (1534-1584)六角家臣。定秀の子。織田信長上洛の際は信長の三男・信孝が妹婿・神戸具盛の養子となった関係から織田家に属す。本能寺の変の際は信長の妻子を保護した。
蒲生藤太郎賢秀 武将
[捕縛] [連射]  494653 5185 7
がもう うじさと 通常版 近江 1571 (1556-1595)織田家臣。賢秀の子。主君・信長の娘を娶る。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え活躍、陸奥会津92万石を領した。文武に秀でたその器量を秀吉は恐れたという。
蒲生忠三郎氏郷 武将切支丹騎馬
[改修] [回復] [茶湯] [突撃]  817779 8085 4
がもう ひでゆき 通常版 近江 1595 (1583-1612)豊臣家臣。氏郷の嫡男。陸奥会津92万石を継ぐが、家中内紛により下野宇都宮18万石に減封された。関ヶ原合戦で東軍に属し、陸奥会津60万石に戻った。
蒲生藤三郎秀行 武将
[収拾]  444416 4065 4
ごとう かたとよ 通常版 近江 1531 (1516-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子上洛の際は警護役を務めた。いわゆる「観音寺騒動」において主君・義治に殺された。
後藤重左衛門賢豊 武将
[登用] [外交] [連射]  675055 6775 29
ごとう たかはる 通常版 近江 1555 (1540-1589)六角家臣。賢豊の次男。「観音寺騒動」で父が死亡したのち家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となるが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。
後藤喜三郎高治 武将騎馬
[開墾]  281035 3950 29
しんどう さだはる 通常版 近江 1512 (1497-1551)六角家臣。木浜城主。後藤賢豊とともに「両藤」と呼ばれた。幕府や細川家、本願寺との折衝や延暦寺と法華宗の紛争の調停など、おもに外交面で活躍した。
進藤新介貞治 武将
[開墾] [登用] [外交]  624454 6260 26
みくも しげもち 通常版 近江 1555 (1540-1603)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。
三雲新左衛門成持 武将
[守戦]  403542 3490 29
よしだ しげまさ 通常版 近江 1537 (1522-1581)六角家臣。吉田流弓術の祖・重賢の子。主君・義賢から弓術の伝授を求められるが拒否して出奔、一時朝倉家に仕える。数年後に帰参し、義賢に弓術を授けた。
吉田助左衛門重政 武将
[連射]  74139 4445 29
おがわ すけただ 通常版 近江 1564 (1549-1601)近江の豪族。明智光秀に属す。光秀の死後は柴田勝豊の家老を経て豊臣秀吉に仕え、伊予府中7万石を領した。関ヶ原合戦で東軍に寝返るが、戦後改易された。
小川孫一郎祐忠 国人衆
[攻城]  202948 6530 27
けや たけひさ 通常版 近江 1569 (1554-1628)黒田家臣。近江の出身。柴田勝家など数家を経て、黒田家に仕官。物見にすぐれ関ヶ原合戦では徳川家康に「敵は寡勢」と報告し、饅頭を与えられたという。
毛屋 武久 武将
[捕縛]  164740 1970 9
たきがわ かずます 通常版 近江 1540 (1525-1586)織田家臣。各地の合戦で活躍し「進むも退くも滝川」と称された。甲斐平定後、関東管領となる。本能寺の変後、北条軍と戦って惨敗し、以後は勢威を失った。
滝川彦右衛門一益 忍者鉄砲
[三段] [雨撃] [混乱]  497978 4775 0
やまざき かたいえ 通常版 近江 1562 (1547-1591)六角家臣。山崎城主。主君・義治と不和になり、織田信長に仕える。本能寺の変後は一時明智光秀に属すが、のち豊臣秀吉に仕え摂津三田2万3千石を領した。
山崎源太左衛門片家 国人衆
[改修]  323336 4870 32
やまざき いえもり 通常版 近江 1582 (1567-1614)豊臣家臣。片家の嫡男。伏見城の普請工事などを担当した。関ヶ原合戦では西軍に属すが、縁戚・池田輝政の尽力により改易を免れ、因幡若桜3万石を領した。
山崎与市家盛 国人衆
[雨撃]  382224 3060 32
くつき たねつな 通常版 近江 1513 (1498-1546)近江の豪族。三好元長に京を追われた将軍・足利義晴を居館にかくまう。その功により申次七人衆の1人に加えられた。以後も何度か足利将軍家をかくまった。
朽木弥五郎稙綱 武将
[茶湯]  575067 4955 61

<-BACK 1 | 2 | 3 | 4 NEXT->
実行時間:0.015625
system:CGIROOM

▼「信長の野望」&「太閤立志伝」武将検索▼

 | 全国版  | 戦国群雄伝  | 武将風雲録  | 覇王伝  | 天翔記  | 将星録  | 烈風伝  | 嵐世記  | 蒼天録  |
 | 天下創世  | 革新  | 天道  | 国盗り頭脳バトル  | Internet  | 携帯版  | GB版  | for WS  | DS2  |
 | 太閤立志伝  | 太閤立志伝2  | 太閤立志伝3  | 太閤立志伝4  | 太閤立志伝5  |