武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
さかい | | としふさ |
通常版 |
上総安房 |
1535 |
(1520-1577)里見家臣。東金城主。正木時茂・土岐為頼とともに里見家中で勇名を馳せる。第一次国府台合戦の際には殿軍を務めた。のちに主家を離反、北条家に属した。 |
酒井 | | 敏房 |
国人衆 | 荷駄 |
[改修] [槍衾] [攻城] |
43 | 59 | 65 |
66 | 50 |
29 |
さかい | | まさとき |
通常版 |
上総安房 |
1566 |
(1551-1603)北条家臣。東金城主。敏房の子。豊臣秀吉の小田原征伐の際は居城に籠城した。主家滅亡後は居城を退去し、隠退した。子孫は徳川家に旗本として仕えた。 |
酒井 | | 政辰 |
国人衆 | 弓 |
[槍衾] |
30 | 21 | 48 |
38 | 50 |
29 |
たいげん | | せっさい |
通常版 |
駿河遠江 |
1511 |
(1496-1555)今川家臣。執権を務めた。小豆坂の合戦で織田軍を破り、甲相駿三国同盟を成立させるなど、主家の政治、文化、経済、軍事、外交すべてに大きく貢献した。 |
太原 | 崇孚 | 雪斎 |
旧仏教 | 弓 |
[外交] [奉仕] [連射] [説得] |
93 | 90 | 94 |
50 | 95 |
29 |
ごとう | | かたとよ |
通常版 |
近江 |
1531 |
(1516-1563)六角家臣。進藤家とともに「六角家の両藤」と称された。主君・義賢親子上洛の際は警護役を務めた。いわゆる「観音寺騒動」において主君・義治に殺された。 |
後藤 | 重左衛門 | 賢豊 |
武将 | 弓 |
[登用] [外交] [連射] |
67 | 50 | 55 |
67 | 75 |
29 |
ごとう | | たかはる |
通常版 |
近江 |
1555 |
(1540-1589)六角家臣。賢豊の次男。「観音寺騒動」で父が死亡したのち家督を継ぐ。進藤家と並ぶ「両藤」として義治の重臣となるが、織田信長の上洛軍に敗れ降伏した。 |
後藤 | 喜三郎 | 高治 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] |
28 | 10 | 35 |
39 | 50 |
29 |
みくも | | しげもち |
通常版 |
近江 |
1555 |
(1540-1603)六角家臣。兄・賢持の死後、家督を継いだ。「六角氏式目」には父・定持とともに署名している。主家滅亡後は浪人生活を経て、織田信雄・蒲生氏郷に仕えた。 |
三雲 | 新左衛門 | 成持 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
40 | 35 | 42 |
34 | 90 |
29 |
よしだ | | しげまさ |
通常版 |
近江 |
1537 |
(1522-1581)六角家臣。吉田流弓術の祖・重賢の子。主君・義賢から弓術の伝授を求められるが拒否して出奔、一時朝倉家に仕える。数年後に帰参し、義賢に弓術を授けた。 |
吉田 | 助左衛門 | 重政 |
武将 | 弓 |
[連射] |
7 | 41 | 39 |
44 | 45 |
29 |
みうら | | もとただ |
通常版 |
安芸備後 |
1570 |
(1555-1596)毛利家臣。吉川元春の次男・繁沢元氏の娘を娶り、元氏に代わって周防の旧族・三浦家を継ぐ。主君・輝元の側近として取次役を務め、1万6千石を知行した。 |
三浦 | 惣四郎 | 元忠 |
武将 | 槍 |
[外交] |
48 | 6 | 25 |
20 | 60 |
29 |
こうの | | みちなお |
通常版 |
伊予 |
1515 |
(1500-1572)伊予の戦国大名。湯築城主。家臣の謀叛や他国からの侵攻が相次ぎ、対策に苦慮する。娘婿・来島通康に家督を譲ろうとして家臣に反対され、内紛を招いた。 |
河野 | 六郎 | 通直 |
武将 | 槍 |
[登用] [収拾] |
37 | 33 | 15 |
61 | 45 |
29 |
かねこ | | もといえ |
通常版 |
伊予 |
1566 |
(1551-1585)伊予の豪族。金子城主。長宗我部元親の四国統一に貢献する。人格・識見ともにすぐれた勇将と評された。豊臣秀吉の四国征伐軍に抵抗するが敗れ、自害した。 |
金子 | | 元宅 |
武将 | 荷駄 |
[回復] [守戦] |
14 | 42 | 47 |
10 | 90 |
29 |
うわい | | かくけん |
通常版 |
薩摩大隅 |
1560 |
(1545-1589)島津家臣。おもに日向方面で活躍した。また老中を務めて主君・義久の領国経営を補佐した。文芸に造詣が深く「伊勢守心得書」や「上井覚兼日記」を著した。 |
上井 | 神五郎 | 覚兼 |
武将 | 弓 |
[外交] [茶湯] |
68 | 28 | 54 |
17 | 60 |
29 |
かばやま | | ひさたか |
通常版 |
薩摩大隅 |
1573 |
(1558-1634)島津家臣。家老を務めた。豊臣秀吉の朝鮮派兵に従軍し、李舜臣の率いる亀甲船水軍を破った。琉球遠征では総大将を務め、首里を占拠して王子を捕虜にした。 |
樺山 | 又七郎 | 久高 |
武将 | 槍 |
[捕縛] |
31 | 31 | 33 |
44 | 70 |
29 |
さるわたり | | のぶみつ |
通常版 |
薩摩大隅 |
1549 |
(1534-1587)島津家臣。沖田畷合戦に従軍して龍造寺軍を破るなど、主に肥前・肥後方面で戦功を重ねた。のちに豊臣秀吉の九州征伐軍と根白坂で戦うが敗北し、戦死した。 |
猿渡 | | 信光 |
武将 | 騎馬 |
[激励] |
18 | 44 | 24 |
63 | 65 |
29 |
おかもと | | よしかつ |
PK追加 |
尾張 |
1559 |
(1544-1600)織田家臣。信長の三男・信孝は良勝の屋敷で生まれたという。のち主家を出奔、豊臣家に仕え伊勢亀山城主となる。関ヶ原合戦では西軍に属し、戦後自害した。 |
岡本 | 平吉郎 | 良勝 |
武将 | 騎馬 |
[商業] |
48 | 44 | 34 |
58 | 60 |
29 |
おおはら | | こしろう |
諸勢力 |
備前備中 |
1583 |
(1568-1652)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
大原 | | 小四郎 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
50 | 40 | 50 |
47 | 100 |
29 |
たけだ | | のぶざね |
諸勢力 |
安芸備後 |
1590 |
(1575-1623)安芸備後の国人。信実は実際は安芸の豪族で、佐東銀山城主。尼子家と結んで勢力回復を図るが、尼子家の安芸遠征失敗後、毛利元就の攻撃を受けて滅亡した。 |
武田 | | 信実 |
国人衆 | 騎馬 |
[開墾] |
43 | 42 | 57 |
50 | 40 |
29 |