『信長の野望 嵐世記』武将総覧

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
きもつき かねつぐ 通常版 薩摩大隅 1526 (1511-1566)大隅の戦国大名。高山城主。肝付家最大の版図を築く。島津忠良の娘を娶るが、のち忠良の子・貴久と敵対。居城を島津軍に奪われたとの報を聞くと自害した。
肝付三郎兼続 武将
[開墾] [激励] [槍衾] [攻城]  437130 8450 2
きもつき よしかね 通常版 薩摩大隅 1550 (1535-1571)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。伊東家と結んで日向飫肥城を攻撃し、城主・島津忠親を追う。また伊地知重興を援助するなど、終生島津家と抗争した。
肝付三郎良兼 武将騎馬
[商業] [登用] [突撃]  425549 7475 2
きもつき かねすけ 通常版 薩摩大隅 1571 (1558-1634)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。兄・良兼の死後家督を継ぐ。伊東家などと結んで島津家に対抗したため、母(島津忠良の娘)と家臣たちに放逐された。
肝付 兼亮 武将
[混乱]  1884 6440 97
きもつき かねもり 通常版 薩摩大隅 1571 (1561-1600)大隅の戦国大名。高山城主。兼続の子。次兄・兼亮の放逐により家督を継ぐが、島津軍の攻撃を受けて敗れ、所領を差し出し降伏した。関ヶ原合戦で戦死した。
肝付与市兼護 武将
[連射]  313013 465 11
いじち しげおき 通常版 薩摩大隅 1543 (1528-1580)大隅の豪族。小浜城主。肝付家と結んで島津家に対抗するが、島津軍に居城を落とされたため、降伏した。その後は島津家に属し、大友家攻めなどに従軍した。
伊地知又九郎重興 国人衆
[開墾] [雨撃]  283254 6050 17
あんらく かねひろ 通常版 薩摩大隅 1552 (1537-1576)肝付家臣。大隅入船城主。島津義久軍の攻撃を受けた際、居城に籠城して応戦する。しかし主家から援軍は来ず、1年3か月の籠城戦の末、島津軍に降伏した。
安楽 兼寛 武将騎馬
[捕縛] [守戦]  444446 2280 99
ねじめ きよとし 通常版 薩摩大隅 1525 (1510-1559)大隅の豪族。根占領主。肝付家に従う。主君・兼続らと島津勝久と島津忠良の間を仲裁するが失敗。のち兼続から大隅高隈城を譲られるが、再び奪回された。
禰寝 清年 国人衆
[連射]  624558 7660 11
ねじめ しげたけ 通常版 薩摩大隅 1551 (1536-1580)大隅の豪族。根占領主。清年の子。肝付家に従う。のちに島津家と単独講和したため、肝付軍の攻撃を受けるが、島津家の援助で撃退した。対明貿易を行った。
禰寝 重長 国人衆荷駄
[商業] [貿易]  542944 6250 9
ねじめ しげはる 通常版 薩摩大隅 1580 (1566-1629)島津家臣。根占領主。重長の子。安芸守を称した。義久・義弘・忠恒の三代に仕えた。文禄年間、豊臣秀吉による検地が行われた後、薩摩吉利に転封された。
禰寝 重張 国人衆鉄砲
[貿易] [三段]  362227 4765 9
やくまる かねまさ 通常版 薩摩大隅 1532 (1517-1576)肝付家臣。出雲守、出家後は孤雲斎と称す。家老を務めた。島津家臣・伊集院家と薩摩鹿児島城下で戦うなど、各地で活躍。のちに伊東家との戦いで戦死した。
薬丸 兼将 武将
[連射]  433438 2870 9
しまづ ただよし 通常版 薩摩大隅 1508 (1493-1568)伊作島津家10代当主。嫡男・貴久に島津宗家の家督を継がせる。「いろは歌」を作って家臣の教育にあたるなど、島津家隆盛の基盤を作った島津家中興の祖。
島津菊三郎忠良 武将騎馬
[登用] [奉仕] [守戦] [説得]  949293 9285 30
しまづ たかひさ 通常版 薩摩大隅 1529 (1514-1571)島津家15代当主。忠良の嫡男。父の補佐を受けて所領を広げ、薩摩統一を果たす。新兵器・鉄砲の導入や積極的な外交政策などで島津家飛躍の土台を築いた。
島津又三郎貴久 武将
[開墾] [外交] [攻城]  817280 8460 30
しまづ よしひさ 通常版 薩摩大隅 1548 (1533-1611)島津家16代当主。貴久の嫡男。優秀な弟たちの協力により領土を拡大、九州全土をほぼ手中に収めるが、豊臣秀吉の九州征伐軍に敗れ、薩摩一国を安堵された。
島津又三郎義久 武将鉄砲
[商業] [貿易] [三段] [説得]  888081 9565 30
しまづ よしひろ 通常版 薩摩大隅 1550 (1535-1619)島津家17代当主。貴久の次男。伊東・大友両家を粉砕し、島津家を隆盛に導いた家中随一の猛将。朝鮮派兵の際は明の大軍を破り「鬼石曼子」と恐れられた。
島津又四郎義弘 武将
[訓練] [回復] [三段] [攻城]  658974 9070 30
しまづ ただつね 通常版 薩摩大隅 1593 (1578-1638)島津家18代当主。義弘の三男。父とともに朝鮮派兵に従軍し功を立てた。関ヶ原合戦後、家督を継ぐ。城下町や港湾の整備を行い、薩摩藩の基礎を作った。
島津又八郎忠恒 武将
[検地] [貿易] [三段]  727450 7045 30
しまづ としひさ 通常版 薩摩大隅 1552 (1537-1592)島津家臣。貴久の三男。日置島津家の祖となる。豊臣秀吉の九州征伐軍に最後まで抵抗した。多くの家臣が梅北国兼の乱に加担したため、責任をとり自害した。
島津又六郎歳久 武将荷駄
[改修] [回復]  496362 3275 18
しまづ いえひさ 通常版 薩摩大隅 1562 (1547-1587)島津家臣。貴久の四男。永吉島津家の祖となる。沖田畷合戦の際は10倍の兵力の龍造寺軍を破る。豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、豊臣秀長との会見後に急死。
島津又七郎家久 武将鉄砲
[三段] [槍衾]  227642 7280 30
しまづ とよひさ 通常版 薩摩大隅 1585 (1570-1600)島津家臣。家久(貴久の四男)の子。朝鮮派兵などに従軍し戦功を立てた。関ヶ原合戦では退却戦の殿軍を務め、本多忠勝や井伊直政らの軍と戦い、戦死した。
島津又七郎豊久 武将
[激励] [雨撃]  255636 3995 30
いじゅういん ただあき 通常版 薩摩大隅 1517 (1502-1561)島津家臣。知勇にすぐれ、主家の薩摩統一に貢献した。大隅加治木城攻めの際には日本で初めて鉄砲を実戦に使用した。のちに老中に就任し、国政に参画した。
伊集院源四郎忠朗 武将騎馬
[開墾] [攻城] [混乱]  726984 7865 8
いじゅういん ただあお 通常版 薩摩大隅 1540 (1525-1572)島津家臣。忠朗の子。父とともに大隅加治木城主・肝付兼演を攻撃して降伏させその所領の処理を担当する。のちに老中を務め、主家の勢力拡大に貢献した。
伊集院 忠倉 武将
[登用] [収拾] [守戦]  565861 4655 8

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