『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
なみおか とものぶ 通常版 陸奥 1528 (1513-1562)浪岡北畠家一族。具永の子。断絶していた川原御所を継ぐ。のちに甥・具運と対立し、謀叛を起こして具運を討つが、具運の弟・顕範に討たれた。
浪岡 具信 武将
[混乱]  282218 8550 8
かさい はるのぶ 通常版 陸前 1549 (1534-1597)葛西家17代当主。晴胤の次男。寺池城主。兄・親信の死後、家督を継ぐ。伊達家と結んで大崎家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず、改易された。
葛西 晴信 武将騎馬
[開墾] [収拾] [守戦]  484334 7785 78
くろかわ はるうじ 通常版 陸前 1538 (1523-1599)大崎家臣。鶴楯城主。黒川家は大崎家一門であったが、伊達家に従っていた。しかし、大崎家内乱の際は伊達家を裏切って大崎家につき、伊達政宗軍を破った。
黒川 晴氏 国人衆騎馬
[回復] [守戦] [槍衾]  335455 7555 88
そうま たかたね 通常版 磐城 1566 (1551-1590)盛胤の次男。中村城代を務めた。伊達家との戦いで戦死した。勇猛な武将ではあったが「小利を貪ってついには大利を失うであろう」と言われていたという。
相馬 隆胤 武将騎馬
[突撃]  523745 4855 8
こばた つぐきよ 通常版 磐城 1549 (1534-1618)相馬家臣。大膳、因幡と称した。盛胤・義胤・利胤と相馬家三代に仕えた老臣。各地の合戦に従軍し、たびたび軍功を立てるなど活躍した。
木幡 継清 武将
[訓練] [槍衾]  483238 2185 8
こばた たかきよ 通常版 磐城 1552 (1537-1642)相馬家臣。駿河と称した。相馬家五代に仕えた重臣。検地代官や利胤の傅役も務めた。「相馬旧記」を編纂する際には、昔の出来事を詳しく語ったという。
木幡 高清 武将荷駄
[検地] [槍衾] [説得]  432840 3565 8
さとう よしのぶ 通常版 磐城 1526 (1511-1565)相馬家臣。佐藤家はもと岩城家臣であったが、好信の代に相馬家に属す。軍奉行を務めたが、郡左馬助の讒言により領地を没収され、失意のうちに病死した。
佐藤 好信 武将
[開墾] [収拾]  344036 3060 38
さとう ためのぶ 通常版 磐城 1557 (1542-1591)相馬家臣。好信の子。小斎城主。伊達家との合戦の際、援軍に来た郡左馬助を討ち、父の敵をとる。直後に伊達家に属した。のちに佐沼の戦いで戦死した。
佐藤左衛門為信 武将騎馬
[外交] [逃亡]  384552 5555 38
さけのべ ひでつな 通常版 羽後 1565 (1562-1646)小野寺家臣。鮭延城主。貞綱の子。最上義光との合戦に敗れ、従属。仙北地方で起こった一揆の鎮圧や、最上領に侵入した上杉軍との戦いで戦功を立てた。
鮭延 秀綱 武将騎馬
[開墾] [攻城] [突撃]  344159 4470 48
だいほうじ はるとき 通常版 羽前 1527 (1512-1541)出羽の豪族。澄氏の子。大宝寺家は始祖の武藤氏平が、鎌倉時代に庄内大泉荘の地頭となったことに始まる。大宝寺姓を名乗るのは6代当主・長盛の時である。
大宝寺 晴時 武将騎馬
[開墾] [登用]  474759 3655 48
だいほうじ よします 通常版 羽前 1537 (1522-1569)出羽の豪族。九郎(政氏の弟)の子。砂越家(大宝寺家庶流)とたびたび合戦を行ったが、1532年に居城・鶴ヶ岡城を焼かれ、尾浦城に本拠を移した。
大宝寺 義増 武将騎馬
[攻城]  394130 5175 48
だいほうじ よしうじ 通常版 羽前 1566 (1551-1583)出羽の豪族。尾浦城主。合戦に明け暮れて領政を軽んじたため、領民から「悪屋形」と憎悪された。最上義光に通じた家臣・前森蔵人に謀叛され、自害した。
大宝寺四郎次郎義氏 武将騎馬
[突撃]  13324 8950 48
だいほうじ よしおき 通常版 羽前 1569 (1554-1587)出羽の豪族。尾浦城主。兄・義氏の死後家督を継ぐ。上杉家臣・本庄繁長の次男を養子に迎え、上杉家との関係強化をはかるが、最上義光に攻められ自害した。
大宝寺 義興 武将
[訓練] [連射]  333440 4655 48
とうぜんじ よしなが 通常版 羽前 1559 (1544-1588)大宝寺家臣。はじめ前森蔵人と名乗る。最上義光と結んで謀叛を起こし、主君・義氏を討った。義光の命で庄内の仕置を行うが、本庄繁長と戦って敗死した。
東禅寺 義長 武将
[引抜] [連射]  402733 4565 78
とうぜんじ かつまさ 通常版 羽前 1564 (1549-1588)大宝寺家臣。義長の弟。主君・義氏の死後、兄から尾浦城代に任じられる。のちに十五里ヶ原で本庄繁長に敗れ、戦後、繁長の暗殺をはかるが失敗、討たれた。
東禅寺 勝正 武将荷駄
[攻城]  484022 2460 78
うじいえ さだなお 通常版 羽前 1519 (1504-1570)最上家臣。天文の大乱の際には主君・義守の名代として出陣した。主家の御家騒動の際は、重病の身ながら義守を説得し義光への家督譲り渡しを実現させた。
氏家 定直 武将
[外交] [連射] [説得]  584868 6080 98
おかもと ぜんてつ 通常版 常陸 1543 (1528-1583)佐竹家臣。僧体で義篤・義昭・義重三代に仕えた側近。白河結城家や古河公方と文書を交わすなど、外交面で重要な役割を果たし、佐竹一門に次ぐ地位を得た。
岡本梅江斎禅哲 旧仏教
[開墾] [外交] [説得]  64267 4585 18
おかもと けんいつ 通常版 常陸 1574 (1559-1591)佐竹家臣。禅哲の子。僧体で佐竹義重・義宣二代に仕えた側近。外交面で活躍したほか、義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行し、岩城家の執政に参画した。
岡本好雪斎顕逸 旧仏教
[外交]  55553 4480 18
おかもと のぶつな 通常版 常陸 1591 (1583-1649)佐竹家臣。顕逸の子。はじめ父祖にならって剃髪するが、のちに主君・義宣の命で還俗した。義宣の秋田移封に従い、大坂の陣にも出陣して戦功を立てた。
岡本如哲宣綱 旧仏教
[商業]  531247 1475 18
うめづ まさかげ 通常版 常陸 1596 (1581-1633)佐竹家臣。主家の転封に従って秋田に移り、勘定奉行や家老などを歴任した。秋田藩初期の藩政を記録した「梅津政景日記」は、歴史学上の貴重な史料である。
梅津 政景 武将
[開墾] [治水]  681234 3970 18

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