『信長の野望 嵐世記』武将総覧

火間虫入道 > 『信長の野望の変遷』

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武将姓 武将名 出身・出自登場年 (誕生年-死亡年)
特技政治采配智謀 野望義理相性 列伝
まつだいら いえみつ PK追加 三河 1619 (1604-1651)徳川幕府3代将軍。秀忠の次男。参勤交代制の確立、武家諸法度の改定、鎖国の実施など、のちに「寛永の治」と呼ばれる政治を行い、幕府の安定を図った。
松平竹千代家光 武将
[商業] [外交] [雨撃]  817553 8965 84
まつだいら まさゆき PK追加 三河 1626 (1611-1672)秀忠の四男。武田信玄の娘・見性院に養育された。会津藩主として「会津家訓」を制定、藩政の基調を定める一方、4代将軍・家綱を補佐し幕政にも携わった。
松平幸松正之 武将荷駄
[開墾] [登用] [収拾] [混乱]  813968 3495 85
まつだいら よしなお PK追加 三河 1615 (1600-1650)家康の九男。徳川御三家の一・尾張藩の藩祖で「剛」と評された。学問を好んで儒教を奨励、産業振興・税制整備・治水などを行い、幕藩体制の基礎を固めた。
松平五郎太丸義直 武将
[登用] [奉仕] [守戦]  646267 5375 82
とみた のぶたか PK追加 近江 1579 (1564-1633)豊臣家臣。関ヶ原合戦では東軍に属し、伊勢安濃津城に籠城するが敗れ、高野山に登る。戦後、召し出されて伊予宇和島12万石を領すが、のち改易された。
富田平九郎信高 武将
[商業] [守戦]  445749 5265 84
とみた のぶよし PK追加 近江 1581 (1566-1622)豊臣家臣。富田一白の子。佐野房綱の隠居により下野唐沢山城主となる。関ヶ原合戦では東軍に属して本領安堵されるがのち兄・富田信高に連座し改易された。
富田 信吉 武将荷駄
[改修] [収拾]  394640 5750 83
なかがわ ひでなり PK追加 摂津河内 1583 (1570-1612)豊臣家臣。清秀の次男。兄・秀政の死により家督を継ぎ、豊後岡7万石を領す。朝鮮派兵などに従軍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、太田一吉の軍を破った。
中川小兵衛秀成 国人衆
[登用] [雨撃]  405236 4760 48
にしお みつのり PK追加 美濃飛騨 1559 (1544-1616)斎藤家臣。主家滅亡後は織田・豊臣家に仕えた。関ヶ原合戦では東軍に属して大垣城を落とす活躍をし、美濃揖斐3万石を領す。大坂の陣でも戦功を立てた。
西尾小六郎光教 武将騎馬
[突撃]  474945 5465 82
のせ よりつぐ PK追加 摂津河内 1577 (1562-1626)摂津の豪族。丸山城主を務めた。近隣の塩川城主・塩川国満とたびたび争う。関ヶ原合戦では東軍に属し、本領を安堵された。大坂の陣でも戦功を立てた。
能勢助十郎頼次 国人衆騎馬
[激励]  475148 5980 81
ほりお ただはる PK追加 尾張 1604 (1599-1633)出雲松江藩主。忠氏の子。父の早世により6歳で家督。祖父・吉晴が藩政を指導した。福島正則改易の際には広島城を受け取る。死後、嗣子がなく断絶した。
堀尾三之助忠晴 武将荷駄
[回復] [攻城]  504442 3770 98
さかい やすとし PK追加 三河 1584 (1569-1621)徳川家臣。酒井忠次の次男。本多忠次の養子となる。関ヶ原合戦後、三河西尾2万石を領す。大坂の陣では一揆の鎮定に活躍し、のち近江膳所3万石を領した。
酒井九十郎康俊 武将
[攻城]  455248 5360 83
おくだいら ただあき PK追加 三河 1598 (1583-1644)徳川家臣。奥平信昌の四男。主君・家康の養子となり、松平姓を名乗る。大坂の陣で戦功を立て、戦後摂津大坂10万石を領し、幕閣の元老的存在となった。
奥平 忠明 国人衆
[訓練] [逃亡] [連射]  535444 4790 68
おおこうち のぶつな PK追加 三河 1611 (1596-1662)徳川家臣。3代将軍・家光の小姓から老中にまで出世。才気煥発で「知恵伊豆」の異名をとり、幕藩体制の確立に貢献した。島原の乱では幕府の上使を務めた。
大河内長四郎信綱 武将
[商業] [引抜] [三段] [攻城]  635477 7445 81
まつい やすしげ PK追加 三河 1583 (1568-1640)徳川家臣。父・康親の死後、主君・家康の偏諱を受けて家督を継いだ。小田原征伐で功を立て、戦後、武蔵寄居2万石を領す。のち和泉岸和田5万石を領した。
松井次郎康重 武将荷駄
[外交]  404941 5165 87
とだ やすなが PK追加 三河 1577 (1562-1632)徳川家臣。主君・家康より松平姓を許された。遠江高天神城攻めで初陣し、以後各地で功を立てる。関ヶ原合戦では美濃大垣城を攻略するなど活躍した。
戸田孫六郎康長 国人衆騎馬
[改修] [回復]  505444 5975 88
みずの かつなり PK追加 三河 1579 (1564-1651)徳川家臣。遠江高天神城攻めなど多くの合戦に従軍した。一時は豊臣秀吉などに仕えたが、のちに帰参し、備中福山10万石を領す。島原の乱にも参陣した。
水野藤十郎勝成 国人衆
[改修] [訓練] [連射]  486645 5930 8
とだ よしあきら PK追加 尾張 1588 (1573-1623)豊臣家臣。戸田勝隆の子。村上義清の養子となる。越後本庄9万石を領した。関ヶ原合戦では東軍に属して所領を保つがのちに家中騒動を起こし、改易された。
戸田政之助義明 武将騎馬
[突撃]  424839 6135 78
もうり たかまさ PK追加 尾張 1574 (1559-1628)豊臣家臣。備中高松城攻めの際に毛利家の人質となり、以後、森姓を毛利姓に改めた。関ヶ原合戦では西軍に属したが、戦後、豊後佐伯2万石を与えられた。
毛利勘八高政 武将
[捕縛]  404842 4955 89
やぎゅう よしかつ PK追加 大和 1567 (1552-1616)大和の豪族。宗厳の長男。合戦の時に受けた鉄砲傷がもとで半身不随となり、生涯を柳生の里で過ごした。子・兵庫助利厳がのちに柳生新陰流の印可を受けた。
柳生新次郎厳勝 国人衆
[訓練] [剣豪] [槍衾]  357853 1485 88
やぎゅう としよし PK追加 大和 1594 (1579-1650)剣豪。厳勝の次男。祖父・宗厳より印可状を受け、柳生新陰流の継承者となる。一時加藤清正に仕えるが人を斬り浪人。のち尾張徳川家の剣法指南役となった。
柳生忠次郎利厳 国人衆
[登用] [剣豪] [説得]  308658 3675 87
やまのうち ただよし PK追加 尾張 1607 (1592-1664)豊臣家臣。康豊の子。伯父・一豊に子がなかったため、養子となって土佐24万石を継いだ。大坂夏の陣の際は、暴風雨に遭遇したために参戦できなかった。
山内 忠義 国人衆
[外交]  535243 4250 86

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