武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
たまこし | | さんじゅうろう |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1578 |
(1563-1622)桑名の商人。三十郎は実際は尾張清洲の具足屋。三方ヶ原合戦の際、織田信長の勘気を蒙って遠江浜松にいた長谷川橋介に急を伝え、自らも参陣して戦死した。 |
玉越 | | 三十郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 47 | 36 |
50 | 40 |
78 |
たけぐち | | まごじゅうろう |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1581 |
(1566-1621)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
竹口 | | 孫十郎 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
49 | 47 | 46 |
50 | 40 |
68 |
しらこ | | ごうざえもん |
諸勢力 |
伊勢志摩 |
1595 |
(1580-1629)桑名の商人。桑名は港町として栄え、のち東海道五十三次の42番目の宿場町となった。桑名港は木曾三川の河口に位置し、物資集積の要所として繁栄した。 |
白子 | | 郷左衛門 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
49 | 48 | 44 |
44 | 50 |
83 |
ないとう | | しんじゅうろう |
諸勢力 |
南信濃 |
1556 |
(1541-1630)諏訪の商人。諏訪は諏訪大社の門前町として発展した。甲州街道の上諏訪宿を経て中山道の下諏訪宿に至る。上諏訪・下諏訪ともに、温泉宿場町として栄えた。 |
内藤 | | 新十郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
48 | 51 | 42 |
59 | 100 |
86 |
さくらい | | しんざえもん |
諸勢力 |
南越後 |
1576 |
(1561-1620)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
桜井 | | 新左衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
38 | 40 | 51 |
58 | 75 |
18 |
みわ | | とうべえ |
諸勢力 |
南越後 |
1566 |
(1551-1639)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
三輪 | | 藤兵衛 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
53 | 42 | 44 |
57 | 80 |
58 |
あまの | | ひこじろう |
諸勢力 |
南越後 |
1590 |
(1575-1635)直江津の商人。直江津は直江津港を擁する港町。直江津港は日本最古の船法度である「廻船式目」で「三津七湊」の1つに数えられた。上杉家などが支配した。 |
天野 | | 彦次郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
41 | 45 | 49 |
57 | 100 |
86 |
じゅうしや | | そうご |
諸勢力 |
山城 |
1549 |
(1534-1626)京都の商人。宗悟は実際は近江出身の茶人。村田珠光の弟子で、武野紹鴎に茶を伝授したという。「山上宗二記」の中で道具目利きの力量がないと批判された。 |
十四屋 | | 宗悟 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
47 | 57 | 57 |
43 | 90 |
83 |
いまい | | そうきゅう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1567 |
(1552-1627)堺の商人。今井家は宗久・宗薫・宗呑と代を伝えた。宗久は堺の有力町衆となり織田信長に仕え、但馬生野銀山経営などで活躍した。宗薫は徳川家康に仕えた。 |
今井 | | 宗久 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 42 | 44 |
47 | 60 |
80 |
やすい | | さだつぐ |
諸勢力 |
摂津河内 |
1548 |
(1533-1615)堺の商人。安井家は定次・道頓と代を伝えた。定次は豊臣秀吉の大坂城築城に貢献した。道頓は道頓堀の開削に携わるが志半ばにして大坂夏の陣で戦死した。 |
安井 | | 定次 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
47 | 36 | 40 |
60 | 35 |
38 |
べにや | | そうよう |
諸勢力 |
摂津河内 |
1547 |
(1532-1625)堺の商人。会合衆を務めた。茶の湯を武野紹鴎に学び、織田信長とともに松井友閑邸で行われた茶会に出席した。のち、豊臣秀吉から闕所処分を受け逐電した。 |
紅屋 | | 宗陽 |
都市 | 荷駄 |
[商業] [茶湯] |
54 | 60 | 46 |
44 | 85 |
58 |
やだ | | しちろうざ |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1537 |
(1522-1615)米子の商人。七郎左は実際は因幡荒神山城主。毛利家などに属した。のちに羽柴秀吉軍と戦うが居城を落とされ、下野して倉吉で交易に従事したという。 |
矢田 | | 七郎左 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
49 | 48 | 56 |
59 | 30 |
87 |
はやみ | | きしろう |
諸勢力 |
因幡但馬 |
1555 |
(1540-1629)米子の商人。米子は米子港を擁する港町として発展した。米子港は尼子家や毛利家などが支配した。山陰地方では他に美保関、安来などが港町として発展した。 |
速水 | | 喜四郎 |
都市 | 槍 |
[商業] [茶湯] |
52 | 44 | 56 |
49 | 70 |
87 |
むろ | | きはちろう |
諸勢力 |
備前備中 |
1560 |
(1545-1623)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
室 | | 喜八郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
52 | 51 | 50 |
43 | 100 |
38 |
やまかわ | | でんえもん |
諸勢力 |
備前備中 |
1577 |
(1562-1635)福岡の商人。福岡は吉井川沿いにあった中世以来の市場町。近くには備前守護所があり、刀鍛冶が多く住んだ。黒田官兵衛の祖父・重隆が一時期住んでいた。 |
山川 | | 伝右衛門 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
45 | 39 | 45 |
51 | 65 |
18 |
こひなた | | やさぶろう |
諸勢力 |
土佐 |
1593 |
(1578-1651)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
小日向 | | 弥三郎 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
47 | 41 | 37 |
41 | 40 |
83 |
さかぐち | | きじゅうろう |
諸勢力 |
土佐 |
1551 |
(1536-1615)須崎の商人。須崎は須崎港を擁する港町として発展した。はじめは「洲崎」といった。須崎港は天然の良港として漁港および避難港として利用されていた。 |
坂口 | | 喜十郎 |
都市 | 弓 |
[商業] [茶湯] |
48 | 60 | 58 |
45 | 35 |
58 |
すえつぐ | | こうぜん |
諸勢力 |
筑前 |
1595 |
(1580-1655)博多の商人。1571年に長崎に移住し私財を投じて町を開き、商人らを移住させて町の支配を任せた。配下・村山東安の助けを得て貿易で巨利を得たという。 |
末次 | | 興善 |
都市 | 騎馬 |
[商業] [茶湯] |
64 | 47 | 54 |
47 | 95 |
38 |
ずいせんじ | | りょうけん |
諸勢力 |
越中 |
1578 |
(1563-1642)越中の僧侶。瑞泉寺は一向宗の寺院。南北朝時代の開山という。戦国時代には一向一揆の拠点として大小370の寺院に号令、神保家や上杉家と激しく争った。 |
瑞泉寺 | | 了賢 |
一向宗 | 槍 |
[外交] |
52 | 40 | 40 |
45 | 90 |
38 |
せいがんじ | | けんせい |
諸勢力 |
近江 |
1564 |
(1549-1620)近江の僧侶。箕浦誓願寺は一向宗の寺院で、湖北十か寺の1つに数えられる。十か寺は一揆衆5千人を動員し、浅井家らと結んで織田信長らに頑強に抵抗した。 |
誓願寺 | | 賢誓 |
一向宗 | 荷駄 |
[外交] |
55 | 42 | 43 |
47 | 80 |
78 |