武将姓 | | 武将名 |
出身・出自 | 登場年 |
(誕生年-死亡年) |
特技 | 政治 | 采配 | 智謀 |
野望 | 義理 | 相性 |
列伝 |
おがさわら | | のぶきよ |
通常版 |
南信濃 |
1548 |
(1533-1592)津軽家臣。主君・為信の創業期を支えた大浦三老の1人。信濃国の出身で津軽に移住し、大浦家に仕える。大光寺城、石川城攻めなどに従軍し、活躍した。 |
小笠原 | | 信浄 |
武将 | 弓 |
[捕縛] [連射] |
36 | 48 | 53 |
23 | 75 |
7 |
ほんじょう | | よしかつ |
通常版 |
北越後 |
1588 |
(1573-1623)本庄繁長の次男。大宝寺義興の養子となり、上杉景勝の後援で大宝寺家を継ぐ。のちに一揆煽動の疑いにより大和に配流されたが、許されて上杉家臣となった。 |
本庄 | 四郎次郎 | 義勝 |
武将 | 騎馬 |
[開墾] [突撃] |
31 | 40 | 17 |
65 | 75 |
24 |
まつの | | しげもと |
通常版 |
美濃飛騨 |
1588 |
(1573-1655)小早川家臣。鉄砲頭を務め、主馬首に任官された。関ヶ原合戦では主君・秀秋の寝返りに呼応せず、戦場を離脱した。その後は田中吉政、徳川忠長に仕えた。 |
松野 | 平八 | 重元 |
武将 | 槍 |
[槍衾] |
10 | 40 | 14 |
16 | 95 |
4 |
いこま | | ちかまさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1541 |
(1526-1603)豊臣家臣。讃岐高松17万石を領した。主君・秀吉の死後は、三中老の1人となる。関ヶ原合戦で西軍に属すが、子・一正が東軍に属したため、改易を免れた。 |
生駒 | 甚介 | 親正 |
武将 | 弓 |
[治水] [連射] |
49 | 44 | 44 |
35 | 70 |
3 |
かなもり | | ながちか |
通常版 |
美濃飛騨 |
1539 |
(1524-1608)織田家臣。赤母衣衆の1人。柴田勝家に従い北陸平定に貢献。勝家の死後は蟄居するが、のち豊臣秀吉に仕えた。茶の湯に秀で、利休七哲の1人に数えられる。 |
金森 | 五郎八 | 長近 |
武将 | 槍 |
[改修] [茶湯] |
55 | 49 | 54 |
27 | 60 |
94 |
はちや | | よりたか |
通常版 |
美濃飛騨 |
1549 |
(1534-1589)織田家臣。黒母衣衆の1人。斎藤家を経て織田信長に仕える。以後は遊軍を率いて各地で活躍した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属し、越前敦賀5万石を領した。 |
蜂屋 | | 頼隆 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
19 | 44 | 36 |
26 | 65 |
1 |
もり | | よしなり |
通常版 |
美濃飛騨 |
1538 |
(1523-1570)織田家臣。尾張統一戦や桶狭間の合戦などで活躍した。宇佐山城主を務め、琵琶湖の南岸を固める。のちに浅井・朝倉連合軍に攻められ、衆寡敵せず戦死した。 |
森 | 三左衛門 | 可成 |
武将 | 槍 |
[改修] [捕縛] |
26 | 55 | 38 |
43 | 90 |
1 |
もり | | ながよし |
通常版 |
美濃飛騨 |
1570 |
(1558-1584)織田家臣。可成の嫡男。長島一向一揆鎮圧や武田家討滅戦に参戦し「鬼武蔵」の異名をとった。本能寺の変後は豊臣秀吉に従い、小牧長久手の合戦で戦死した。 |
森 | 勝蔵 | 長可 |
武将 | 騎馬 |
[茶湯] [激励] |
25 | 50 | 30 |
53 | 75 |
1 |
もり | | らんまる |
通常版 |
美濃飛騨 |
1580 |
(1565-1582)織田家臣。可成の三男。織田信長の小姓を務める。利発で容姿美しく、信長に寵愛された。将来を嘱望されたが、本能寺の変で信長に従って奮戦し、戦死した。 |
森 | 成利 | 蘭丸 |
武将 | 鉄砲 |
[外交] [茶湯] [三段] |
65 | 44 | 62 |
11 | 95 |
0 |
もり | | ただまさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1585 |
(1570-1634)豊臣家臣。可成の六男。兄・長可の戦死により家督を継ぐ。関ヶ原合戦では徳川秀忠に従い、上田城攻撃に従軍した。のちに美作津山18万石に転封された。 |
森 | | 忠政 |
武将 | 弓 |
[改修] |
44 | 33 | 41 |
37 | 55 |
98 |
ほり | | ひでまさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1568 |
(1553-1590)織田家臣。各地で軍功を重ねる一方、徳川家康の饗応役も務めるなど、文武の両面に才能を発揮した。本能寺の変後は豊臣秀吉に属し、一門格の待遇を受けた。 |
堀 | 久太郎 | 秀政 |
武将 | 槍 |
[登用] [収拾] [三段] |
68 | 55 | 62 |
47 | 70 |
2 |
ほり | | ひではる |
通常版 |
美濃飛騨 |
1590 |
(1576-1606)豊臣家臣。秀政の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。越後春日山45万石を領す。関ヶ原合戦では東軍に属し、上杉景勝が煽動した一揆を鎮め、所領を安堵された。 |
堀 | 久太郎 | 秀治 |
武将 | 槍 |
[改修] |
48 | 42 | 42 |
52 | 65 |
98 |
せんごく | | ひでひさ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1567 |
(1552-1614)豊臣家臣。淡路島平定の功により、淡路州本5万石を領す。九州征伐の先鋒を務めた際、戸次川合戦で島津軍に大敗し、領国を没収されるが、のちに帰参した。 |
仙石 | 権兵衛 | 秀久 |
武将 | 槍 |
[守戦] |
14 | 31 | 17 |
66 | 45 |
4 |
とくやま | | ひであき |
通常版 |
美濃飛騨 |
1560 |
(1545-1606)柴田家臣。主君・勝家に従って越前一向一揆制圧戦に参加し、小松城主となる。勝家の死後は豊臣秀吉に属す。以後、丹羽家、前田家を経て徳川家康に仕えた。 |
徳山 | 五兵衛 | 秀現 |
武将 | 弓 |
[改修] |
37 | 27 | 24 |
24 | 70 |
88 |
はら | | ながより |
通常版 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1600)織田家臣。柴田勝家の与力となる。賤ヶ岳合戦では柴田軍の先鋒として奮戦し、戦後、豊臣家に仕える。関ヶ原合戦で西軍に属して活躍したが、戦後自害した。 |
原 | 彦次郎 | 長頼 |
武将 | 槍 |
[引抜] |
28 | 28 | 17 |
60 | 60 |
91 |
ひらつか | | ためひろ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1600)豊臣家臣。小田原征伐などに従軍した。関ヶ原合戦では西軍に属し、病の大谷吉継に代わって大谷軍を率いた。寝返った小早川軍と戦い、奮戦するが敗死した。 |
平塚 | 孫九郎 | 為広 |
武将 | 槍 |
[槍衾] |
18 | 34 | 44 |
25 | 95 |
9 |
ふるた | | しげてる |
通常版 |
美濃飛騨 |
1559 |
(1544-1615)豊臣家臣。織部正に任官された。利休七哲の1人。織部焼を創始し、諸大名の茶の師匠を務めた。大坂の陣の際、豊臣方への内通疑惑により、自害させられた。 |
古田 | 左介 | 重然 |
武将 | 槍 |
[茶湯] |
40 | 6 | 5 |
63 | 50 |
1 |
とき | | よりあき |
通常版 |
美濃飛騨 |
1517 |
(1502-1582)美濃守護。家臣・斎藤道三と結託して兄の政頼を追放し、家督を継ぐ。しかし、のちに道三に国を追われた。一時和睦して帰国するが再び追放され、流浪した。 |
土岐 | 二郎 | 頼芸 |
武将 | 槍 |
[逃亡] |
39 | 19 | 11 |
2 | 45 |
93 |
とき | | よりつぐ |
通常版 |
美濃飛騨 |
1560 |
(1545-1614)徳川家臣。頼芸の次男。兄・頼栄が父の勘気を蒙ったため嫡子となる。父とともに国を追われ、松永久秀に仕えた。久秀の死後は豊臣家を経て徳川家に仕えた。 |
土岐 | 小次郎 | 頼次 |
武将 | 弓 |
[茶湯] |
42 | 16 | 34 |
57 | 55 |
93 |
とき | | よりもと |
通常版 |
美濃飛騨 |
1564 |
(1549-1608)徳川家臣。頼芸の四男。父の追放後は斎藤道三の扶助を受ける。斎藤家滅亡後は武田・豊臣家に仕え、関ヶ原合戦の後に徳川家康に属し、所領を安堵された。 |
土岐 | 五郎左衛門 | 頼元 |
武将 | 槍 |
[槍衾] |
36 | 8 | 20 |
39 | 60 |
93 |